呑んべえ・イン・ザ・ニューイヤー

菜花日月

呑んべえ・イン・ザ・ニューイヤー

 ポァン! という炸裂音、数瞬遅れでビシャビシャと降りかかる白く濁った液体。

 そして、部屋中に充満する強烈なアルコール臭。

「……とどのつまり、ロクでもないのが今日という日さ」

「年末の大晦日になんてことを……」

 勝手に侵入した梨々花先生の一室にて、センパイはそう宣言した。


 ──話を1時間前に巻き戻す。


『珍しいモノが手に入ったのでな! 50分後に我らが敬愛する梨々花女史のアパートに集合せよ!』

「ちょっと待ってください今俺は年末の大掃除で……ってブチ切り!?」


 こちらの返事も待たずに言いたいことだけを言って電話を切るセンパイ。

 ……この人はいつも、そうなのだ。

 俺は一つ舌打ちを打って、掃除機のコンセントを引っこ抜く。

 センパイは破天荒を体現するような人だ。きっと無視してもロクでもないことを仕出かすに違いない。それも、梨々花先生……社会科の教師にして我々文芸同好会の顧問……に甚大な被害を齎すような惨事を、だ。

 有事の際には事前に引き止められる誰かがいなければ……そんな確信めいた決意を胸に、俺はコートを羽織ってしんしんと雪が降る街へと飛び出した。


 梨々花先生の住むアパートは大学とそう遠くない場所にある。通常の通学時間にプラス15分ほどかければ先生の住む築20年モノのアパートが視界に入る。

 待ち合わせまであと5分。まず、俺がするべきはセンパイに呼び出した理由……その真意を問うことだ。

 そして、もう10分ほど……つまり予定時間から5分遅れて黒い毛皮のコートを着て、左手に風呂敷……おそらく瓶が入っている……を持ったセンパイがやってきた。


「いやぁ悪いね、少し遅れた」

「呼び出したくせに遅刻しないでくださいよ……俺はまだ掃除の途中なんですよ!?」

「ハハハ、ご苦労なことで。それに、遅刻は10分までなら無罪だよ」

「5分遅れでも1時間遅れでも遅刻は有罪です。五十歩百歩という言葉、知ってます?」


 こちらの非難をセンパイはハハハと笑い飛ばしてしまう。暖簾に腕押し、馬の耳に念仏というか……彼女はいつも俺や華蓮かれん(2学年、文芸同好会のメンバーの一人)の指摘をこうして無視するのだ。


「さて、こんな寒空の下で立ち話をするのもあれだし、中に入ってゆっくりしようじゃないか」

「それには賛成しますが……梨々花先生の許可、もらっているんですか?」

「んー、私の持論として問題にならなければたいていの物事は事後承諾でOKというものがある」

「つまり無許可ということですね……」


 本当に、この人はロクでもないというか……仮にも全国模試でトップ10に入ったことのある才女なのだろうか?


