迷い橋
朽葉陽々
迷い橋
『迷い橋』という橋が、この町にはあるらしい。
俺は偶々、この町に旅行に訪れた。その中で、町の人から聞いたのが、『迷い橋』の話だった。
曰く、『どこにも行けない橋』なのだとか。
その言葉の意味は判然としなかったが……そういう不思議な(あるいは不気味な)話は、割と好きだったから。
俺は今日、その橋の前に立っていた。
一見したところ、何の変哲もない橋のように思える。決して大がかりなものではなく、せいぜい十メートルくらいの長さ。黒いペンキで塗られていて、正しい名前の書かれた金属の看板も黒ずんでいる。
橋は真直ぐ伸びていて、向こう側の景色もはっきり見える。『迷い橋』なんて呼び名には不釣り合いな、どう考えても迷いそうのない橋だった。
でも、これを渡ろうとしても、どこにも行けないらしい。どこにもたどり着けないらしい。今ここから見えている、橋の向こうになんて、行けやしないらしい……。
……やっぱり、分からない。分からないものは恐ろしいはずなのに、どうしても、渡ってみたい気持ちを抑えられない。
恐る恐る、一歩踏み出す。……何も、起こらない。
さらに踏み出す。……まだ、何も起こらない。
ゆっくりと数歩、次第に速めて、……まだ、何も?
やっぱり噂は噂でしかなく、実体なんてあるわけもなかったか。そう思った瞬間、はっとする。
何も起こらなかったんじゃない。
既にそれは起こり、そして終わっていたのだ。
そこは橋の上ではなかった。周囲は見覚えのない草原に変わっていた。ミルクのように濃い霧の隙間に、辛うじて山並みが見えたかと思えば、すぐに見えなくなってしまった。
こんなところではなかったはずだ。一体何があれば、こんな場所に辿り着くことができる? そもそもここは何だ、戻ることはできるのか?
沸き上がる疑問につられるように、俺の足は更に踏み出す。首を回して周囲を検分する。どうすればいい。……俺は、ここで、どうすればいい?
どれだけ歩いても、周囲の景色は変わらない。話を聞けそうな誰かが現れることもない。何か情報を得られそうなものも見当たらない。
何も知ることができない。何も変えられない。何も分からない。
俺はどうすればいい。俺はどうなればいい。
進退、定まらない。
……ああ、確かに、と思う。
あの橋を渡ろうとすれば、必ずここに辿り着いてしまうのなら。ここで何をすることもできず、どうなればいいか分からないままなら。
ここからどこに行くこともできないのなら。
確かにあの橋は『迷い橋』でしかありえないし、『どこにも行けない橋』という噂は、確かに真実であったのだろう。
――今分かるのは、そんな感慨だけだった。
迷い橋 朽葉陽々 @Akiyo19Kuchiha31
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