コピープラネット(複製惑星)

雨柳ヰヲ

コピープラネット

 澄み渡った青空と穏やかな波の音。エメラルドグリーンの海を眺めていると、それだけで人生を謳歌している気がする。

 エディはこの日のために鍛えた体をビーチチェアにあずけ、パンケーキの皿に手を伸ばす。マスカット、パイナップルなどフルーツが皿いっぱいに盛られ、生クリームとバニラアイスが添えられている。

「リリアン、君もこっちへ来て食べないか?」エディは波打ち際で貝殻を探す美しい妻に声をかけた。

「私は遠慮するわ。この休暇で食べ過ぎているもの。あなたこそこっちへ来て、泳ぎましょうよ。」女優のリリアンにとって体型維持は何よりも大事なことだ。

「そうだな。」そう言いながら、エディはパンケーキを口に運ぶ。リリアンは呆れ顔で歩み寄る。

「あなたって本当に甘いものが好きね。」人魚さながらに美しい肢体を折り曲げ、リリアンが隣のビーチチェアに寝そべる。

「いつも頭を使っているからね。」

「あら、それは皮肉かしら?」

「もちろん違うさ。ほら、あそこに飛んでいるだろう。新型の飛行車フライングカー用チャージステーションだ。風や天候に左右される大気圏で恒久的ホバリングを実現するのは難しかったんだぞ。」

「ええ、知っていますわよ。飛行時代の大発明家先生。」リリアンが古典ラブロマンス映画のヒロインの口調を真似て、エディの頬にキスをする。エディはにやりと笑った。休暇がとれてよかった。気候も海も最高じゃないか。本来であれば、今もオフィスで難解な計算の最中だったはずだ。しかし予想外に<空中都市建設計画>は順調に進んでいる。それもこれも、“彼”のおかげだ。

『…<スカイロード社>CEOエドモンド・カーライル氏は有能な科学者でもあり、飛行車開発研究に長年携わっていらっしゃいます。昨年、画期的な重力制御マシンを発明し、今や世界中にその名を知られ…』隣でリリアンがPフォン(薄型透明電話機)でTVショウを見ている。先日エディが出演したインタビュー番組だ。

「あなたのスーツ、似合ってる。アッシュグレーで正解ね。」

「君のセンスは素晴らしいよ。このインタビューにはコージも呼ばれていたんだけど、彼は気が乗らないって…」

「エドモンド・カーライル。」リリアンが厳しい声で言った。「彼の話はしないって約束でしょ。」

 エディはばつの悪そうな笑顔を見せる。

「すまない、つい。」

「あなたはいつも研究か彼の話しかしないんだから。」

 結婚前、リリアンは二人を恋人同士なのではないかと疑っていた。

「そうは言ってもね、リリアン。僕たちはハイスクールからの付き合いなんだ。つい無意識に出てしまうんだよ。でも心配しなくていいよ。僕はストレートで君に夢中だし、あいつは研究が恋人だ。この休暇だって誘ったのに、彼は今日もオフィスで<空中都市建設計画>の…、すまない。」リリアンに冷たい目で睨まれてエディは口をつぐんだ。

 リリアンとの仲は順調とはいえ、日々研究に明け暮れているエディには華やかなセレブたちとの共通の話題がない。そうだ、子供でもいたら少しは違うかもしれないぞ、とエディは思いついた。よし、この休暇中にしっかり子作りでもするか。いやしかしリリアンは嫌がるかもしれないな、後で話し合おう。そんなふうに考えてから、ふとまた研究熱心な相棒の顔を思い浮かべる。このハワイ島へのリフレッシュ休暇旅行には研究パートナーも誘ったのだが、研究を進めたいからと断られた。<空中都市建設計画>が何よりも大事なのだろうと思ったが、新婚夫婦の邪魔になりたくないというのもあるのだろう。 