 赤錆びた階段を登り、“蛇目じゃのめ梨々花りりか”と書かれた表札がついた扉の前に立つ。

 ピンポーン、とチャイムを鳴らすが反応はない。後ろを振り返り、眼下の駐車場を確認するが先生の赤い軽自動車はどこにも見当たらなかった。


「センパイ、これでは中に入れませんよ。諦めるか、別の場所を会場にしましょうよ」

「ふふふ……私の辞書に撤退の二文字はないよ」

「つまり、後退の二文字はありますね? あると言ってください」

「まあそんな短慮な言葉はコイツを見てから言ってくれないかな?」


 そう言ってセンパイが懐から取り出したのは銀色の鉄片……紛れもなく鍵であった。

 いったいどこのドアを開くための物なのかと思い、俺は思わずアパートの鍵穴を覗き込んでしまった。


「ま、さか……」

「こんなこともあろうかと、私は去年から梨々花女史の部屋の合鍵を作成していてね……その成果がこいつだよ」

「……犯罪、では? そもそも先生の許可は!?」

「言っただろう。ノット・ギルティ・イフ・イッツ・ノープロブレムと」

「英語で言ったって誤魔化せませんよ……って勝手に開けないで……あぁ」


 俺が手を伸ばすも間に合わず。センパイは無遠慮に勝手に作った合鍵で先生のアパートの扉を解錠し、まるで自分の家に入るかのようにドアノブを捻ってしまった。


「ダメですってばセンパイ! 不法侵入で通報しますよ!」

「どうしても、かい?」

「はい。せめて梨々花先生に電話とかで許可を取ってからにしてくださいよ」

「ふむ……どうやら君の頭は硬いらしい。仕方がない、君がそうならこちらにも手段がある」

「手段……?」


 センパイは手荷物を通路において、ニタリと不気味な笑顔をこちらに向ける。

 ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。雪とはまた別の、悪寒とでも呼ぶべき寒さが俺を襲う。


「そう。手段だ、よッ!!」

「なぁ──ッ!!?」


 センパイは目にも留まらぬ早業で俺の右腕を掴み、反対の手でドアを開けて俺を押し込む。

 寒いボロアパートの通路から一転、多少の寒さはあるものの外に比べて幾分か暖かな梨々花先生の家の玄関に俺の場所は切り替わる。

 ……困惑。なぜセンパイは俺をこの梨々花先生の部屋に押し込んだのか、その意図を測りかねて扉の方に振り返ると……。


「──もしもし? ああ、警察の方ですね? 今、N県N市C区T町のイブキアパートに不法侵入者が」

「ストップセンパァイッ!!!」


 堪らず俺はセンパイの口を止めようとドアノブを捻るが、扉は微塵も動く気配はなく。

 ……原因はセンパイの馬鹿力だ。彼女のパワーはつい先程体感した通り。

 俺が全身で扉に体当りしても、センパイが抑えている限り、決して扉が開くことはないだろう。


「なんてね。これは単なる演技さ。君が今、罪を犯しているいると実感させるための、ね」

「っ……センパイ、なにが目的ですか!?」

「なにって、これが手段だよ」

「まさか……」


 覗き窓からセンパイの爛々と輝く黒目がこちらを覗き込む。


「さて、梨々花女史の部屋に無法にも忍び込んだ不法侵入者クンよ。通報されたくなければ私の言うことを聞くのだよ」

「……だとしても、僕が真実を話せば警察の人はセンパイのことも黙っているはずがありません。その手段は自分の首を締めていることを分かっていますか!?」

「何も通報するのは警察だけではないよ。ゴシップ好きな我が校の新聞クラブあたりに売り渡せば、中々愉快なことになるだろうねぇ」


 脳裏によぎる壁新聞……彼らの記事が原因で成績を落とした運動部や冷遇されるようになった教師が何人かいる。……“ペンは剣よりも強し”と言うけれど、彼らの場合は悪趣味すぎる力である。


「あなたは悪魔ですか……!?」

「ハハハ……楽しければ私は悪魔に魂を売るし、神に中指を突き立てるのが私だよ!」


 自分の未来と今を天秤にかける。

 ……ため息、一つ。口から魂が出てしまうような苦々しい息を吐いて、観念する。


「わかりましたよ。もう、勝手にしてください」

「その言葉を待っていたよ」


 そして、扉が開く。そこには満面の笑みを浮かべたセンパイが雪を払いながら立っていた。




 ……梨々花先生の部屋には何度か入ったことがある。

 大抵いつもは脱ぎ散らかした服や空になったビール缶が散乱しており、社会の闇を感じる一室である。しかし、今日は大晦日だからかきちんと掃除されており、そういった社会の闇を感じない一般的な独身女性の部屋であった。……一般的な独身女性の部屋とは何か自分でもよく分からないが、とにかくいつもに比べてきれいな部屋だった。


