第39話 朝チュ……んんっ!?

「――君……咲哉君、起きてください?」


「ん、うぅん……?」


 どこからか聞こえてくる甘く囁くような優しい声がした。カーテンの隙間から差し込む朝の光が目蓋をチラつかせてくるのもあって、咲哉の意識は深いところから徐々に浮上してくる。しかし、寝起きの曖昧な感覚の中で、どうしてもまだ眠っていたいという欲求が再び意識を微睡の中へと誘おうとするが、再び耳元で聞こえた声がそれを引き止めた。


「咲哉君。起きないとイタズラしちゃいますよ……?」


「……?」


 咲哉が重たい目蓋をゆっくりと持ち上げると、眩しさと共に、艶やかな黒髪を垂らし透き通るような黒い瞳で覗き込んでくる詩織の顔が見えた。そして、クスッと微笑んだその顔が徐々に近付いてきて、やがて奏斗の唇に溶けるような柔らかさが触れる。


「……起きたのに悪戯されたんだが?」


「ふふっ、時間切れです」


 何度も呼び掛けたんですよ? と笑いながら言ってくる詩織の隣で、咲哉は目を擦って上体を起こす。そして、詩織をジト目で睨みながら心の中で呟いた。


(コイツのせいで寝不足なんだが……)


 同じベッドの中で何とか理性を保とうとする咲哉の背中越しに、ゴソゴソと身体を動かしながら時折零れる艶めかしい嬌声。当然そんなものを聞かせられながらすやすやと眠れるはずもなく、最後に時間を確認したときには既に日付が今日に変わってからだいぶ経っていた。


 そして、そんな咲哉の心中を察したように、詩織は咲哉の耳元に口を近付けて囁いてくる。


「(変に我慢なんてするからですよ)」


「お、お前があんなことしなきゃ、俺は我慢する必要もなかったんだけどな……?」


 今日が休日で良かった、と咲哉は心の底からホッとした。

 そして、頭を掻きながらベッドから降りると、横目に詩織の姿を見下ろして呟くように言うう。


「と、取り敢えず、一旦家に帰って着替えてきたらどうだ?」


「わぁ、咲哉君。私をこんな彼ジャージ姿で帰らせる気ですか……!?」


「んなわけないだろ!? そこに洗面所に置いてる制服着て帰るんだよ!?」


 相変わらず咲哉をからかっては楽しむ詩織が、「はいはい、わかってますよ」と言って洗面所に向かっていった――――



◇◆◇



 一旦詩織は自宅のマンションに帰って着替えやら何やらと支度を整えて、その間に咲哉も顔を洗ったり服を着替えたり掃除をしたりと準備を進める。そして、昼前くらいに改めて家にやって来た詩織に、咲哉は朝食と昼食を兼ねた簡単なブランチを振舞って、一緒に食べた。


「……さて、何しようか」


 昨日詩織が泊まりたいと言い出したのも急なことで、今日の予定を何一つ考えていなかった咲哉。リビングのソファーに詩織と並ぶように腰掛けてそう呟いた。すると、詩織がクスッと笑みを溢して反応する。


「別に無理に何かをしなても、こうして家の中で二人、のんびり過ごすのも恋人らしいじゃないですか」


「なるほど……これが噂に聞くお家デートと言うやつか」


 こうして詩織と付き合おう以前であれば、お家デートなんていう単語を耳にしようものなら「リア充爆発しろ!」的なことを思っていたかもしれないが、今となっては咲哉もそちら側の人間へ仲間入りしてしまっていた。


 詩織がバラエティー番組を見ている隣で、咲哉はスマホを取り出してゲームを起動し、まだ完了していなかったゲームのデイリーミッションを消化していく。すると、しばらくして画面にメッセージのポップアップが表示される。


「ん、実……?」


「どうかしました?」


「ああ、いや。実からちょっとメッセージが来てな~」


「そうですか……」


 そう答えながら咲哉は、ポップアップをタップしてメッセージアプリを開くと、実とのやり取りを始める。


実 『咲哉~。暇だから構って~』

咲哉『いや、俺暇じゃないんですけど』

実 『うっそだ~。どうせゲームしてるだけでしょ?』

咲哉『まぁ、ゲームもしてたけど』

実 『けど?』


 咲哉は返答に悩んだ。実が自分に好意を持っていることを知っているため、今家で詩織と一緒にいるなんて知られてしまったら、変に傷付けることになってしまうかもしれない。なので、咲哉はそれとなく誤魔化しておくことにした。


