第38話 ゲリラお泊り!?

「で、何で急に泊まりたいって話に……?」


 詩織の衝撃発言に頭を抱えながら、咲哉が恐る恐る尋ねる。すると、詩織は頬を僅かに紅潮させて、両手の人差し指を突き合わせながら答えた。


「い、いえ別に……」


「いや、特に理由もないのに泊めさせるわけにはいかんだろ!?」


「ど、どうしてですかっ!? 私達は恋人です。別に泊るくらいのことはあっても良いんじゃないですか!? そ、それとも――」


 詩織が咲哉に詰め寄る。眉を寄せ、瞳は不安げに揺れ、唇はキュッと結ばれている。


「――私を泊められない理由でも、あるんですか……?」


「え? あ、いやぁ……」


 咲哉は視線を斜め上に逃がし、口籠る。


(そりゃ泊められないだろ……こんな急に、心の準備も出来てないし。ってか、俺の理性が死ぬっ!)


 そんな咲哉の反応を不審に思ったのか、詩織が顔を伏せた。ずっしりと重たい空気感を纏いながら、ボソッと呟くように言った。


「……もう私に興味はなくなりましたか」


「……え?」


「花野井さんや来栖さんの方が良いですか? 私はもう、要りませんか……?」


「……ッ!?」


 咲哉はギリッと歯を噛み締めた。そして、衝動的に詩織の両肩を掴む。驚いたように顔を上げる詩織に、咲哉は鋭い視線を向けて言い放った。


「ふざけんなッ! 本気でそんなこと言ってるなら、流石に怒るぞ!」


「だ、だって……!」


「お前に興味がなくなった? 真歩や実の方が良い? んなワケないだろッ! 俺はずっとお前のことが好きだし、お前にしか興味ないよ!」


「それならっ、それならどうして……私に手を出そうと、しないんですか……!」


「は……はぁ!?」


 詩織も睨みを利かせる。その瞳の端には涙が浮かんでおり、咲哉は一瞬気圧される。しかし、やっと詩織がどうして怒っているのかが理解できた。


 恋人になってキスはした。しかし、それ以上の進展は見られない。それは、互いに遠慮があるのはもちろんだが、咲哉は詩織を大切にしたいがゆえに、手を出すことを忌避していたのだ。自分の欲求を詩織に押し付けるのは嫌だから。


 咲哉は気恥ずかしさを圧し殺しながら、たどたどしくも言葉を紡いだ。


「そ、そりゃ……簡単に手なんて出せないだろ……っ!」


「どうして、ですか……?」


「……俺がそういうことしたいって言ったら、多分お前は受け入れてくれるだろ? でも、それって何か俺の欲求を押し付けてる感じがして嫌だというか……」


「えっと……では、本当はしたい……ということですか?」


「……」


 コクリ、と咲哉が静かに首を縦に振る。二人の間に奇妙な沈黙が流れる。そして、しばらくの間を置いてから、不意に詩織が「ふっ」と笑いを漏らした。


「な、なんだよ……!」


「いえ、そういうことだったんですね。まったく……モヤモヤしていた私がバカみたいじゃないですか」


「す、すまん……」


 そっぽを向いて頬を指で掻く咲哉に、詩織は笑いを押し堪えて肩を上下させる。そして、互いにしばらく言葉を交わすことなく静かな時間を過ごし、どちらからというわけでもなくそっと唇を重ねた――――



◇◆◇



 二人は共に夕食を取ったあと、咲哉、詩織の順に入浴することになった。そして今、入浴を済ませた咲哉が浴室で着替えを済ませたところ。


「おい詩織、本気で今日泊まる気か……?」


「ええ。私はいつだって本気ですよ」


「な、なるほど……」


 変わるように浴室に入ってきた詩織に、咲哉は苦笑いを浮かべる。そして、洗濯機の上に指を向けて言う。


「なら、着替え持ってないだろ。俺ので悪いけど、そこの上にジャージ置いてるから使ってくれ」


「ありがとうございます。ふふっ、彼ジャージと言うやつですね?」


「なっ……!? い、いいからさっさと入って来いっ!」


 咲哉は顔を真っ赤にして浴室を出て扉を閉めた。そして、自室に戻ってから静かにふぅ、と息を吐き出し、鼓動を落ち着かせながら詩織が浴室から出てくるのを待った。しかし、鼓動は収まるどころか刻一刻と――詩織が出てくるときが近付いてくるにつれて早まっていくばかり。


(大丈夫だ三神咲哉! お前の固い理性ならきっと耐えられるっ!)


