第16話 ライザとゼテス

 ゼテス以外にその場で生きていたのはライザだけであった。

 ライザは全てを見ていた。ゼテスが空賊であることに、悪であることに固執する理由を、他者を殺すために掲げられる正義に対する凄まじい怒りと、大人数を瞬く間に血の海に沈めるほどの苛烈な暴力と怒りを。


 ゼテスの暴力と怒りは、ライザのものとは比べものにならない。ライザは相手を痛い目に合わせる程度だが、ゼテスは確実な死をもたらしている。


恐怖を感じなかったと言えば噓になる。その証拠に、ライザは自分の身体が震えていることに気づいた。


 ライザが見てきたゼテスの人物像、飄々としていて適当に見えるが、子供に優しく、冒険が大好きで、自分のことを認めてくれる。そんなゼテスと今まさに殺戮を終えたばかりのゼテスは、まるで別人のように見えた。


 しかし、それはライザにも心当たりがあった。似たような部分は自分にもある。気に食わない人間に対しては苛烈な暴力を振るうが、子供に対しては優しい。


 暴力的な部分と、人に優しい部分は矛盾しない。両立するのだ。別人でもなく、二重人格でもなく、二面性の範疇である。


 ゼテスには、何か気にくわないこと、不都合なことがあれば、単純に力でねじ伏せてしまえるという絶大なアドバンテージがある。いつも前向きな思考も、他者に優しい心も、凄まじい強さからくる余裕なのだ。


 ライザは自分から声をかけようとした。ここだ。ここなのだ。ここでいかに声をかけるかによって、ゼテスから自分への心象が決まる。今後の立ち振る舞いが決まる。二人の関係性が決まる。


 ゼテスは、ライザが怒りやすく、すぐに暴力を振るう気質であることを知っても、立ち振る舞いに変化はなかった。相変わらず飄々としたままライザと接していた。


 だから、ライザもそうしなければならないと、自分で決めた。ゼテスに対して恐怖を表に出したまま接してはならない。ゼテスもそうしたように。


 もし恐怖を出したまま接したとしても、ゼテスは何も言わないだろうが、確実に心の壁を作ってしまうだろう。それだけは断じて避けたい未来だった。


 実力の差はあれど、ゼテスとは、ゼテスとだけは、何の気遣いもすることなく対等な関係でいたかった。

 これまでがそうであったように。お互いの正体が悪魔だったとしても、氷狼と紅翼だったとしても、鎖で繋がれていた期間と同じ関係性でいたかった。


 だから、かけるべき言葉は決まっている。いたって自然体であるべきだ。ゼテスに対する恐れも、ましてや媚びなど絶対に表に出してはならない。


 ゼテスが自分に対しでそうであったように、失望も幻滅もしてはいない。今までの関係性を続けるためには、二人の間に壁が生まれないようにするためには、自然体でいなければならない。


 ライザが血だらけになり、血の海の上に立つゼテスに近づいていく。ずんずんと、肩で風を切って歩いていく。


「遅かったじゃない。もう少し早く終わらせてほしかったわ」


 出てきた言葉はとりとめのないただの愚痴だった。遅かったというのは、十字軍の殲滅にかけた時間のことを指している。

 ライザにとって、それが遅かろうと早かろうと、大した影響はない。むしろ理不尽とも呼べるような言いがかりだった。


 十字軍の殺戮を見てもなお、相変わらずいつもの調子で話しかけてきたライザに、ゼテスは目を丸くした。


 そして……ゆっくりと……ゼテスは……


 いつもの感じになった。


「ライザ~」


 ライザの様子にゼテスは露骨に機嫌を良くした。返り血まみれの顔だったが、一瞬でいつもの鬱陶しいニヤニヤした表情になった。


 十字軍に対して向けていた怒りと殺意は一瞬にして消え去った。


 ライザがいつもの調子で話しかけてきたことに嬉しそうなのは十分に伝わる。だがにやけた表情が鬱陶しく気持ち悪い。


「な、なによ……」

「ごめんな~時間かかって」


 ゼテスの一瞬の変貌に、ライザは引いた。ついさっきまで激情と暴力を撒き散らしていた人間が、今は返り血まみれの顔でニヤニヤしている。恐怖はないが、ひたすらに気持ち悪い。