咲哉『いや、ゲームで充分忙しいんだよ。やり込んでるからさ』

実 『……いま、返信まで妙な間があったよね?』


 咲哉はぎくりとした。そこへ、実から立て続けにメッセージが飛んでくる。


実 『もしかして、水無瀬先輩?』

実 『休日の昼間っから一緒にいるの!?』

実 『リア充爆発しろぉおおお!!』


 そして、怒りマークのスタンプが最後に送られてきたのを境に、ぱったりメッセージが来なくなってしまった。咲哉はスマホの画面を見ながら苦笑いを浮かべており、そんな咲哉の様子が気になるのか、隣では先程からチラチラと詩織が横目で視線を向けてきていた。


 また、しばらくして――――


「ん、今度は何だ……?」


 咲哉がゲームに戻っていると、再びメッセージ着信のポップアップが表示された。送信元は真歩で、どうやら何かの写真が送られてきているようだった。一体なんだろうかと咲哉がメッセージアプリを開くと…………


「ンブッ――!?」


 視界に飛び込んできた写真に、咲哉は思わず吹き出した。


「ど、どうしたんですか咲哉君?」


「あっ、いやこれは何でもないぞ!?」


 咲哉の反応が気になった詩織がスマホを覗き込んで来ようとしたので、咲哉はスマホを持って手をスッと高く持ち上げる。しかし、何でもないなら普通に見せればいい話。隠すということは何かあるのだと確信した詩織が、ムッと頬を膨らませる。


「どうして隠すんですかっ」


「い、いや別に? 本当に何でもないんだけど、別に見せる必要もないかなぁって?」


「何でもないなら見せてください! 必要性に関しては、私が気になっているという理由で充分です!」


「相変わらず世界はお前を中心に回ってるんだなっ!?」


 持ち上げられたスマホを奪い取ろうと、詩織が手を伸ばす。しかし、それをひょいと避ける咲哉。徐々にその攻防はヒートアップしていき、詩織はついに手段を択ばなくなった。


「頑なですね……! 仕方ありません――せいっ!」


「ちょっ!?」


 ソファーの上という限られたスペースで、詩織が巧みに咲哉の体勢を崩した。女子である詩織より力で勝るはずの咲哉がこうもあっさり倒されるのは、やはり技にあるのだろう。


(そ、そういえばハロウィンの夜もウィスキーボンボンで酔った詩織に呆気なく転がされたな……って、そんなこと思い出してる場合じゃなかった!)


 ソファーに仰向けに倒れ込む咲哉に乗っかるように押さえつけた詩織が、咲哉の手からスマホを奪い取る。そして、一度咲哉に不審な目を向けてから、奪い取ったスマホの画面を見た。すると、そこには『入浴中だよぉ~』という真歩のメッセージと共に、その自撮り写真があった。入浴剤でお湯が赤色に濁っており、隠されるべき所はきちんと隠されているが、それでも肌色成分はかなり多い。


 奏斗が恐る恐る様子を窺う先で、詩織の瞳からスッとハイライトが消えた。


「これは……浮気ですか? 浮気ですね?」


「違う違う! 何か知らないけど勝手に送られてきたんだって!」


「勝手にこんなのが送られてくるって貴方達どういう関係ですかっ!?」


「むしろ俺が聞きたいんですけど!?」


「先程も来栖さんと何か楽しそうにやり取りしてましたし? 隣に彼女がいるというのにどうして他の女の子に構うんですか!」


「そ、それはごめん……」


 確かにのんびり過ごすとは言っても詩織に構ってあげられていなかったなと思い返した咲哉は素直に謝るが、それでも詩織はスマホを返す気はないらしく、咲哉から離れた場所に置いた。そして、咲哉の身体の上に乗ったまま、徐々に顔を近付けてきた。


「放置されていた分、沢山お詫びをしてもらいます」


「き、昨日に引き続き……やけに積極的だな……!?」


「咲哉君が奥手なので、その分私がリードしないと、ですから」


 そう答えて微笑んだ詩織が、咲哉の唇に自身の唇をそっと押し当てた。冬の気配がすぐそこまでやって来ているというのに、このときの二人は少しばかりの暑さすら感じていた。


 ――ちなみに、後日咲哉は真歩にどうしてあんな写真を急に送って来たのかと問い詰めると、そのとき実から、咲哉と詩織がお家デートしていると連絡があり、二人でどうにか悪戯してやれないかと言う話になったので行ったことだということだった。

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放課後クラスの美少女が人知れず机の角でナニかしているのを見てしまった件~難攻不落の美少女の弱みを握ってしまった俺は、口封じのため恋人にさせられました~ 水瓶シロン @Ryokusen

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