 そうやって自分を鼓舞し続けること数十分。部屋の扉がノックされたので、咲哉は身体をビクッと震わせながら上擦り気味の声で返事をする。すると、開いた扉から詩織が姿を見せた。しかし――――


「――お、おまっ、何で……!? し、下は!? ズボンは!?」


 そう。詩織は確かに咲哉の用意していたジャージを身に付けていたのだが、それは上だけ。ズボンは履いていなかった。咲哉の指摘を受けて、詩織は上のジャージの裾をキュッと引っ張って少しでも足を隠そうとする。しかし、サイズの大きいジャージとはいえ、どこまで伸ばしてもその白い太腿の半分も隠れなかった。


「そ、その……下着を付けずにズボンだけ履くとチクチクするので……」


「……は? 下着を付けずに……って、え? えぇぇえええええッ!?」


「じ、ジッと見ないでください……もぅ、えっちなんですから……」


「ノーパンの奴にエッチだなんて言われたくないんだがッ!?」


 咲哉はもう頭を抱える気力すらなかった。ただ、出来るだけ詩織に目をやらないようにするので精一杯。そして、ため息を一つ吐いてから席を立つ。


「まぁいい。んじゃ、俺はリビングのソファーで寝るから――」


「――駄目です」


「え?」


 部屋をあとにしようとした咲哉の腕を、詩織が掴んで止める。その顔はほんのりと赤らんでおり、熱を帯びた黒い瞳を上目遣いで咲哉に向けていた。


「私は咲哉君と一緒に寝たいんです。咲哉君がソファーで寝るなら私もソファーで寝ますよ?」


「……マジかよ」


「さ、早く寝ましょう。明日も学校ですよ」


 詩織はそう言って部屋の照明を消すと、一足先に咲哉のベッドに潜り込む。そして、掛け布団を捲って咲哉を誘う。


「ほ、本気か……?」


「本気ですよ」


 咲哉は少しの間暗闇に満ちた天井を見上げて覚悟を決める。


「よしっ」


 咲哉はゆっくりと一歩、また一歩と足を踏み出していく。自分のベッドに入るのにここまで緊張したことはこれまでの人生で一度たりともない。慎重に足から順に掛け布団の中へ身体を滑り込ませて、詩織に背を向ける形で横たわる。


「咲哉君、何もしないんですか?」


「……」


 咲哉は詩織の言葉に返事を返す余裕などなかった。今にも胸を引き裂いて飛び出してきそうなほどに大きく、そして早く鼓動を刻む心臓。風邪でも引いたのかというくらいに火照った身体。そして、二人で並んで寝るには少々手狭なベッドのため、互いの身体が触れ合ってしまう。詩織の細くしなやかな脚が咲哉の脚に触れ、その滑らかな肌の感触を伝える。


「じゃあ、咲哉君はジッとしていてください。私はもう我慢できませんから……」


「……?」


 詩織がそう呟くと、咲哉の背中側で何かゴソゴソと身体を動かす。咲哉の背中に身体を寄せてから僅かに膝を曲げ、熱い吐息を漏らす。そして…………


「……んっ。あうっ……」


「……え? し、詩織……お前……?」


 咲哉の疑問に答えが返させることはなかった。ただ聞こえるのは、掛け布団が擦れる音と、時折詩織の喉から絞り出されるような艶めかしい声。


「な、何やってんだよ……!?」


「んっ……ふふっ、気になるならこっちを見ても良いんですよ……んあっ」


「か、勘弁してくれ…………」


 今晩咲哉が眠れなかったのは、語るまでもないことであった――――

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