「血で身体中ぐちゃぐちゃだぜ。お風呂入りたい」


 ゼテスの口から出てきたのも、現状に対する文句とただの欲求だった。


「残念ね。私の家ぶっ壊れたから無理よ」

「うひ~。世知辛い~」


 ゼテスといつも通りのやり取りをして、ライザは心底安心した。ゼテスはライザが絶句するほどの恐ろしい一面があるが、それはあくまでも敵に容赦のないという一面に過ぎない。


 その一面とは別に、やはりゼテスにはこういうふざけた感じの一面もあるのだ。どちらもゼテスだ。だがやはりライザはこっちの方が好きだった。


「ねえ、ゼテス」


 ライザが何かを決心したように、ゼテスの名を呼び、真っ直ぐに見つめた。


「私も空賊になる」


 空賊になる。その言葉の意味をライザはしっかりと理解していた。覚悟も決意もすでに済ませたような声音だった。



「私も空賊になって、父さんと闘った連中と闘う。あいつらが生きている限りまた私みたいな人間が生まれてしまう。そんなこと絶対にさせない」


 十字軍は異教徒異民族の命は石ころほどの価値しか見出していない。異教徒異民族は人間ではない。故に殺してもいいという歪んだ解釈がある。ライザを生体兵器として利用しようとしたのもその解釈に端を発している。


 オーリンが死んでしまった理由は氷狼に殺されたからである。しかし、元々ライザを魔人として、生物兵器として利用しようとしたのは十字教である。


 彼らが氷狼をライザの中に封印し、魔人を作ろうとさえしなければ、オーリンは死ぬことはなかった。オーリンを間接的に殺したのは間違いなく十字教だった。


「だから私も連れて行きなさい。決定ね」


 ゼテスの答えを聞く前に、ライザは言い切った。帰ってくる答えは肯定だと確信している。

 ライザの中ではすでに空賊になってゼテスと一緒に行くことは決定事項だった。


「いいね~。その即断即決っぷり」

「どうも」


 ライザが自慢げに胸を張る。やはり他人から褒められるのはこの状況でも嬉しい。


「だが前にも言った通り空賊とは自由な身分の代わりに、法律には一切守られねえ」


 ゼテスは真剣な声だった。ライザが空賊になるということは今までの社会的立場を捨てるということである。人々の生活と命を守るという聖炎守護のちゃんとした生業から、空賊というやくざな生業へと、まるっきり生活が変わるということである。


「空賊とは犯罪者で悪人で社会のクズだ。いつどこで誰に殺されても文句は言えない立場だぞ」


 だがライザはそんな諸々の危険性を十分承知していた。その上で空賊になると言っている。決意は硬いようだった。ゼテスが話している最中にもそれは微動だにしなかった。


「上等よ」


 ゼテスの忠告は逆効果っぽかった。ライザは聖炎守護という組織に身を置いても、反骨心とか野心とか負けん気の塊のような性格であった。もしかしたら空賊の素質があるかもしれないとゼテスは密かに思った。


「十字軍がまたどこかで同じようなことをしてると知った以上、見過ごすのは私の魂が腐る。それに比べれば空賊の立場なんて些細なことよ」

 

 いつかゼテスが使った言い回し。ライザも使う程度には気に入っていた。ライザも元々はオーリンの意志によって命を助けられたのだ。だから十字軍が罪のない人々を苦しめるのは、利用するのは、絶対に見過ごすことができない。


 十字軍の組織力は莫大だ。魔人を利用して異教の土地・財産・信仰・人民を神の名の下に蹂躙しようとする。という今回のような出来事はどこでも起こりうることである。この街が十字軍の侵略を受けずに済んだのは単にゼテスの存在があったからである。


「社会のゴミだとかクズだとか罵られても、私がへこむような人生送ってきたと思う?」

「う~ん全く思わない。説得力の塊」


 ゼテスが居なければライザはまず間違いなく死んでいた。それも氷狼という悪魔として。聖炎守護もことごとく殺され、街に残った非戦闘員ですら殺されるか、奴隷にされるか。十字軍はそれくらいのことを平然とやる連中である。


