お正月③『お酒と寝正月』

 1月2日。


 叶実かなみさんと年越しを過ごし、小榎さんとの初詣に出掛けた次の日。


 僕は姉さんが住んでいるマンションの一室を訪問していた。


 それは、弟として姉さんにも新年の挨拶をしておこうという、親孝行ならぬ姉孝行をしようとした――わけではない。


「…………あー、やっぱり」


 現在、僕の目の前に広がっている光景。


 それは、リビングをこれでもかと散らかしたと思われる姉さんがソファの上でお腹を出しながら眠っている姿だった。


「……へへっ、休みさいこー」


 普段はスーツをビシッと着こなして仕事をする姉さんとは打って変わって、上下鼠色のスウェットを着たまま寝言を呟く。


 そのだらしなさは、まさに普段の叶実さんを彷彿とさせるものがあった。


 ただ、叶実さんと違う点といえばテーブルに飲み干されたお酒の缶が陳列されていることくらいだろう。


「……もう、そんなお腹出してたら風邪ひくよ」


 そう言いながら、僕は蹴落とされていた毛布を姉さんにかけてあげる。


「…………ん? つくし……か?」


 すると、僕に気付いた姉さんが寝ぼけ眼を擦りながら目を覚ました。


「おはよう、姉さん。って言っても、もう昼頃なんだけどね」


「えっ、マジで……? うっっ……!」


 スマホで時間を確認すると、姉さんは苦しそうに口元を抑える。


津久志つくし……みっ、水……たのむ……!」


 すっかり二日酔いになってしまっている姉さんの為に、僕は台所に行って水を汲んであげる。


「さんきゅー……助かるわ……」


 ごくっ、ごくっ、と、砂漠から生還した探検家のように水を勢いよく飲む姉さんに、僕はため息交じりで小言を呟く。


「姉さん。いくらお正月だからってお酒の飲み過ぎは駄目だよ」


「馬鹿、こんな長い休み貰えんのは正月くらいなんだから飲まなきゃ損ってもんだろ……ああ、気持ちわりぃ……」


 そう言ったものの、少しだけ顔色が良くなった姉さんは、もう一度僕を見ながら告げる。


「ってか津久志。お前、なんでウチにいるんだよ?」


「今日は部屋の片づけに行くからって連絡したでしょ? まぁ、既読になってなかったから見てないとは思ってたけどさ」


「ああ? そうなのか。お前も大変だな」


「なんで他人事みたいに……」


 少しは悪びれるようなことを言ってくれるかと思っていたけれど、今年もぶれない姉さんだった。


「まあいいじゃねえか。正月なんて食って寝て過ごしゃあいいんだよ。その為に普段は汗水たらして働いてんだからな」


 本人の言う通り、僕の姉さん――瀬和せわ霧子きりこは出版社に勤める編集者として毎日忙しなく働いている。


 その為、僕とこうして直接会ったのも一ヶ月振りで、年末は特に多忙を極めた結果、それが年始に爆発してしまい、このような惨事になってしまっているようだ。


 だが、姉さんは先ほどまでの不調が嘘のように、鋭い眼差しを僕に向けながら言った。


「で、津久志。あいつの原稿、全然進んでねえだろ?」


 あいつ、というのは当然、彼女の担当作家である叶実さんのことだろう。


「……な、なんのことでしょうか?」


「おいおい、とぼけるんじゃねえぞ津久志。このあたしを騙そうなんざ、百年早いんだよ」


 冷や汗が止まらない僕に対して、姉さんは容赦なく詰問する。


「あのぐうたら作家が正月から随分とまあ暢気にゲーム会を開いていたそうじゃねえか? このあたしに『仕事をしてる』って嘘の連絡まで寄越してよ……」


「どっ、どうしてそれを!?」


「このあたしを舐めるなよ? あいつの情報を貰えるのはお前だけじゃねえんだよ」


 にやりと笑みを浮かべる姉さんは、たとえ寝癖がついただらしがない恰好だったとして、その威圧感は普段と何も変わらないものがあった。


 そして、姉さんの言う通り、叶実さんは僕を通して姉さんに『お正月も原稿書いてます!』と連絡をしたのち、同期の作家仲間である日輪さんと新年ゲーム大会を開催して楽しい時間を過ごしていた。


 まさか、極秘に開かれたこのゲーム大会が姉さんにバレるなんて……まさか日輪さんが姉さんにリークしたのだろうか?


「情報源は教えてやらねえが、正月明けに会いに行ったときは、とことん説教してやるぜ」


 くっくっくっ……と悪魔の笑みを浮かべる姉さん。


 この場合、僕は先に叶実さんに教えるべきか、それとも知らぬが仏がつかの間の幸せなのか判断が難しいところだ。


「ま、それも仕事開きの楽しみにしといてやるか。それより津久志、なんか適当に作ってくれよ、腹減った」


 そう言って、マイペースな姉さんは再びソファに寝転がって瞼を閉じる。


 どうやら、僕の片付けや料理を作っている間にもうひと眠りするつもりらしい。


「……あのさ、姉さん」


 ただ、その前に少しだけ、僕は姉さんに伝えておくことにした。


「叶実さん……凄く大変そうだけど、本当にいい作品を作ろうとして頑張ってるよ。全然原稿が進まないのもファンの人たちの期待を裏切らないようにって……」


 確かに叶実さんは毎日ぐうたら過ごすことが多くて、無駄遣いもよくするし何度言ってもお菓子を食べすぎて手を焼くところがあるけれど――。


 それでも、僕は叶実さんが『ヴァンラキ』と同じくらいの――いいや、『ヴァンラキ』を超える作品を創り出してくれると信じているのだ。



「……知ってるよ」



 だけど、そんな風に思ってくれているのは、僕だけじゃなかった。



「あたしは、あいつの担当編集だからな」



 姉さんにとって、叶実さんを評価する言葉はそれで充分みたいだ。


「だから、お前が甘やかしてる分、あたしが厳しくするくらいが丁度いいんだよ」


 そう言い残して、今度こそ姉さんは寝息を立てて目を閉じる。


「……本当に、姉さんは昔から損な役割にばっかり回るんだから」


 そんなことを呟きながら冷蔵庫を開けると、お酒ばかりが入っていて使えそうな食材は殆ど残っていなかった。




 仕方ない、姉さんがゆっくり眠っている間に少し買い物に出掛けてこよう。


 お正月くらい、親孝行ならぬ姉孝行をしておかないとね。


 

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