第13話
「そんな直近のこれからじゃなくて、将来とか未来的なこれからよ」
「そういうこれから……どうした、急にそんな話。わたしたち、まだ受験生でもないのにさ」
「んー、何か気になるじゃん? 同い年の子がどのくらい将来のこと考えてるのかなぁって。あたしは遅れてないかなぁって」
ほのかはこっちを見ずに、虚空へと声を溶かすように話をする。
わたしはその声の跡を辿りたくて視線をさまよわせるが、何も見つからない。
ほのかの本心も見えてこない。
わたしたちは向上心も開拓心もない、ただの帰宅部仲間だ。
お互いの将来の夢はおろか、志望校も――そもそも、進学か就職かすら知らないのだ。
わたしの場合は、ほのかに話をするほど、自分の将来をまじめに考えたことがなかった。
今のわたしに言えることは、このくらいしかない。
「死なない程度にがんばろうかな」
やっと絞り出した答えだったが、ほのかの求めるものではなかったのだろう。
やっとこっちを見たかと思うと、不満そうにくちびるをとがらせた。
「何それ」
「積極的に生きたいわけじゃないけど、死にたいほどつまんなくもないし。勉強も仕事も私生活も、ぜんぶほどほどにがんばっていけばいいかなって」
「ふぅん。まあ……何か真凛らしいや」
ほのかはきつく絡めていた腕をほどき、脚を伸ばした。上履きをぱたぱたと鳴らしている。
少しだけ、心に足を踏み入れてくれたような気がした。
わたしたちは喧嘩なんかしたことがなかった。
それは単に仲がいいから、というわけではなく、それほど深い場所を目指して潜ってみたりしなかったからだ。
足場の安全なところから、釣れそうな小さな魚だけを狙って糸を垂らしているだけだった。
ほのかはわたしの心の水面に足をそっと浸してくれた。
波紋を起こすのは悪いことだと思っていたわたしにはできなかったこと。
悪いことなんかじゃない。
少し恥ずかしいけど、すごく嬉しい。
わたしもほのかと同じ分だけ、足をちょっと浸してみる。
「そういうほのかはどうするの、これから」
ほのかは訊き返されることも想像していただろうに、大げさに考えこむ仕草を見せた。
そして、へらっと笑ってこう答えた。
「あたしはゴロゴロする!」
「わたしには答えさせたくせに、自分ばっかりはぐらかすな」
「違うよ、これから先も、ずーっとゴロゴロするの。そうだ、専業主婦になったらいいんだ。そんなこと言ったら専業主婦に怒られるかな? ねえ、真凛はどう思う?」
ほのかは瞳を輝かせてわたしの顔をのぞきこんできた。
その眼差しに迷いとかためらいは一切うかがえない。
一歩踏み出したことを後悔した。
波紋なんか起こさなければよかった。
ほのかは普通なんだ。
そのうち彼氏を作って、結婚して、ふたりが望むころに子どもを授かって。
そんな暮らしを望めるような、しあわせだと思えるような。
わたしみたいに友だちの女の子を好きになったりしない、普通の子なんだ。
「どうって……ほのか、結婚したいとか、そういうの……」
「20代前半ではしたいよね! まあそれまでは働くとして、寿退社して――」
ほのかは夢見るような表情で未来への希望を語っている。
その声がだんだん遠のいていく。
別に、ほのかがわたしと同じであることを期待してはいなかった。
それなのにこんなに苦しいのか。
どんな表情をしたらいいのか、今どんな表情をしているのか分からなくなり、たまらずほのかから目をそらす。
視界の端で、ほのかがこちらを向くのが見えた。のぞきこむようなことはせず、ただ優しく見つめてくれている。
不意に、ほのかの手がわたしの手の甲に触れた。
触れた、なんてささやかな表現では足りない。
手と手が重なった。
ほのかの少し冷たい指が、わたしの指の間にするりと滑りこんでくる。
ほのかは普段からスキンシップが多い奴だ。人の気も知らないで、すぐ抱きついてきたりする。
これだって女友達にじゃれつくような、そんな意味しかないはずだ。
今すぐほのかの手を振りほどいて、逆に握りしめてしまいたい。
そんな衝動を必死でおさえる。
やがてほのかの手が離れていき、名残惜しく目で追っていたら視線が合ってしまった。
わたしの手に触れていた指を、口もとになんて持っていくから。
ほのかは少し目を細め、肩をすくめた。
驚くわたしに余裕の笑みを見せるほのかは、何もかも感じ取っているような、逆に何も考えていないような――どちらにも感じられた。
「ま、結婚できるような世の中になってたらだけどね」
「……何それ。政治とか? 経済的な意味で?」
「んー、まあいろいろだよ」
いつもの適当なほのかに戻り、気だるげに脚を伸ばした。
シワのついたプリーツスカートから伸びる脚に陽が当たり、まぶしいくらいに光って見える。
上履きのつま先をゆらゆらと揺らしながら、たんぽぽ珈琲のロゴを入れた紙コップを大事そうに撫でている。
「たぶんさ、わたしずっと覚えてると思うよ。真凛といっしょにカフェやったの。たんぽぽ珈琲やったの、ずっと覚えてる。ね、真凛もそうでしょ?」
「どうだろうね」
適当に答えると、いつも自分は適当なくせにほのかはむっとして見せた。
「絶対覚えててよ。一生のお願い」
何回目だよ。
そう笑い飛ばしたかったのに、うまく口角が上がらなかった。
そのお願いだけは、叶えてあげられないかもしれない。
思い出して辛くなるくらいだったら忘れてしまいたいから。
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