「それに……」


 ライザの声音が変わる。


「私は紅翼にお願いしてるんじゃない。ゼテスにお願いしてるの。私はゼテスが何に喜んで、何に怒るのか、もう知ってる」


 気の強さを感じさせる声音から、温かみのある声音に。


「だから一緒に行きたいの」 


 ライザはある程度、ゼテスがどういう旅を続けてきたのかを察していた。

 行く先々で十字軍相手に闘ってきたのだろう。紅翼が中心人物となった世に轟く悪名高い事件の数々は全て、ゼテスが魂を腐らせないための闘いだったのだろう。


 十字軍はゼテスが紅翼と判明した時、凄まじい恐怖を露わにしていた。

 だが、ライザはゼテスをよく知っているつもりだった。今回の旅で、紅翼ではなくゼテスという人物像を間近で見ていた。


 ゼテスは複雑な心境であった。自分がこの街に来なければライザは空賊になると決心することはなかった。しかし、自分がいなければこの街は十字軍に滅茶苦茶にされていた。


 自分と十字軍との闘いに、ライザを巻き込んだような気がした。故に罪悪感があった。しかし、本人がこうまで強く望んでいる以上、強く引き止めるのは……。 


「じゃあ行くか! 一緒に十字軍ぶっ潰そうぜ!」


 これ以上辛気臭い思考をこねくり回すのをゼテスはやめた。ライザの新生活を祝うように爽やかな声で言った。


「ありがと」


 ライザの思考はこれまでにないくらい澄んでいた。氷狼、聖炎守護、父親、十字軍との因縁は遺っているが、故郷に関する今までのしがらみからは全て解放された。


 ライザは空賊になる決心とともに、故郷には二度と帰れないかもしれないという別れも覚悟した。そういう覚悟をしてでも、空賊になりたかった。何事にも縛られることのない自由な空賊に。


 かつての父親との会話がライザの脳裏をよぎる。


『私ね、大きくなったら父さんみたいな聖炎守護になるの』

『それは嬉しいな。ライザは俺の子だから、絶対に強くなれるはずだ』

『うん!』

『父さんもな……昔はなりたかったものがあったんだ』

『何それ?』

『昔僕のことを助けてくれた恩人がいてね。彼みたいになりたかったんだ。ライザとこうしていられるのもその恩人のおかげなんだ』

『その恩人ってどんなやつ?』

『やつて。う~ん……ライザにはまだ難しいかもな。もっと大きくなったら話そっかな』


『教えて! 難しくてもいいから』

『空賊なんだ。僕とライザを助けてくれたのは』

『空賊ってみんなからお金を奪ったりする悪いやつのことでしょ? どうして恩人なの? どうして憧れてるの?』

『それを説明するのが難しいな~』


 今ならわかる。父親がなぜ空賊に憧れていたのか。奪う側が神や正義を大義名分にしているのならば、奪われる側はどうあがいても太刀打ちできない。理不尽だと感じてもそれに反抗するようなことがあれば悪の烙印を押されてしまう。正義は正義であるがゆえに何の欠点もなく、いかなる反論も意味をなさない。許されない。


 理不尽は理不尽のままに、奪われる側は奪われる側でいるしかないのだ。彼らがいかに清廉潔白な人間であったとしても関係ない。世の悪意と理不尽は平等に降りかかる。


 奪う側、苦しめる側、力のある側が正義、そんな理不尽を叩き潰すことができるのが、社会的立場もなく、法にも縛られない空賊という存在なのだ。


 十字軍が神と正義を建前に、あらゆる土地で略奪を行おうとする中、空賊こそが真正面からその野望を打ち砕くことができる。


 だからこそライザの父親は空賊に憧れを持っていた、ライザも今まさに、それを心で理解した。そしてそれこそが自分に合った生き様なのだとも理解した。ゼテスはそんな生き様の先達だ。

 

 自由の身とはいっても楽しい事ばかりではないだろう。二人の生き様は自らの力以外に何一つとして頼るものがない危険極まりない道である。命を狙う者は多い。世界最大規模の勢力を誇る組織、十字軍。賞金稼ぎ、場合によっては他の空賊にも狙われることとなる。


 だが、不思議と恐怖はわかなかった。ゼテスが横にいると思うとライザはなぜか深い安心感に包まれる。ゼテスが紅翼で腕っぷし強いというからではない。自分でも理由はよくわからない。理由も根拠もなくとも、ゼテスと一緒ならどこまでもいける気がした。


 ライザはそう信じている。

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暴力系ヒロインのメンタルは叩いて治せ @ginsoul

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