第12話

 わたしたちは静かに休める場所を求めて、手押し車の店を移動させた。

 荷台ががたがたと揺れ、小銭がちゃりちゃりと鳴っている。


 辿り着いたのは、校舎と図書館をつなぐ渡り廊下だった。

 図書館では催し物をやっていないのか、やっていても盛況とは言えないのか渡り廊下を渡る者はおらず、辺りは静まり返っていた。


 カフェの見張りをほのかに任せ、適当に校内を回って食料を調達した。

 焼きそばと綿飴とたこ焼き。たこ焼きは予算と衛生面の都合でたこを入れられず、もはや「焼き」状態だが、文句は言ってられない。

 同じ理由で焼きそばも野菜しか入れられなかったようだが、「そば」が入っているから名前には偽りなしと自慢げだった。


 両手にビニール袋を提げて渡り廊下へと戻ると、ほのかはコンクリートの手すりに腰かけて子どもみたいに脚を揺らしていた。

 戦利品を持ち上げて見せると、ほのかは熱心に見つめていたスマホをこちらに突きつけてきた。


「なーんかおかしいと思ったらさ、あるんだって。タンポポコーヒー」


 画面が近すぎて見えない。仰け反って距離を取る。

 画面には「カフェインレスなのにまるでコーヒー」という文字と、たんぽぽの花の写真。


 ほのかはスマホを自分の目の前に戻し、画面をスクロールする。


「根っこを乾燥、焙煎して挽いて、抽出するんだって。ノンカフェインだし健康にいい成分が豊富だから、コーヒーの代わりに飲む人もいるんだって」


「じゃあ、あのお客さんたちはそのタンポポコーヒーを出す店だって思って来たってことか」


 子ども連れの女性と、年配の女性を思い出す。きっとほのかも同じ人たちを思い出しているはずだ。


「通りで話が通じないはずだ」


 ほのかにビニール袋を預け、わたしも隣に座る。

 中身を覗いたほのかは、半分こしよっか、と笑った。


 アイスコーヒーを紙コップに注ぎ、ふたりきりで音のない乾杯をする。

 わたしは一気にあおり、何となくやけになった気分で飲み干した。


 ぷはっ、と息をつくわたしの隣で、ほのかは飲みはじめてすらいなかった。

 ガムシロップを注ぎ入れているほのかと目が合う。紙コップのそばには、空になったクリームの容器が2個、未開封のガムシロップが1個転がっている。


 もう何も言う気にもならず、力が抜けて笑みがこぼれ落ちた。


 コーヒーとソース味の炭水化物はあまり……というか、かなりあわなかった。

 だけど、わたしたちは黙々とコーヒーを飲み、たこ焼きをおかずに焼きそばを食べた。


 カフェの前半戦は自信を持って「成功だ」と言えた。

 売り上げは予想以上だったし、わたしとほのかの連携も想像を超えていた。

 帰宅部のコーヒー初心者がふたりでやったものだとは、きっとだれも気づかないだろう。


 それなのに。


 胸に溜まった、このもやもやしたものは何だろう。


 だれかを傷つけたわけじゃない。

 わたしやほのかが傷ついたわけでもない。


 ただ、世界にはわたしが知らなくても存在しているものがあると再認識したせいで、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになっただけだ。


 ほのかもたぶん、心にすきま風が吹くような、寂しさや冷たさを感じているのかもしれない。

 いつもは騒がしいほのかが、たこ焼きにたこが入っていないと騒がないのはおかしかった。


 校舎のざわめきが遠い。

 さっきまでわたしたちもあの中にいたとは信じられないくらいだ。


 迷ったあげく、綿飴はひとつにしておいて正解だった。

 わたしが割りばしを持ち、ふたりで両側からちぎって食べているが、なかなか減らなかった。


 ほのかはべたべたになった指をぼんやりと見つめ、くっつけたり離したりしている。

 ふうっと息を吐くと、手すりからひょいっと降りてわたしの方を振り向いた。


「よし、じゃあ今からたんぽぽ引っこ抜いて焙煎して、本当にタンポポコーヒー屋になろっか?」


「いや無理だから。時間もないし、こんな時期にたんぽぽなんて生えてないでしょ」


「じゃあさ、もうここでサボってようよ」


 ほのかの言葉にわたしは目をむいた。


「はぁ? 午後も営業するんじゃないの?」


「午前中で豆代と紙コップ代にはなったし、いいんじゃない?」


「ミルとドリッパーとケトル代にはなってないんですけど」


「だってあれは真凛が好きで買ったんだし、ポケットマネーでしょ?」


 たしかに、粉になっているコーヒーを選べばミルはいらなかったし、今は1杯分をすぐに入れられるドリップパックだってある。

 ケトルだって家庭科室のポットを使えばよかったのだ。


 替えのきくものをわざわざ買い揃えたのは、ほのかにほめてほしかったからだ。


「まあ……別にいいけど」


 ほのかはにーっと笑い、手すりを今度は背もたれにして地べたに座りこんだ。

 一応上履きのゾーンだけど、それにしたって直に座るのは気が引ける。


 わたしは焼きそばが入っていたビニール袋を敷いて、ほのかの隣に腰を下ろした。

 もう1枚をほのかに使ってもらおうとがさがさと振ってみせたが、一瞥しただけで受け取ってくれなかった。


 コンクリート製の手すりは、背中にひんやりと冷たかった。ほのかは膝にあごをのせ、「ねぇ」とぼやけた声を出した。

「ん」とできるだけやわらかく聞こえるように返事をする。


「真凛はさ、これからどうするの?」


「これから? ここでサボるんでしょ」


 ほのかはセミロングを揺らして首を振った。

 折り曲げた脚を、細い腕が抱きしめている。なるべく小さくなろうとしているかのようだ。

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