お正月④『BACK TO THE OSYOUGATSU』


「……津久志つくしくん、タイムトラベルってさ、現実的に可能だと思う?」


 夕ご飯も食べ終わり、残りの洗濯物を畳んでいる僕に対し、バランスボールに背中を預けて天井を見つめる態勢を保ったまま、叶実かなみさんが議題を振ってきた。


「わたしはね、可能だと思うんだ。だってさ、タイムトラベルの原理は何百年も前から実際に世界中の科学者たちが議論と研究を重ねていて、アインシュタインが唱えた相対性理論を元に考えると空間の時間的概念は決して固定されていないわけで、後は反重力物質の研究と原子衝突によるブラックホール生成の実験が成功さえすればタイムトラベルは出来るんだよ」


「あー、はい。そうですね」


 僕の適当な返事にも一切のクレームを言わずに、叶実さんの話は続く。


「それにさ、タイムトラベルを否定しちゃうとドラえもんはのび太くんを救う為に未来からやって来れないし、ドクはデロリアンを完成させないまま一生を終えることになっちゃうんだよ? そんなこと、絶対に起こっちゃ駄目だよね?」


「……あー、はい、そうですね」


「ねえ、津久志くん? ちゃんと聞いてる?」


 流石に2回目ともなると看過できなかったのか、背中でバランスボールに乗ったまま僕のほうへと視線を向けた。


 ただ、逆立ちをしているかの如く顔は普段とは違う反対方向に向いてしまっている為、さながら悪霊に憑りつかれた少女のような体勢となってしまっている。


 夏だったら恐怖体験としてぴったりの怪談話だったのだが、生憎と季節も真逆だ。


 それでも、僕が何かを言わなければ物理的にも心理的にも叶実さんの頭に血が上ってしまうので、僕はばっさりと彼女に告げることにした。


「叶実さん、いくらそれっぽいこと言っても、もうお正月休みは返ってきませんからね」


「やだやだやだやだやだやだっ! 返してよ! わたしのお正月休みを返してよっ!」


 うわああああん! とじたばたと暴れる叶実さんだったけれど、当然そんなことをしても時空が歪んで過去へ戻れるはずもなく、只々バランスボールから落下するんじゃないかと僕の不安と心配が膨張するだけなので、話しくらいはちゃんと聞いてあげることにした。


「なんで休みってこんなに早く終わっちゃうの! ついさっき、年が明けたばっかりじゃん!」


「いや、それは流石に言い過ぎだと思いますけど……」


 僕も色々と出掛けたり姉さんのマンションへ顔を出しに行ったりもしていたけれど、年末年始の間は基本的にこの部屋で叶実さんと一緒に過ごしていた。


 テレビや映画を見たり、ゲームもTVゲームからレトロなボードゲームまでやって、僕としては休みを十分に満喫したと思っている。


「楽しかったよ! 楽しかったけどっ! わたしはもっと津久志くんと遊びたかったんだよ……!」


 涙目になりながら呟く叶実さんを見てしまうと、僕としても心が動かないわけではない。


 それに、世間では今日から仕事始めの人も多かったようで、某SNSでは社会人の皆さんが今年初めて出勤するであろう鬱々としたツイートで溢れかえってしまっていた。


 それこそ、相対性理論に基づいて言うのであれば、楽しい時間はあっという間に終わってしまったのだろう。


 今回ばかりは、いつもの叶実さんが引き起こす『わがままぐうたら症候群』というわけでもなさそうだけど……。


「ううっ……仕事したぐないよぉ~~! 一生遊んで暮らしたいよ~~!!」


 なんか……駄目人間の最上級発言が出てしまっているような気がする。


 ただ、質の悪いことに叶実さんは普段からの散財生活を節制すれば、暫くは既刊本の印税で暮らしていけるくらいの算段はあるので――担当編集の姉さん曰く、今も『ヴァンラキ』の電子書籍はそれなりに売上が好調のようだ――あながち、その発言は現実味を帯びてしまっているのだ。


 まあ、今回も休みが終わってしまうという危機的状況が叶実さんを精神的に追い込み、現実逃避を起こさせてしまっているだけだと思うので心配はいらないのだろうけど、念のため、釘は打っておくことにしよう。


「……あの、叶実さん。さっきのタイムトラベルの話の延長になるんですけど、出来る出来ないは別にして、僕は過去にも未来にも行かなくていいと思います」


 ん? と、バランスボールの上で起き上がった叶実さんが座って首をかしげる仕草を見せたあとに、僕は言った。


「だって、過去の出来事が積み上がって今の僕がありますから。それに、未来で何が起こるか分からないから、楽しいこともいっぱいあるんじゃないですか?」


 そして、僕は叶実さんの眼を見ながら、はっきりと告げる。



「だから僕は、このまま今の時間を過ごして、叶実さんの書く小説を待つことにします」



「…………そっか」


 果たして、僕の意図が伝わったのか、叶実さんは真剣な顔を向けて言った。


「津久志くん、わたし、頑張るっ! 津久志くんやみんなの為にも!」


「叶実さん……!」


「但し! 条件があります!」


 じょ、条件?


「今夜だけ! 明日から頑張るご褒美としてアイスを2つ食べてもいい権利をくださいっ!」


 ピンッ! と2本の指でしっかりとVサインを作る叶実さん。


 その真剣な表情に、僕は思わず呆然としてしまったけれど、最後は盛大にため息を吐いた。


「……もう、今日だけですからね」


「うんっ! ありがとう! 津久志くんっ!」


 返事するや否や、叶実さんは冷蔵庫があるキッチンまで一目散で走っていってしまう。


 そのすばしっこさは、白のパジャマ姿というのもあって、さながら野山を掛けるウサギのようだった。


 そして、宣言通りに満面の笑みでスプーンとアイスを2つずつ持ってくる。


 まあ、これくらいの贅沢で明日から原稿を書き始めるやる気が上がってくれるなら、僕としても一安心だ。


「はい、津久志くん」


 ただ、僕にとって一つだけ、叶実さんが予想外の行動を取った。


「津久志くんも一緒に食べよ!」


 そう言って、叶実さんは自分の持ってきたアイスとスプーンを手渡してくる。


 僕はてっきり、叶実さんが自分の為に2個のアイスを取ってきたと思ったのだが、ちゃんと僕の分を取って来てくれたようだ。


「……ありがとうございます、叶実さん」


 なので、僕が素直にお礼を言うと、叶実さんはまた笑顔になって、今度は僕の隣に座ってアイスの蓋を開ける。




 これが、叶実さんと僕が過ごした年末年始の最後のイベントで、本当に何気ない、それこそいつもと変わらない僕たちの日常だ。


 だけど、そんな日常が僕にとっては当たり前のものになって、叶実さんと過ごす日々はあっという間だということを実感してしまう。


 だから、もしも僕が今後アインシュタインの相対性理論を語らなければいけない場面があるのだとすれば、きっと叶実さんと過ごした今日の出来事を話すだろう。


 但し、そんな日が来るのかどうかは、タイムトラベルなど出来ない僕には答えようもない未来だった。

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甘えたがりなぐうたら彼女と、僕の日常はこれからも続く ひなた華月 @hinakadu

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