 まったく、たまには羽を伸ばせばいいのに。あいつときたら機械と数学が恋人だとでも言わんばかりだ。日本人は堅物が多いと聞いたが、あんな研究フリークはあいつ以外にいるはずがない…。エディはそんなことを考えながら、ぼんやり海を眺める。遥か遠くの水平線上空を、エディたちの作った飛行車が数台飛んでいく。エディは心地よい風になでられ、うとうとと居眠りを始めた。


 三十年前、世界中で飛行車の一般普及“エアリゼイション”が始まった。アメリカ合衆国、カナダ、中国、ドイツで自家用飛行車の使用が認可され販売が開始すると、他国も続々と自国をエアライズし始めた。地面を自動車が走らなくなると、人々はその快適さに驚嘆した。どこを歩いても車に轢かれる心配がない。アスファルトが剥がされたくさんの樹木が植えられると、夏は涼しく、冬は暖かくなった。鳥が増えて虫が減った。飛行車なら渋滞に捕まりひどく苛立ったり、ロードレイジに脅かされることもない。遮るものが何もない、真っ青な空を飛び回る爽快感。人々は見えない牢獄から解放されたような心地だった。実際、多くの神経症患者が回復した。世界が地面を這い回る自動車の時代から、飛行社会に移り変わる中、飛行車のエネルギーを充填するためのチャージステーションも爆発的に増えた。エディがCEOを務める<スカイロード社>は世界トップクラスの飛行車製造企業である。世界中の空に浮かぶチャージステーションのほとんどが<スカイロード社>製だ。登場時はエネルギー充填のみだったチャージステーションは、コーヒーマシンや自動販売機が併設され、コンビニエンスストアができ、次第に規模が大きくなっていった。空の移動が当たり前の社会になると、地上に降りず、上空で暮らすことを想像し始める。そして五年前、遂に空中都市の建設が始まった。もし人が空の上で暮らせるようになれば、地球環境は随分改善するだろう。もう海に沈む心配も、人口制御施策で処分される心配もしなくて済む。そう誰もが希望を抱いていた。

 潮騒と温んだ空気に包まれ気持ちよく眠っていると、エディのPフォンが鳴った。エディは目を閉じたまま、手探りでリリアンとエディが並んで写っている写真のストラップのついた平たいプレートに手を乗せる。

「はい、エドモンド…」あくび混じりの応答は相手の切羽詰まった声に遮られた。

『エド、大変だ! 緊急事態だ!』

「コージ?」

 エディは目を瞬かせた。いつものコージらしくない慌てた声だ。電話の向こう側は随分ざわついている。どうやら街中にいるらしい。

『エド、すぐCNNニュースを見てくれ、<空中都市>が暴走している!』

「何だって⁉︎」

 エディは飛び上がった。リリアンのPフォンを探したが、彼女はどこかへ行ってしまったようだ。周囲を見回すと、オープンテラスのあるバーに人だかりができている。エディは走ってバーに入った。大きなTV画面に、海側の斜め上方から見たニューヨークシティが映っている。CNNニュースのLIVE中継だ。映像は随分離れたところから撮影されている。高層ビルの立ち並ぶマンハッタン島上空の雲間に虹色の光が見え隠れする。光はすでにマンハッタン島を覆うほどの広さで、刻一刻と広がっている。

「コージ、これは一体どういうことだ? なぜニューヨークの上に<空中都市>があるんだ⁉︎」

 周囲に聞こえないように、エディはできる限り声を抑えて言った。

『<重力空間複製機>が突然制御不能になった。高速で移動して、十分ほど前にニューヨークの真上で止まった。少しずつ高度が下がってきているようだ。エド、このまま地面に衝突したらどうなる?』

