第14話 中華文学における恋愛描写についての話
今回の裏話は、中華文学における恋の形式について語ります。拙作中で「別離した夫婦が思い合う歌」を登場させたのですが、その理由というか背景について、一応現実の中華文学における恋愛の表現を踏まえたんですよ、という話です。
周知のように中華圏は儒教文化であり、「男女七歳にして席を同じくせず」の思想のもと、恋愛を語った詩や戯曲や小説は長らく書かれなかった、と言われています。実際には、中華といいつつ、交易や征服/被征服の関係を通して常に周辺文化の影響を受けていたため、ひと口に儒教文化と言っても時代によって微妙に価値観は変化していたということですが。四書五経に変恋や愛という字が(ほとんど)現れていないだけで男女の感情を綴ったものはあったり、あるいは神に対する信仰や臣下から主君に向けた忠誠として「曲解」されたりしていたりもしていたようですが。詳しくは文末の参考文献をご覧ください。
ともあれ、伝統的な儒教文化において許容される数少ない愛の形が夫婦間のそれでした。想いを交わして咎められることがない男女関係がそれしかない、ということですね。もちろん儒教的には婚前に顔を合わせたりしない、親が決めた結婚ということになるので、激しい恋愛感情ではなく穏やかに育む信頼・親愛の感情ということになります。
そんな中でも好んで使われた題材が、別離の悲しみを詠ったものです。万葉集に防人の歌が多く見られるように、戦乱の時代が長く続いた中国大陸においては夫婦の別離はよくある悲劇であり、想像しやすく共感しやすいものだったのでしょう。
なので、作中世界においても同様に、別離や孤閨を扱った演目は定番になっていることでしょう! ということで、二演目を登場させました。ひとつは妻が孤閨を嘆く
すなわち、演劇における大発明として「遠く離れた男女が思い合う場面において、男女役の役者が同時に舞台に上がる演出」が現れた、というものです。
作中の設定としては男女の距離は離れているため、儒教的教えには抵触しません。一方で、男女役の役者が同時に舞台上に存在して間近に演じるため、観客に与える興奮は大きく、非常に刺激的であっただろう、と。
現代のミュージカルファンとして、違う場所にいるふたりが同時に登場して演じる、という演出は非常になじみ深いものでしたので、古代中国において既にその発明がなされていたのは驚きであり、勝手に親近感を覚える嬉しい気付きでした。その興奮に、これもまた別離の詩の定番モチーフである「あの空に見える月を貴方も見ているだろうか」を加えて仕上げたのが《天一涯》です。そう、(恋の歌ではないですが)百人一首の阿倍仲麻呂の歌にもある「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」にも通じる想いですね。時や場所を越えても普遍的な想いがあるということ、とても面白くないでしょうか。
今回の参考文献は以下の二冊、いずれも興味深かったのでお勧めです。
「中国の恋のうた 『詩経』から李商隠まで」 川合 康三 岩波書店 2011年
「恋の中国文明史」 張競 筑摩書房 1993年
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