第2話 そこは、私の指定席なのに!

 スマホで返事を書きながら、一階の廊下をビルの奥側へと歩く。


 私は、ビルの表側の自動ドアからは出ない。警備員室の前を通って裏口から出る。入るときもそう。ちゃんと理由はある。


 ここの予備校に通い始めたのは、高校一年から。うちの学校では、相当に早い方だ。親にすすめられたからだが、別にいやだった訳ではない。


 ただ「あいつ、もう予備校に行ってる」と言われたくなかったので、裏口から出入りしているうちに習慣になってしまったのだ。


「あっ!」


 ガタガタと、大きな音が聞こえたと思うと、私は床に転倒していた。同時にスマホを落としてしまう。


「痛っ」


 目の前には工事現場に立てられている赤い三角コーンが二本倒れていた。スマホに夢中で気が付かなかった。やっぱ、歩きスマホは危ない。


「ごめんね、ブサ猫」


 スマホごと、キーホルダーを床に落としてしまったことを謝罪した。


「あれれ?」


 周囲の様子がいつもと違う。一階の奧は工事中のようだ。廊下の突き当りを左に曲がると裏口の扉。


 右に曲がるとトイレだ。トイレの入口前に見たことがない扉が作られていた。


 赤いコーンは、いつもの扉を使うなってことだったのだろう。


「こっちから行けってことね」


 私はブツブツと呟きながら、倒れていた二本の三角コーンを立てる。いつも使う扉側を通せんぼしてから、新しく作られた鉄の扉から外に出た。


 ビルの外は真冬の寒さ。思わず身震いした。


 もう師走だから……とか考えながら、私は裏通りを歩く。


 向かう先は決まっている。小高い丘の上の公園だ。裏通りから、細い階段を登った所にある小さな公園。そこから、街が一望できる。


 予備校で気分が乗らなくなったら、公園でベンチで単語帳を覚えたりするのだ。自分で時間調整ができる映像授業のメリット。


* * *


 冬の公園。小さな広場と、砂場の横には滑り台。典型的な街中の公園。


 私の席は決まっている。公園の向こう側。木々に隠された先に二つのベンチがある。入口からは見えない隠れ家的な場所。その右側のベンチが指定席。


 ボロボロの木のベンチなので、誰も使いたがらない。私には願ったり。小さいタオルを敷けば十分に座れる。


 公園の入口から広場を横切る。木々の隙間を抜けて、街が見渡せる高台へ。


「へっ?」


 右側のベンチに人陰が。これまで、先約がいたことはない。昼間なら小学生がうろついていてもおかしくないが、この三年間、夕方に誰かいたことはない。


 木々の間を抜けた私は、左側のベンチの上にタオルを敷いて腰を下ろした。


 私の指定席に座る人物を横目で観察する。


 若い女性。何かに集中していて、こちらに気が付いていないようだ。


 それをいいことに、私は横目ではなく、あからさまに観察する。


 文字を打っている。膝の上にノートパソコンを拡げて、カタカタと叩いていた。上着はモコモコのダウンコート。下半身はスカート。就活とかで切るようなフォーマルなやつ。


 脚は細くて綺麗。肩まである髪は、夕方の太陽光を艶やかに反射していた。仕事がバリバリできるキャリアウーマンって感じ。


「あっ、気にしないで」


 私はビクッと背筋を伸ばす。気が付いていたの? この距離なら当然、気が付くか。集中していて、視線をこちらに向けなかっただけ。


「す、すみません」


「あなたが謝る理由なんて、ないわよ」


 こっちを向いた女性は、ニッコリと笑った。年齢は二十代後半あたり。笑顔はそれよりも、少し幼く感じた。


「高校生?」


 女性は、視線をノートパソコンに戻していた。キーボードのカタカタを再開しながら話しかけてくる。


「はい。じゅ、受験生です」


「へー、この時期大変でしょ。ここ、よく来るの?」


「予備校で気分が乗らなくなったら、いつも……」


「邪魔しちゃったかな。じゃあ私、作業してるから、気にしないで」


 女性は作業に戻った。


 私は英語の単語帳を出して目を通し始めた。ここに来た時は、いつ切り上げてもいい勉強をすることにしていた。英単語や古典の単語など。

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