第11話

 わたしの手が震えていることに気づいたのだろうか。

 完成したコーヒーを、ほのかはわたしの手からそっと取り上げ、代わりにお客さまに手渡してくれた。


 わたしが渡していたら、きっと相手の手に零していただろう。


 ふたりは紙コップに貼られた「たんぽぽ珈琲」のロゴを褒めながら、店の前を離れていった。


 廊下の角を曲がる間際に2人はコーヒーに口をつけたようだったが、味の感想は聞こえなかった。

 安心したような、少し残念なような、どっちつかずの気分だ。


「ね、売れたね。開店早々幸先いいよ」


 ほのかは満面の笑みを向けてきた。

 わたしはぎこちないうなずきを返すので精いっぱいだ。


「うん。売れた。どうしよう」


「どうしようってどんな感想よ」


「だって、タダじゃなくてお金をもらっちゃったら、まずいとか、ぼったくりとか言われても仕方ないんだよ」


 ほのかはななめ上を見て、むーんとうなった。

 それから、ばしばしとわたしの肩を叩いてきた。


「大丈夫だって。真凛、考えすぎ。ていうかもっと自信持ってよ。あたしは真凛のコーヒー、大好きだよ」


 ブラックで飲めないくせにとか、ほとんどホイップクリームと糖分を飲んでたくせにとか、いくらでも揚げ足をとることはできた。


 だけど、今は「大好き」という言葉に甘えたかった。


 友だちという贔屓目があったとしても、作ったものを肯定してもらえることがこんなに嬉しいものだとはじめて知った。


 それから、暇にならない程度にお客が訪れ、ほのかは2回水を汲みに行った。

 客足が途切れたのを見計らって手押し車の店をほのかが引き、後ろでわたしが押さえ、営業場所を移動した。今度は体育館へとつながる渡り廊下の一角だ。


 体育館からはステージ発表の熱気が伝わってくる。

 雰囲気だけだなく、気温も上昇しているのだろう。そこから出てきた人たちが頼むのは、アイスドリンクが多かった。


 やっとお金を受け取っているという事実に慣れてきたころ、30代後半と見える女性が興味深そうに歩み寄ってきた。

 手を繋いだ小さな女の子は娘だろう。幼稚園の年中さんくらいだろうか。細長い風船をねじったり組み合わせたりした、カラフルなシルクハットを被っている。


 女性はにっこりと笑ってわたしの目の前で立ち止まった。

 つい、知り合いだったかと錯覚するような、やわらかい笑みだった。


「タンポポコーヒーなんてめずらしいわね」


「いらっしゃいませ。めずらしい……ですか?」


 それほど凝った店名でもないし、めずらしいと言われるほどのものではない。

 受け答えたほのかも、さっきまでの接客は淀みなかったのに、少し言葉をつまらせた。


「昔、妊娠中にはよく飲んだわ。カフェインがないからね」


「カフェインが……?」


 カフェインはコーヒーに入っていてあたりまえの成分だ。うちのコーヒーにだって絶対入っている。


 女性客は「今は気にする必要ないから」とブラックコーヒーを、娘にはコーヒーを使っていないホットキャラメルを購入し、零さないようにゆっくりと去っていった。


 かすかな引っかかりを感じたものの、ほのかと言葉を交わす暇もなく、次のお客さまの対応に追われる。


 移動式カフェスタンドは、予想外に好評だった。

 お客がひっきりなしに訪れるので、午前中は3ケ所で営業する予定だったのに、2度目の移動をするタイミングを失ってしまった。移動のための手押し車だったのに、据え置きになっていた。


 次のお客をさばいたら休憩にしよう。


 わたしはほのかと視線だけでそう意志をすりあわせ、年配の女性客に少し疲れた笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」


「ええ。ブラックで」


 ペットボトルを逆さまにし、ちょうど1杯分残っていた水をケトルに注ぎ込む。

 代金を受け取り終えたほのかは、すでに「休憩中」の札を作業台の下で隠し持っている。


 わたしのおばあちゃんよりは少し若そうなそのお客は、紫がかったレンズの向こうで優しそうに目を細めた。


「あたし、タンポポコーヒーって気になっていたのよ。歳のせいかカフェインが効きすぎて困ってねぇ。もしかして、手作り?」


「いえ、あの……市販の豆を挽いてるだけです……」


「あら、そうなの。タンポポコーヒーじゃないのね。でも、文化祭にしては本格的ね。このあとも頑張って」


 女性客は紙コップを両手で包んで、足を擦るように歩いていった。

 その後ろ姿を、ぼんやりと見送る。


 ほのかは「休憩中」のプレートを作業台の真ん中に置きながら、小さく首をかしげていた。

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