第4話 今、学部を変更するの!?
公園で少しだけ余分に時間を潰してから丘を下った。一緒に駅のほうまで歩くのは相手にも悪いと思ったから。
予定よりも、長く外出をしてしまった。予備校が入るビルまで戻ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
私は、いつものように裏口から中に入った。裏口と言っても、突貫で作られた扉の方からだが。
ビルに入ると、急にトイレに行きたくなる。話に夢中で気が付かなかった。四階までもちそうにないので、私は一階のトイレに駆け込んだ。
トイレを出ると、廊下の奧で警備員さんが何かしていた。いつも控室にいる顔なじみの警備員さんが、赤いコーンを移動させているようだ。
「いつまで、このドアから出ればいいんですか?」
問いかける私に、警備員さんが不思議そうな顔をする。
「いや、コーンの位置が移動してしまっていたようで。裏口は、いつもの方を使ってください」
「そうなんですか。私、こっちの扉を使っちゃいました」
臨時で作られたであろう扉を指さす。
「こっちの扉は閉まってますよ。扉の先は、工事中で大きな穴があります」
「はい?」
言葉の意味が分からない。閉まってる? 穴?
「いや、確かに……私は……」
「夜に工事をするんです。工事の人がビル内の自販機を使えるように臨時の扉が作られました。工事は……そろそろ始まるってところですね。一般人は通れませんが」
嘘でしょ、そんなわけ……と口から出そうになる。だけど、警備員さんが嘘を言っていると思えない。
変なことを口走って、裏口を使わせてもらえなくなったら困る。警備員さんに顔を売って勝ち取った、私だけの特権。
工事とか穴とかは、あとで外を確認すれば分かること。
私は「そうですか」と、素直に返事して立ち去ることにした。
* * *
エレベーターで四階に移動。開け放たれた予備校の入口から、中に入る。アドバイザーと話すための二人掛けの机が四つ。
その向こうは、ガラス越しに多数のブースが見える。ヘッドフォンを付けて講座の動画を見ている高校生たち。
「遅くなりました」
少し散歩に出ますと告げて出ていた。少しが一時間になってしまった。
「遅いので心配したわ」
担当の大学生アドバイザーに会釈してブースに戻った。席は、カバンを置いて確保していた。
室内の暖房で、体の芯まで冷えていた体が温まってきた。
そうそう、ラノベ。
私はコートのポケットから貰ったラノベを取り出す。
席について、それを観察する。数ページだけ読もう。すぐに勉強にもどるから。
私は自分に一時的な許可を与えて、小説のビニールを丁寧にはがした。
店頭に並ぶ前の書籍を頂けたのだ。なんと、ラッキーなことだろう。明日になり書店に並ぶと、希少価値が失われる。今、読むからこそ、価値があるのだ。
プロローグだけ、そのくらいならバチは当たらない。
まずは、裏表紙を確認する。私は作者のプロフィールなどを知ってから読む派。文章を読みながら作者をイメージするのが好きなのだ。
性別すら分からないペンネームが多いが、だからこそ、出来るだけの作者情報を得てから読み始めたい。
「嘘……でしょ」
開いた裏表紙に書いてあったプロフィール。作者は知らない人。だが『イラスト ブサ猫ちゃん』との記載。
ハナのオリジナルキャラクター。ペンネームが被ったのかな? あのお姉さん、スマホに『ブサ猫ちゃん』のストラップをしていた。どういうこと?
しかし、驚きはここで終わらなかった。
『発行 2032年12月16日 初版』
10年後……。
これが誤植とは思えない。
私は本を閉じて、カバンに入れた。混乱して内容を読む気にならなかった。
アドバイザーの視線が気になったので、ディスプレイの電源を入れて授業を再生する。
しばらく、視聴するが全く集中できない。
これ以上は効率が上がらないと判断した私は、早めに帰宅することにした。
いつものように裏口から外に出て、ビルをぐるっと回る。そこには、工事中を示す立て看板とフェンス。
内側には大きな穴が掘られていた。現場では夜の作業が始まっていた。
それを見た私は、驚かなかった。
* * *
自宅のある最寄り駅で電車を降りる。
スマホがブブっと震えたので、ベンチに腰を下ろして確認した。ハナだ。
『あー、講義やっと終わった。どっかでお茶しない?』
メッセージの後に、自作のブサ猫画像。いつ書いてるの? まさか講義中にスマホで?
突っ込みの返信をしようと頭をよぎるが、やめておいた。
『早めに帰宅中 もう、最寄り駅』
『なんだよー 裏切者~』
私はハナの返信をスルーし、別の内容を返信した。
『そうそう、ブサ猫ちゃん、ヒットするかもよ』
『でしょ、だって可愛いもん』
『10年経てば』
『何それ? そんなに、待てないって!』
『私、学部を変更する』
『ヒナノ、正気? もう12月だよ!』
ハナの返答は正論。だが、私の決心は固かった。
『私、文学部にする 日本語をちゃんと勉強しよっかなって』
送信ボタンを押すと、スマホをポケットにしまった。
そして私は、ハナの返答を待たずにベンチから立ち上がった。
(了)
【受験生応援】未来のことなんて、分かるわけないじゃん! 桜猫あんず @sakuraneko_anzu
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