 高速で移動だと? そんなことはあり得ない。複製重力空間は固定していたはずだ。一体なぜ? 何があった? エディは混乱する頭に拳を当て、TV画面を見た。

「コージ、今どこにいる?」

『僕はセントラルパークにいる。』

「そこから、<空中都市>外壁は見えるか?」

『雲で隠れているけど、少し見える。』

「雲はどんな動きをしている?」

『雲は掃除機で吸われるみたいに、<空中都市>外壁から中心部に吸い込まれているようだ。』

 エディはぎくりとした。頭の中に、これまで実施してきた無数のシミュレーションのヴィジョンが過ぎる。最も発生率が低いと予想していた、最も最悪なパターンが脳内に閃く。

「それはまずい。」声がひどく掠れた。「コージ、今すぐ人々を避難させろ。このままだとみんな向こうに飛ばされてしまうかもしれない。」

 コージが電話越しに絶句するのを感じた。

『向こうってまさか、…』

「そう、火星だ。」

 これはかなりまずいことになった。エディの体中から汗が噴き出す。近くの椅子に座り込み、頭を抱えた。

『火星に飛ばされたらどうなる?』

 コージの声は落ち着いている。

「わからない。そうなった時、同じサイズの地球の重力空間コピーができたとすれば、地球環境がそっくりそのまま複製されるから生きていられるかもしれない。…だが未知の領域だ。」

『大変だ、落ちてくるぞ!』コージの近くの誰かがそう叫んだ。悲鳴や地震のような轟音、そして何かがぶつかる衝撃音が聞こえてくる。人々はひどく混乱しているようだ。

 エディの顔面は今や蒼白だった。

「コージ、聞こえるか!」

 応答はなく、戦地にでもいるかのような悲鳴と轟音が耳に届く。やがて周囲が静まり、階段を駆け上る音が聞こえた。

「コージ、今すぐ君だけでも避難しろ!」

『エド、』

 何度か呼びかけてやっとコージが返事をした。息が上がり、唾を飲み込みながら途切れ途切れに喋る。

『<空中都市>の外壁が降りてくる。随分膨張したようだ。この大きさだと直径約…いや、それは後でわかるな。ビルの上部が外壁の光に包まれていく。音はしないようだ。僕はこのまま<空中都市>の観測を続ける。』

 コージの言葉に、エディは心臓が縮み上がるような恐怖と焦りを感じた。

「コージ、それはだめだ。今すぐ逃げるんだ。飛行車があるだろ? それに乗って今すぐその場を離れれば…」

『もう間に合わない。飛行車は他の人に譲ったよ。』

 怒りで目の前が真っ白になった。エディは周囲の目も憚らず叫ぶ。

「何でもいいから、すぐに逃げるんだ!」

『エド、そんなことはできない。』

 落ち着き払ったコージの声が聞こえる。

「逃げろ! 今すぐ! 逃げるんだ!」怒鳴りながら拳でテーブルを殴りつけた。

『Pフォンのデータ観測システムを常時送信モードに設定した。エド、この電話は切らないでくれ、いいか、絶対に切らないでくれよ!』

 TV画面の中で、巨大な七色の球体がマンハッタン島とその周囲の街を飲み込んでいく。地面に到達すると、周囲の海が狂ったように波打ちながら<空中都市>に吸い込まれていく。球体の半分までが沈み込むと、途端に下から上に向かって、七色の光は解けるように消えていった。

 画面から街が消え、空と、遥か遠くの青い山影が残った。

「コージ、コージ! 聞こえるか!」

 呼びかけるが返答はない。代わりに電話の向こうからはひどい雑音が聞こえてきた。耳にしたことのない、恐怖心を煽る不気味な音だったが、それも二十秒ほどして聞こえなくなった。しかしまだ電話はつながっているようだった。

「一体どうなってるんだ。…コージ。」

 ふと顔を上げると、バーにいる大勢の人間がみな無言でこちらを見ている。エディはその視線に怖気付いた。そういえば、さっき自分のインタビューがやってやしなかったか。

 エディは電話を耳に当てたまま、急いでホテルの部屋に戻った。部屋で電話をチャージャーにセットして、パソコンを開いた。

 そこへ妻のリリアンが帰ってきた。腕にたくさんの買い物袋を下げている。何も知らない彼女は、真っ青な顔でパソコンに向かったまま返事をしないエディに腹を立て、エステに行くと言って出ていった。

