夜の散歩
川上世普
第1話
「はーあ。ばっかみたい」
植木彩はそう言うと、暗闇の中に飛び出した。いや、飛び入ったというのが正しいのかもしれない。なんせ空はどこまでも暗く、空気はツンとして、家よりも閉塞感が増したような感じさえあるのだ。
秋物セールで手に入れたボアジャケットじゃ寒かったなと後悔しつつも、動けば温まるだろうと言い聞かせ、真冬の夜道を独り歩く。時間は23時32分。もはや青ざめた顔でスマホを見つめる幽霊サラリーマンはもういない。
「月が綺麗な夜、、ですねえ」
ただ歩いているだけじゃ暗闇に吸い込まれていってしまいそうで、独り言を呟いてみる。どこかで聞いた夏目漱石の言葉らしいが、だからってなんだよ! って思っている。なのに何だか恥ずかしくなって、ため息交じりに語尾が伸びた。
「こんにちはー。ブラジルのみなさあーー-ん。」
これはどこかで聞いた芸人の言葉、、かもしれない。何だか頭に残っていた言葉を口に出してみる。どうせ聞かせる人なんていないんだから、何を言ったって構わない。適当にぶらぶら歩いてみよう。
彩は知らなかった。こんな寒い夜の散歩に出かける理由を。ただ、何かに惹かれるように飛び出した。何かを変えたかった、変わりたかったのかもしれない。
嫌いなものが増えすぎて、この世界までもが嫌いになってしまったとき、人はどうするか。逃げる場所がある人は逃げるだろう。やるべきことがある人は我武者羅に動いてみることだろう。じゃあ、もう何も残っていない人、世界から見放されてしまった人は……?
彩はそんな人だった。もう人生なんて捨ててしまいたいほどだった。
私だって、もっと上手に生きられれば良かった。上手に息を吸うこともできなくなった私は、「病み垢」というものを知った。最近の若者はSNSで人生を嘆き合ったりするらしい。
一度、そんなものをやってみた。でも、結局は承認欲求の塊のような人たちだし、堕落しきった人間のようで分かり合えそうもなかった。私はずっとずっと勉強は頑張ってきたし、あんな人たちとは違うんだ! そんなこと言ったら優性主義者だとか言われて罵倒されるかもしれないけれど、自分を守るには相手を否定するしかない。
努力しない人なんて大嫌いだ。そんな人たちの「病み」と私のとは違う。もっともっと深く痛切なもので、美しいもの。だから読む本だって純文学だし、私はみっともなくなんてないんだ!
そんなことを言ってもう何も残っていない自分がいる。人と分かり合うことを知らない自分がいる。こんな真冬にポツンと一輪咲いている山茶花が、ひどく惨めに見えた。
夜の散歩 川上世普 @ns74y
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