第3話 『異世界 予備校生』って!?

 しばらく、音と言えばキーボードを叩く音だけだった。


 全然、集中できない。


 何をしている人だろう。こんなところで、パソコン作業をするなんて。


 しかも、時々、独り言。「くそっ!」とか「なんだよ!」とか。私が居なければ、もっと大声で言っていただろうと思われる苦言の数々。


 若い女性が、社会で活躍するには、このくらいの図太さがいるのだろうか。私には無理かもしれない。穏やかに、叱咤とかされないように生きていきたい。


「ふう。ひとまず送信っと」


 女性はノートパソコンを閉じ、脇に置いた。そして、地面に置いていたカバンから缶コーヒーを取り出す。


「お仕事ですか?」


 私は詮索が好きな方ではないが、今、聞かないとモヤモヤが残ってしまうと思った。


「編集者やってんの」


「す、すごいですね。雑誌とかですか?」


 マンガ研究部の研究対象は、出版物を含む。マンガやライトノベルなどだ。いつかはマンガ家デビューを目指すハナも、編集者と聞けば目の色を変えるだろう。


「小説。若い人が読むような。そう、あなたくらいの年齢の男女が好みそうなやつ」


 女性はコーヒーの缶を片手に持ったまま、体を私の方に向けた。


「それって、ライトノベルってやつですか!」


 つい、言葉に力が入ってしまった。


 ライトノベル、通称『ラノベ』は、私の大好きなコンテンツ。夏休み前までは、よく読んでいた。今は受験期なのでラノベ絶ちをしている。ときおり「ああ、読みたい!」と衝動に駆られることがある。


 だけど、手を出してしまうと終わりだと分かっているので我慢。おそらく、止まらなくなって徹夜も辞さずになるだろう。そんな私の前に、ラノベ編集者がいるのだ。声が上ずっても仕方がない。


「今、原稿の確認をされていたんですか?」


「ええ、そうよ。新人を発掘して、捕まえて、育てるの」


「育てる?」


「最近は、ネットで小説公開できるでしょ。そこで、ウケているのを一本釣りするんだけどね……これが、また大変で」


「ちょっと手直しすれば、出版できるんじゃないですか」


 女性は、笑いながらナイナイと手を振った。


「ストーリーや着想は面白いけど、文章が滅茶苦茶で日本語になっていない、時間軸が合っていない、キャラの性格が一環していない、伏線が回収されていない、みたいな作品は数え上げたらきりがない」


 女性はコーヒーを一口、飲んでからハハハと楽しそうに笑った。内容は苦言に聞こえるが、それが嫌なようには見えなかった。


「なんで、こんな丘の上の公園で作業をしてたんですか?」


「ああ、この近くに新人さんがいてね。大学生。あなたより、何歳か年上くらいの女の子。投稿サイトでバズってね。出版しませんかと、提案したんだけど。本人が混乱しちゃって。直接、話に来たってわけ」


「そうなんですね」


「編集者って、何人もの作家さんを掛け持ちしててね。今日締め切りの原稿の返答、時間がないのでここで作業をしてたってわけ」


 書籍化されても、決して名前が出ることがない職業である編集者。その人たちのおかげで、一定の品質が担保されているのだ。


 頭では知っていたが、実際に聞くとリアリティがあった。


「もう、作業はいいんですか?」


 私が邪魔をしていると申し訳ないと思って問いかける。


「今日は、さっき送ったので終了。直帰ってやつ」


 女性は、両手を上げ、大きく伸びをした。


「あのっ!」


「なあに?」


「し、仕事は、楽しいですか?」


 たいした質問ではないのだが、聞いていいものやらと思うと言葉に詰まる。


「ええ、もちろんよ」


「どの辺がですか?」


「ライトノベルのジャンルっていえば、何を思い浮かべる?」


「異世界ファンタジー、現代ファンタジー、あとは、ラブコメかな」


 若い人に人気なのは、やはりその辺り。


「誰が書いてると思う?」


「二十代か、いっても三十代前半ってところかな?」


 読者層の気持ちが分かるのは、年齢が近い人、そう思った。


「確かに多いけど、もっと年がいった人もいるのよ。五十代で高校を舞台にしたラブコメを書いて出版した人もいるのよ」


 お父さんくらいのおじさんが、高校ラブコメ……何だか微妙な気分。私は首を傾げた。


「全然、変じゃないと思うけど。自分の子供が高校生なら、どんな様子か分かるじゃない。だったら、ラブコメだって書ける」


 一理あるかも。若い人の間でヒットしている歌謡曲だって、作詞家がかなり年配だったりする。


 好きとか、嫌いとかって歌詞を、おじさんが書いているのだ。確かに、おかしくはない。


「あなた、もしかして、ラノベ好きなの?」


 私の食いつきの良さから、趣味がバレてしまったらしい。私はコクリと頷いた。隠すことじゃない。相手はその編集者なんだし。


「私、そろそろ、帰るわ」


 女性は、ノートパソコンを肩掛けバッグに片付けて立ち上がった。


 もう少し、話を聞きたいところだ。だけど、私も勉強に戻らないと。


「そうそう、ラノベ好きなら、いいものあげる」


 女性は、バッグをガサガサと荒っぽくあさった。底の方から何かを取り出す。それは、スマホ。ストラップがついた。


 ――これって!!?


「スマホが出したいんじゃなくって……」


 カバンにスマホを入れて、再びガサガサをやり始める。


 さっき見た、ストラップは……。


 見間違いかもしれない。


 一瞬だけだったから。


 しかし、ストラップには確かに、ハナが作った『ブサ猫ちゃん』がぶら下っていた。


 自作したものを、ついに売り始めた? 私に黙って!?


「あっ、これこれ」


 女性がカバンから取り出して、私に差出したのは一冊の小説。透明なビニールでラップされた新品のライトノベル。


「明日、店頭に並ぶ本。何かの縁ってことで、特別サービス。私が担当したのよ。絶対ウケると思ってるわ」


 女性は不器用にウインクをしてみせた。


「あ、ありがとうございます」


 私は立ち上がって、それを両手で受け取った。


『異世界 予備校生』


 どんな物語? ストレスでおかしくなった受験生が異世界に転生するのかな? これが、本当にウケるのかは分からない。


 でも、久しぶりに新刊のライトノベルを手にした私の心臓は、バクバクと高鳴っていた。

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