「きっと大丈夫だ。きっと大丈夫だ。」エディは口の中でそう唱え続けた。

 研究室からメッセージが大量に来ている。その中で最優先アラートがついているものがあった。ホワイトハウスからの召喚だ。

 エディの休暇は終わった。メッセージを確認しながら、頭の隅で五年前の<空中都市建設計画>の会議を思い出した。

 <空中都市>には、新たに開発した「重力空間複製技術」を採用した。車や小型建築物ならいざ知らず、巨大な面積と質量を持つ「街」ともなると、従来の回転翼機や気球などでは到底空に浮かべることはできない。

「重力空間複製技術」は、他の星の重力空間をその名の通り地球上に複製する技術だ。光子もつれの共動性質を利用し、地点Aに配備した光子域と対になる光子域を地球の任意の場所に配置し、地点Bに全く同じ重力空間を出現させる。

「重力はもともと、自分の望む歪みを持つ空間を作り出し、周囲の物質に命令を送る力なのです。その力の一部を拡張したのがこの技術です。」

 エディは部屋にいる十人ほどの厳しい男たちの前で説明していた。

「たとえば、…マクレーン大佐、恐れ入りますがそのペットボトルを隣のハミルトン氏の前に置いていただけますか。」

 マクレーン大佐が、無表情で言われた通りに水の入ったペットボトルを隣のハミルトン氏の前に置く。

「これが重力です。私はマクレーン大佐にお願いし、マクレーン大佐がエネルギーを使いペットボトルに力を加え移動させた。」

「重力に意志があるということかな?」スターン国防長官が尋ねる。

「それは分かりません。ただ、空間を作り、そこに存在する物質に命令を与える役割を持っています。今回、<空中都市>には火星の重力を使いました。火星の重力は地球の三分の一で地球より軽く、また重力差が大きいために地球の重力に対し斥力が生まれます。その力を利用して<空中都市>を浮かせます。」

「危険はないか?」スターン国防長官が再び尋ねる。

「ええ、もちろん。重力ですから。重力は何百億年も安定し続けます。

 この<空中都市建設計画>が成功すれば、他の星の重力空間を地球の空で複製するだけでなく、逆に地球の重力空間を宇宙空間に作ることもできるんです。」

 メッセージの確認を終え、エディはパソコンを閉じた。あの時の自分を止められるものなら止めたい。体中から力が抜けて、このままベッドに横になり眠ってしまいたいという衝動に駆られたが、コージの最後の声が頭の中で何度も繰り返される。エディはシャワーを浴び、服を着替えて帰り支度をした。

 それから三ヶ月があっという間に過ぎた。ニューヨークとその周辺地域が消えるという衝撃的な事件に世界中が混乱し、今なお収束の兆しはない。

 <スカイロード社>の株価は暴落し、もう間も無く倒産するだろうと噂された。

 エディと彼の研究チームは、消えた<空中都市>の行方を探っていた。エディは火星の<重力空間複製機>の設置地点に移動したのではと仮説を立てたが、火星の周回軌道を回る探査衛星には何も映らない。しかし、同時期に火星の地上で活動していた火星探査機が全て通信不能になり、火星で何事かが発生しているのは確かだった。

 何も手がかりがつかめないままだったが、ある日、エディのPフォンから再び音が聞こえた。どういうわけか、あの日から今日までずっとコージのPフォンと接続したままなのだ。

