第14話
うちの会社の休憩室には、自販機が3台ある。
そのうちの2台は、赤い自動販売機。
缶コーヒーやお茶が大半をしめており、ソフトドリンク系は少なめ。
昼食時の需要が高いためか、コーンスープだけでなくサムゲタンやポタージュといったスープ系も多く取り揃えられている。
残りの1台は、コーヒーを豆から挽いて淹れてくれる自動販売機。
先月値上げされてワンコインではなくなってしまったものの、カプチーノやキャラメルマキアートか110円というのはやはり破格だと思う。
どの時間帯にも、ちょっと疲れた顔をした人が、稼働する自販機をぼーっと眺めながらコーヒーのできあがりを待っている。
このコーヒー専用自販機で買うコーヒーが、仕事上がりの小さな楽しみだ。
コーヒーを味わいたいというよりは、身体がカフェインを欲しているのだと思う。
高校のころも同じ自販機があり、そのころからのヘビーユーザーだ。
当時はこの自販機のブラックコーヒーなんて飲めたものじゃないと思っていたけど、今では当たり前のように飲んでいる。
それだけ味覚が歳をとったのか、企業努力でコーヒーか美味しくなったのか、どちらだろうか。
ふと、暇な帰宅部員だったころに導き出した「黄金比」を思い出した。
コーヒーは4番目の濃さ、ミルク多め、砂糖はひとメモリ。
ぽちぽちとボタンを押していると、何となく、うしろから誰かがのしかかってきそうな気がしてくる。
甘党の親分みたいで、騒がしくて気ままな――。
どうして久しぶりに思い出してしまったんだろう。
卒業からもう5年も経って、その間一度も会っていないのに。
完成したコーヒーを取り出し、少し冷ましてからすする。
甘い。甘すぎる。
昔はこれが美味しかったのか。たしかにブラックより飲みやすいけど、ちょっと怖くなるくらい甘やかされている気分になる。
各部屋の電気が消え、薄暗くなった廊下をのんびりと歩く。
どうせわたしの帰りを待っている人などいない。こんな甘ったるいのを飲んでしまったし、口直しにうんとコーヒーらしいコーヒーが飲みたい。
たまには駅前まで足を伸ばしてカフェにでも行こうか。
明日は休みだし、もし眠れなくなっても問題ない。いや、カフェインなんてもう慣れすぎているから、眠れなくなることもないだろう。
秋の終わりというよりは、冬のはじまりといった方が近いような、暗くて寒い夕方。
口の中の後味は鬱陶しいけど、手のひらに残るぬくもりは少し嬉しい。
駅前まで徒歩で10分。田舎町の夕方に歩いている人は少なく、帰宅ラッシュの車列ばかりが伸びていく。
ヘッドライトに照らされ、わたしの影はいろんな方向に伸びては縮む。
駅前にはたくさんのカフェがある。有名な全国チェーン店は3種類5店舗、県内で展開する小型チェーン店もある。
今の時間帯は飲み屋が賑わう小さな路地には、繁盛することを目的としていないような個人店もある。
ただのカフェイン中毒ではなく、ちゃんと味にこだわりを持ってコーヒーを飲み歩くようになったのは、20歳を過ぎてからだった。
苦味、酸味、香り。自分なりの好みの味が分かってきた。やっとコーヒー好きと自称するのが恥ずかしくなくなった。
だけど、自分で淹れることはほとんどない。
淹れたとしても、簡易のドリップパックに適当にお湯を注いで飲むくらいだ。
豆から挽いたり、専用のケトルを使ってみたり、凝っていた時期はあったけど、自分のために勉強した訳じゃない。
すぐにやめてしまい、せっかく買った道具も高校卒業のときに友人にあげてしまった。
ことあるごとに「一生のお願い」と言われてきたお返しに、最初で最後の、本当の「一生のお願い」をして押しつけた。
「わたしの代わりに大事に使ってやってよ。一生のお願いだからさ」
コーヒーの味なんか分からない友人は、戸惑いながらもうなずき、受け取ってくれた。
彼女とはそれっきり会っていないし、高校3年間も友だちだったのにお互いの誕生日も知らず、連絡するタイミングは年に一度、新年のあいさつを交わすくらいだった。その年始のやりとりも、去年から途絶えていた。
久しぶりに彼女を思い出してしまった。
甘ったるいコーヒーの後味は消え失せ、苦味が広がるようだった。
心の中でおさえつけ、実ることはなかった淡く儚い初恋。
もう恋なんかしないと決めたわたしの、最初で最後の恋。