「……それで、今日呼び出した理由はなんです? 珍しいものって、その風呂敷の中身ですか?」

「そうだよ。実家で開けるには少し面倒でね。呑んべえの梨々花女史の部屋であれば良いだろうと持ってきたのさ」

「……ひょっとして、お酒ですか? 高級な日本酒とか、ワインとか……」

「その答えはこいつさ」

 部屋の中央にあるちゃぶ台に、センパイは風呂敷から一本の瓶を取り出す。

 ラベルはない。ただ透明な瓶の中に白く濁った液体が満たされていた。


「これは……にごり酒、ですか? だけど、ラベルがないのは……」

「ああ、その理由は私が自作したからだよ。酒というのは案外簡単に出来るものでね、口噛み酒という言葉くらい聞いたことはあるだろう? こいつはそういう一品さ」

「……そうなんですか。確かお酒を作るのには免許が必要でしたよね? センパイって持っていたんですか?」

「うんにゃ、持っていないよ」

「……はぁ?」


 反応が一歩遅れる。センパイはくるくると瓶を回して、中身の様子を面白そうに眺めている。


「つまり……密造酒ってことですか? それは」

「ああ、そうだね。まあでも、梨々花女史も学生の頃、仲間の内で酒を作って回し飲みしていたと。先人がいるなら問題はないだろう」

「反面教師という言葉を知っていますか!? 今回ばかりは見逃せません、早くそのお酒をこちらに渡してください!」


 瓶を掴み取ろうと手を伸ばす。が、センパイはひょいと躱して瓶を背後に隠す。


「うわっとっと……突然何をするんだい!?」

「センパイが法律をいくつも犯しているから! その証拠を抑えようとしているんですよ! 最悪、窓の外に投げ捨てます!」

「君は禁酒法のブルドッグかね!? マサカリを持ち出してきたら流石の私も敵わないぞ!」

「何の話ですかそれは!」


 何度も手を伸ばして証拠物品……つまり、センパイお手製のお酒を取り押さえようとするが、センパイは機敏な動きでその尽くを回避してしまう。

 さながらピエロのジャグリングのように、センパイは瓶を自在に動かして踊るように俺を翻弄する。


 ……さて。ここでセンパイが取り回しているのはボウリングのピンやお手玉などではなく、お酒の瓶……それも口はコルクと蝋で抑えただけの代物だ。

 そう何度も投げたり、回したり、振ったりすれば当然、中身の炭酸ガスが瓶の中に充満していく。多少は耐えれても、その許容量を超えてしまえば?

 答えは簡単だ。


「「あ」」


 ポァン! と、盛大な爆発音が二人の間に響いた。

 二人が後悔したのはこの瞬間。

 少年はこんな追いかけっこをするくらいなら、さっさとケータイで通報すれば良かったと。

 少女はこんな下らない遊びをするくらいなら、さっさと中身を堪能すれば良かったと。


「……とどのつまり、ロクでもないのが今日という日さ」

「年末の大晦日になんてことを……」


 白濁と濁るアルコールを頭から被りながら、二人は呟く。

 これが、今に至るまでの1時間であり、梨々花先生が戻ってくる3分前のことであった。


 ──そして、今に話を戻す。


 がちゃり、……がちゃん。鍵を閉め開けする音がした後、のろのろと扉が開く

 扉から顔を覗かせるのは蛇目梨々花……社会科の教師であり、学校随一の呑んべえとして有名な美人教師である。中身がパンパンの買い物バッグを片手に帰宅してきた。

 ──困惑と憂鬱から覚めぬ中、現実がもうスグそこまで来ていた。


「あーれー? 鍵を閉めずに出かけちゃったけなーって凄い酒臭い! 何が合ったの……って、あれ?」

「誠に申し訳ございませんでした!」


 困惑しているのは梨々花先生もだが、そんなことよいもこちらの謝意を示すのが先である。

 俺は頭を床に打ち付ける勢いで土下座し、それを梨々花先生は理解しきれない苦笑いで見つめ、センパイは冷めた目で見下ろしている。


「センパイも! 早く!」

「嫌だよ。謝罪なんて、つまらないじゃないか」


 このっ……社会不適合者がッ!


「あーうー……大方、りんさんが龍海たつみくんを引きずり回してわたしの部屋で酒盛りしようとしていた……ってところだよね?」

「大方は。スペシャルドリンクとして私が造ったお酒を堪能しようとしたのだが……ま、現実はご覧の有様だよ」


 あたふたと部屋を見渡す梨々花先生に、センパイ(本名:桐生院きりゅういんりん)は親指でほとんど中身を無くした瓶を指差す。


「うーん。そうねぇ、教師としては色々言うべきだけど、学校はお休みだし……そういうあれそれ、凛さんには無意味でしょう? なんでわたしの家に入っているのとか聞いたって、凛さんは曖昧な笑顔を浮かべるだけでしょ」

