第37話 彼女の悩み

 赤や黄色に染まった木々の葉も既に秋と共に散っていき、寒気と一緒に冬がやって来た。そして、十二月始まってすぐにあった二学期期末テストも終わり、詩織は相変わらずの学年一位。咲哉も大健闘をして前回の中間テストで果たすことが出来なかった学年二十位以内を成し遂げ、十九位という結果だった。あとは冬休みを待つばかりなのだが…………


「ねね、昨日彼氏の家に泊まったんでしょぉ~? どうだったのよっ?」

「えっ……ど、どうだったって?」


 女子トイレの個室に入っていた詩織の耳に、手洗い場の方からそんな二人の女子生徒の会話が聞こえてくる。


「もぉう、とぼけなくていいって~! ヤることヤったんでしょぉ~?」

「や、やることって……してないってばぁ~!」

「えっ!? 彼氏の家に泊まっておいて何もなかったの!?」

「う、うぅ……」

「付き合ってそこそこ経ってるよねっ!? それなのにまだしてないって……ちょっとそれ、彼氏離れるよ~?」

「えっ、嘘!?」

「嘘じゃないって。向こうだって気がないんじゃないかって思うよぉ、そんなんじゃ……」

「えぇ、そんなぁ!?」


 二人が手を洗い終え、ハンカチで拭きながら女子トイレをあとにしていく。そして、個室に籠って出ようにも出られなかった詩織は、カチャッと鍵を外してゆっくりと扉を開ける。ギギギ……と軋む音が他に誰もいないトイレに響くと共に、開いた扉から一切の表情が抜け落ちた詩織が姿を現す。


「……もしかして、私達の関係も……危機……?」


 誰へともなくそう呟いた問いに、詩織はブンブンと勢い良く頭を横に振る。そして、手洗い場に立って鏡に向かいながら、澄ました顔を浮かべて腕を組む。


「いや、まさか。私達に限ってそんなこと――」



◇◆◇



(――あったぁあああっ!?)


 教室に戻った詩織が心の中で叫ぶ。視線の先では、咲哉の席に集まる真歩と実の姿があった。


「そういえば、しおりんもみのりんも三神君のこと下の名前で呼んでるしさぁ、私も名字で呼ぶのはやめようかなぁ~」


「え、いやまぁ、別に自由に呼んでもらって良いけど……」


 真歩が視線を斜め上に向け腕を組みながら思考を巡らせる。そして――――


「あっ、三神咲哉だから――ミカサク、って呼ぶことにしよっ!」


「は、花野井先輩……前から思ってましたけど、どうしてあだ名を付けたがるんですか……?」


 そんな実の疑問に、咲哉も苦笑いを浮かべて反応を示す。しかし、真歩は気にせず咲哉の机に頬杖をついて小首を傾げて言う。


「だから、ミカサクもこれからは私のことは真歩って呼んでねぇ~?」


「ええ、それは……」


「いいじゃ~ん、しおりんとみのりんのことは名前で呼んでるのに、私だけ名字って距離感じちゃうなぁ~」


 真歩に詰め寄られて困惑顔の咲哉と、咲哉に対する真歩の距離感に文句を言う実の姿。そんな三人のやり取りを教室の入り口に佇んで見ていた詩織が、胸の前でギュッと拳を握る。先程トイレで聞いた話もあって、胸の奥で不安が渦を巻く。


(や、やっぱり付き合ってから何の進展もないから、飽きられて……)


 このままじゃいけない――と詩織は自分を奮い立たせ、覚悟を決める。


(さ、咲哉君は奥手だし……やっぱり私の方から誘わないと駄目よね……っ!)



◇◆◇



 詩織が恋人関係の危機を感じたその日の放課後。いつものように二人で並んで咲哉の家まで帰ってきた。そして、これまた普段通り二人でリビングのソファーに座ってお茶を飲んだりテレビを観たりと、詩織から見ても咲哉の様子は特に変わらない。しかし――――


(やっぱり、咲哉君からはその気が感じられない……もしかして、私に興味が……)


 いやいやいや、と詩織はネガティブ思考を振り払う。ハロウィンパーティーのときに、咲哉は自分のことが大好きだと言ってくれた。その言葉に嘘はないと信じている。しかし、嘘でないなら、どうして手を出そうという素振り一つ見せないのかと、疑問が生まれる。


「――おり?」


(べっ、別に私がそういうことしたいわけじゃないけど……)


「――おい、詩織?」


(でも……もう付き合ってるんだし、ちょっとくらいそういうことがあっても良い、よね……?)


「大丈夫か、詩織?」


「えっ!?」


 咲哉の声で詩織の意識が引き戻される。詩織がパチクリと瞬きを繰り返して振り向くと、そこには心配そうな表情を浮かべた咲哉の顔があった。


「何か元気ない気がするけど……」


「え、あぁ……」


 詩織は咲哉から視線を外して、自分の膝の上に置かれた拳を見詰めながら唇を噛む。そして、頬と耳を赤くして、ボソッと呟く。


「……って、良い……?」


「ん、何て?」


「だ、だからっ……!」


 ええいままよ! と詩織は燃えるほどに紅潮した顔を見られることをいとわずに、グッと咲哉に顔を近付ける。急なことで戸惑う咲哉の胸に手を当て、喉につっかえそうになる言葉を勇気を出して絞り出した。


「今日、泊って良いですか……っ!?」


「とま……って、え? ここに?」


 詩織がコクリと頷く。


「きょ、今日……?」


 再び詩織が首を縦に振る。そして同時に、咲哉の頭の中が真っ白になった。


(え? と、泊まる? 今日泊まる? な、何で……? い、いやいや……えっ、恋人同士で泊まるっていったら……!?)


 プシュー、と咲哉の頭がショート。力を失ったようにソファーの上で倒れこんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る