甘党の親分みたいなあいつを忘れるために、飛びっきり苦いコーヒーを飲もう。
茶碗いっぱいのエスプレッソに砂糖も入れずに飲み干したいくらいだ。
そう思いつつ駅前の大通りを歩いていると、1台のワゴン車が目にとまった。
普通ワゴン車なら目にとまりなんかしない。
8階建ての商業施設の前に駐車されたワゴン車は、可愛らしいパステルイエロー。
周りには立て看板やのぼりが見える。キッチンカーの類だろうか。数人の客が並んでいる。
ほんのりとコーヒーのかおりが漂ってくる。あの黄色いワゴン車からだろうか。
ちょうど信号が青になったこともあり、わたしは誘われるように横断歩道を渡っていた。
ワゴン車は意外にこじんまりとしていた。開いた窓からは、コーヒーミルやケトル、豆を保管していると思われるブリキの缶が並んでいるのが見えた。
並んでいた客が紙コップを受け取り、ワゴン車の前から去っていった。車体に描かれたものが目の前にあらわになる。
身体の中を強い風が吹き抜けたようだった。
湯気を立てるコーヒーカップ。
そのカップはたんぽぽの模様。
コーヒー色で描かれた絵柄は、今まで忘れていたはずのもの、忘れようとしていたはずのものなのに、記憶の底から浮かび上がってくる。
思い出や、抑えこんでいた気持ちまで呼び起こす。
立ち尽くすわたしに、窓から店員が乗り出して手招きしている。
「いらっしゃいませ。ご注文はこちらでどうぞ」
客じゃないので。
そう言って立ち去ることもできた。
だけど、考える前に歩み寄っていた。コーヒーのかおりに手を取られたようだった。
「ご注文どうぞ」
「あ、えっと――ブレンドコーヒー、ひとつ」
「かしこまりました」
店員の顔が見られず、わたしは彼女の作業を眺めていた。
慣れた手つきで豆を挽き、お湯を注ぐ。
車の往来や巨大ビジョンの音楽で騒がしいはずの駅前が、急に静かになったように感じた。
1杯のコーヒーが淹れられるまでの数分間だけに訪れる、小さな優しい沈黙。
抽出されたコーヒーが落ちるかすかな音まで聞こえてくるようだ。
ふと、作業台にもう1台のコーヒーミルがあることに気づいた。
そのミルには見覚えがあった。挽いた豆が粉になって小さな引き出しに溜まる作りのもの。
わたしが「一生のお願い」と押しつけた、あのコーヒーミルだ。
「そのミル、大事なものなんです」
店員がわたしの視線に気づいたのか、静かに口を開いた。
つい、顔を見上げてしまう。
懐かしい泣きぼくろ。セミロングの髪はあの日のようにポニーテールにしている。
薄めのメイクをしたほのかはやわらかく微笑み、コーヒーミルを見つめている。
「高校のときの大事な友だちから託されたんです。一生のお願いだから、わたしの代わりに使って、って。もうすり減っちゃって豆は挽けないんですけど」
ほのかはすべて気づいているような、まったく気づいていないような、あいまいなえくぼを作っている。
わたしだよ、と言ったらどうなるだろうか。
わたしがその友だちだよ、と。
埃をかぶった淡い恋心が、そよ風に吹かれて揺れている。
風に埃を払われて、その色や温度がよみがえるようだった。
「お待たせいたしました」
葛藤しているうちにコーヒーができあがった。
紙コップには文化祭のときと同じように、ロゴマークのスタンプがおされている。
おしたてでインクが乾いていない訳でもないのに、コーヒー色のロゴマークに触れないように紙コップを受け取った。
すぐに立ち去る気にはなれず、わたしはほのかを少し見上げて目をあわせた。
「あの……このブレンドってどういう豆を使っているんですか」
意を決して口を開いたのに、出てきたのは他愛もない話だった。
訊いておいて申し訳ないけど、答えを待たずに帰りたくなってくる。
ほのかは少しも怪訝そうな顔はせず、にこやかに答える。
「何種類か使っていますが……メインで使っているのはマンデリンです」
まりん、りんりん、まんでりん。
ほのかが作った変な歌が脳裏によみがえる。
紙コップを持つ手が震え、湯気が乱れた。まるでロゴマークの絵柄のように、ふわりと白い渦を巻いた。
ほのかの顔が揺らいで見えるのは湯気のせいだろうか。
「わたしがはじめて好きになったコーヒーです」
たんぽぽ珈琲 桃本もも @momomomo1001
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