『エド、聞こえるかい?』

 コージの声がした。

 髭が伸び、目が落ち窪んでひどくやつれたエディの死んだような目に光が戻った。

「コージ! 生きてたのか!」

『…やっぱりもうつながってないかな。いや、十五分待たないと返事は来ないか。』

「ああ、そうだ。お前は火星にいるんだからな。」

『エド、こっちは大丈夫だ。問題ない。何があっても助けに来ようなんて思わないでくれ。こっちは大丈夫だ。絶対にこっちへ来てはいけない、なぜなら…』

 そこで突然通信が切れた。今まで繋がっていたのに、「Disconnect」の文字がディスプレイに表示され、消えた。

 さらに三ヶ月後、火星へ向かってロケットが出発した。エディたちを乗せたロケットは九ヶ月足らずで火星に到着した。

 船長やクルーのほとんどは五年前の<重力空間複製機>設置プロジェクトチームのメンバーだ。火星は特に以前と変わった様子は見られない。ひとまず火星探査機と<重力空間複製機>の調査が始まり、エディはベテラン宇宙飛行士ケイトと一緒に火星ローバーで<重力空間複製機>の設置場所へ向かった。

 二日目に、エディの目の端にきらりと光るものが映った。ケイトと一緒に近づくと、Pフォンが落ちていた。エディにはそれがコージのものだとすぐにわかった。なぜなら、ハイスクール時代にエディがコージにプレゼントした地球のマスコットのストラップがついていたからだ。

「コージ…」胸を詰まらせながら、エディは顔を上げて周囲を見回した。すると、周囲に砂嵐が発生した。いや、それは乱れたデジタル映像だ。一瞬、細かい線の中に、人が往来する街が見えたが、すぐにまた荒野に戻る。

「ケイト、今の見たか?」

 振り返ると、一緒にいたはずのケイトがいない。火星ローバーも消えている。エディは宇宙服の胸ポケットにPフォンを収め、周囲を探り始めた。通信を試みたが誰からも返答はない。ローバーの跡があるから、仕方なくそれを辿ってロケットまで帰ることにした。

 すると、周囲から人の声が聞こえてきた。

 多くの人間がエディの側を通り過ぎる。エディは何度も瞬きをした。

 エディはニューヨークの街の中で、宇宙服を着たまま立っている。大勢の人でごった返し、高層ビルが立ち並んでいる、あの見慣れた街だ。空には飛行車も飛んでいる。

 エディは目眩を覚えてその場に座り込んだ。その時、目前の巨大スクリーンに見覚えのある映像が映し出された。

『…<スカイロード社>CEOエドモンド・カーライル氏は有能な科学者でもあり、飛行車開発研究に長年携わって…』

 エディは周囲の人間に笑われていることにも気付かず、スクリーンをただ呆然と見上げた。

 胸元のPフォンが鳴った。エディはヘルメットを脱ぎ、Pフォンを手にした。

『エド?』

 コージの声だった。

「コージ、これは…一体…」

『セントラルパークまで来れるかい?』

 久しぶりに聴いた、耳慣れたコージの声に多少落ち着きを取り戻し、エディは歩き出した。

 セントラルパークのオークブリッジで、エディはコージに再会した。

 コージは以前と変わったところがなく、セーターとジーンズという、いつも通りの地味な服装だった。エディの宇宙服姿を見て、コージは嬉しそうに笑った。

「宇宙服、似合ってるね。いいな。僕も着てみたかった。」

「コージ、これは何なんだ? ここは火星なのか? これが? これじゃまるっきり…」

 コージは頷いた。

「地球のコピーだね。」

「火星がテラフォーミングされたってことか?」エディが尋ねる。

 コージは首を横に振った。

「君は来てはいけなかったんだ。」

「それだ、それはなぜだ?」

 コージは寂しそうな表情を見せ、自分の手の中のPフォンを見た。全く同じものをエディが握っている。ぶら下がっている地球のマスコットのくたびれ具合も全く同じだ。

「僕たちオリジナル以外は星が作り出さなきゃならない。星が作り出したコピーはオリジナルと誤差がある。君たちが来たことで、その誤差が修正されてしまったんだ。」

 エディは首を横に振った。

「それの何が問題なんだ、はっきり言ってくれ。」

「宇宙には、全く同じものは二つ存在できない。つまり、片方が消えることになる。」

「そんな、全く同じものになるなんてことがあるのか?」

 コージは何度か頷いた。

「どちらが優先になるかは明白だよね。新しいものが作られれば、古いものは消える。宇宙の原則だ。」

「…みんな火星人になっちまうということか。」

「まだわからない。」コージは湖面に目をやり、欄干にもたれかかる。肘をつき、手を顎に添えて思案にふける仕草を見せた。呟くように「エド、リリアンは元気かい?」と尋ねる。

