第15話 纏足の舞踏の話
纏足。女性の足を折り畳み、
史実ものでもなければ、ライトノベル・ライト文芸の範疇で纏足が取り扱われている例は少ないですね。また、宦官の実態と同様、あまりに痛々しいので言及する必要もないと思っております。
(手前みそですが、清末の上海租界をモチーフにした世界観で、纏足が重要なキーワードになる作品を書いたことはありますが(https://kakuyomu.jp/works/1177354054880233762)、まあ例外でしょう)
とはいえ、舞踏を含んだ舞台芸術の話を書いていて、纏足との関係に思いを馳せることもありましたので、主に個人的な考えになりますがまとめてみようと思います。
具体的には──これまでにも語った通り、京劇では伝統的には男性が女性の役も演じていた訳ですが、「もしかして、女性は纏足していたから舞台に立てなかったのかな?」と頭を過ぎったのです。一瞬検討した後、「たぶん関係ないな」という結論に達したのですが、そう結論した過程は以下の通り。
拙作「花旦綺羅演戯」では意識してオミットしていますが、中国では古来、歌舞音曲に長け、作詩や書画の才にも秀でた妓女たちと文人が交流する文化がありました。そして、妓女たちが究める芸事の中には、芝居も含まれていたのです。拙作中では女は舞台に立てない、と断言していますが、史実に照らせば必ずしも真ではないということになりますね。(もちろん、作中世界の文化は史実とは異なるかもしれないし、妓楼で演じられる芝居と劇場で演じられるそれはまた別物でしょうし、水商売というくくりでは同じだとしても、結果的に(枕的な意味で)近いことをやっていたとしても妓女と役者はやはり別の
そして、当時の美意識に従って、当然のように纏足を施された妓女たちも多かったとのことなので、ならば(激しい武戯については分からないですが)纏足でも舞うことも芝居を演じることも可能だった、と考えられるでしょう。
実のところ、そもそも纏足をした女性は動きが制限される、というのも少々疑わしいのではないかと思っています。纏足した女性の写真を見ていると、どう考えても日常的に労働に従事していた人ではないのかな……? というものが多々見受けられますので。もちろん、纏足をしていない人のほうが自由に動けたのは間違いないのでしょうが。纏足についてしばしば言われるような、人に
ということなので、京劇に女優がいなかった理由としては、恐らく儒教的な思想で男女が同席できなかったり、女性が人前に出られなかったりしたから、のほうが大きかったのではなかろうか、というのが私の結論です。
それはさておき、京劇においても纏足の影はしっかりと見えるのが興味深いところです。舞台に立つのは男性の役者だけですが、どんな美姫でも衣装の裾から覗くのが大きい足では興醒め──だったのかどうか。纏足を模すためのアイテムがちゃんと(?)存在しているのです。
この
蹺を用いて演じるのを、
木製の
個人的な感覚としては、纏足はやはり残酷な悪習だとは思うのですが、歪んだ美に懸けた過去の人々の執念には興味を惹かれるし、纏足用の靴の美しさには素直に感嘆するものです。上述の
今回の参考文献はこちらでした。中国史におけるTSや異性装について扱っていてとても面白かったです。
「楊貴妃になりたかった男たち <衣服の妖怪>の文化史」 武田雅哉 2007年 講談社選書メチエ
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