「そうですね。多少の犯罪はいくらでももみ消せますし、その理由も言う必要ありません」

「だよねぇ……」


 いったいその権力はどこから出ているのか……センパイは一部からわが校の皇帝と呼ばれ畏怖されているのだ。


「ですので、わたしはただの“蛇目梨々花”として説教することにします。お二人とも、ヨロシイですね?」

「はい。いかなる処分も……」

「どうしてわたしを待ってくれなかったんですかぁ!!? わたしも飲みたいのにぃ!!」

「受け、ぇええええええ!!?」


 退学処分すら視野に入れていた自分に降りかかる怒声は、呑んべえのワガママそのものであった。

 粛々とした俺の言葉は驚愕の絶叫に様変わる。


「仮にも教師でしょう!? もっとこう、大人としてのセリフを……」

「嫌ですよう、そんな堅苦しい肩書なんて。さっき言った通りそういう立場は職場以外で振り回すモノじゃあないんですよ。今の私は年末に現れる酒呑みモンスター、アルコールが0.1%でも含まれていればわたしは全てを呑み干しましょう!」

「梨々花……せんせい……」

「だから、先生じゃありませんよぅ。今のわたしをそんな風に呼ばないでください」

「りり、か……」

「はぁい、たつみくん!」


 プシュ! とどこからともなく取り出した缶ビールのプルタブを開けて、梨々花先生……改め酒呑みモンスターはビールをゴクゴク飲み始める。

 ふと、先生が持っていた買い物バッグの中身を見れば大量の酒とおつまみの山で埋め尽くされていた。


「……なんて、だめな大人なんだ……ッ」

「それが梨々花女史……いや、梨々花だからな。わたしが会場を選んでいないとでも思っていたのか?」


 キメ顔で僅かに残った瓶の中身を3つに分けるセンパイ。


「……ええ、まあ、納得しましたよ」

「なら良い。さあ、早くこっちにこい。私お手製の酒を皆で堪能しようじゃないか」

「はぁ……了解、です」

「なんだ、まだ残ってたのぉ? 早く教えてくれてもいいじゃん!」


 先生の肩書をかなぐり捨てた梨々花先生は大きな女児のように両手をついてアルコールまみれのちゃぶ台に近づいていく。

 俺も、本日何度目かのため息をついてちゃぶ台に向かう。

 いつの間にかちゃぶ台には大量のおつまみが並び、酒まみれの床には幾つものアルコール飲料が並んでいた。……いったい何時こんな準備をしていたんだ。

 センパイを睨む。彼女はそよ風を受け流すように俺の視線を無視する。

 ……まったく、彼女に勝てる未来なんてどこにもないと思えてしまう。


 俺と梨々花(先生)が席をついたのを確認して、センパイは口を開く。


「今年1年の苦労と楽しみ、そして来る来年に向けて乾杯だ!」

「……かんぱい」「かんぱ~い!」


 センパイの音頭に合わせて小さなおちょこを静かにぶつける。

 そして……ぐいっと一杯、禁酒を呑み干す。

 喉を焼くようなアルコールの感覚、甘くて辛い大人の飲み物。

 今年1年を思い返す。そして、来る一年へ思いを馳せる。


「そーだそーだテレビつけようぜぇ。こーはくこーはくぅ!」

「今の時間だとまだ早いですよ。ここはチャンネルを回しながら酒とつまみを楽しみましょう」

「それもそーだねぇ。んじゃ選局は任せたぁ!」

「俺ですか……んじゃ映画とかどうですか?」


 そんなこんなで夜が更ける。しんしんと降り積もる白雪のように、俺は酒を飲んでいく。


 夜はまだ、長いのだから。眠るには、まだ早すぎるから。

 何を忘れていようと関係なく。一年が終わるその時まで、今年を肴に愉しもう──


 


 ──眩しい日差しで目が覚める。

 時計を確認すると、初日の出はとっくに終わっているようだ。

 ズキズキと痛む頭を抑えながら当たりを見渡すと、散乱した酒瓶と缶ビールの合間にセンパイと梨々花先生が倒れ伏していた。あの強烈なアルコール臭は更なるアルコールの追加で更に濃厚になっていた。


 頭を掻く。何か忘れているような気がして、はたと気づく。


「……しまった、掃除し忘れた」

「たつみくぅん……うるさいよぉ……」


 今年1番にすることは去年のやり残し。確かまだ……トイレ掃除が残っていた。

 ああ、まったく……面倒だ。

 そう思いながら、俺は再び眠ることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呑んべえ・イン・ザ・ニューイヤー 菜花日月 @Rise_and_Down

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