「彼女とはもうとっくに別れたさ。<空中都市>が消えて、彼女も消えたんだ。」エディは冗談めかすように言った。

 コージは、「それは気の毒に。」と言って曖昧に笑う。それからエディの肩に手を置いた。

「…とにかく、すぐに地球に戻って対策を練るんだ。」

「どのくらい時間があるだろう。」

「僕が知る限り、今はまだアメリカ合衆国の半分がコピーされた程度だ。十五ヶ月でこの程度なら、きっとまだ時間はあるはずさ。」

 エディは頷いた。

「わかった。さあコージ、帰ろう。宇宙服はまだ予備がいくつもある。」エディはコージに手を差し出したが、コージは動かなかった。

「僕は残る。」

「何だって?」思いがけない言葉にエディは目を丸くし、声を荒げた。

「まさか、調査を続けるとか言うんじゃないだろうな? いつまでこの空間が安定しているかわからないんだぞ⁉︎」ここまでくると正気の沙汰とは思えない。

 エディの言葉に、コージは再び寂しそうに目を細めた。 

「すまない。多分、僕はもうそっちへ帰れない。僕は君が来るまで、全てを忘れていたんだ。僕はきっと、コピープラネットを構成する一部なんだ。」

 エディは愕然とする。

「そんなことができるのか。まるで、火星に意志があるようじゃないか。」

 コージは空を見上げた。

「君は地球の大陸が分裂する前の、”超大陸パンゲア”を知っているだろう? まるで胎児のような形をしているんだ。こっちに来てすぐ、僕は何かの意思を感じた。目覚めの瞬間、いや、あれはきっと誕生だ。その時、地球への懐かしさも感じた。それで思ったんだ、もしかしたら火星は地球の親なのかもしれないって。火星は老いて死ぬ前に、子供を作った。地球に生命を宿し、自分は死の眠りについた。でも、瑞々しく、生命力を豊富に含んだ空気と水が星に戻ってきたことで、新たな生命として復活した。何十億、何百億年も眠って、体の中はすっかり浄化されて、エネルギーを蓄えている。赤ん坊の状態から火星は再び成長を始めるんだ。その成長の中に、このコピープラネットが巻き込まれてしまった。生命が誕生し、栄養を吸収して成長する力はとても強い。…僕たちはもう何をしても逃れられないのかもしれない。」

「そんな…。」

 コージは真っ直ぐエディの目を見た。

「さあ、すぐに帰還するんだ。地球に戻ればまだ手はあるかもしれないから。僕は記憶が保つ限り調査を続けるよ。」

「…わかった。…コージ、きっと助ける方法を見つけ出すよ。」

「ああ。君はどんな困難も乗り越えられることを僕は知ってる。だからきっと今回も、絶対大丈夫だ。」

 コージはそう言い腕を伸ばす。二人は互いにきつく抱き合った。体を離し、コージはエディの目をじっと見る。

「エド、僕は君に、ここに来てはいけなかったと言ったけどね。本当は来てくれると思っていたよ。こっちにも君がいるんだけどね。おかしな話だ。」そう言って笑った。

 エディは後ろ髪を引かれる思いで踵を返し、早足でその場を去った。

 コピープラネットからはあっさりと脱出できた。どうやら<重力空間複製機>設置場所に境界があるらしい。しかし誰でも行き来できるわけではないようで、コピープラネットに入れたのはエディだけだった。

 エディたちは即座に帰還を開始した。

 そして九ヶ月後、宇宙船は地球に近づいているはずが、どうも様子が違っていた。

 もう何ヶ月もヒューストンと連絡が取れていなかった。

 だから嫌な予感はしていた。

 地球があるはずの場所に、赤茶けた荒野の広がる惑星があった。


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