第35話 それぞれの想いの先に

「あの時計、レアメタルの塊なの?」 

 ソフィアたちを乗せたワゴン車が見えなくなると、マカロンが質問してきた。


「人口レアメタルだよ。近藤先生にも話さないとね」

 テリーはそう言うと、マカロンと直通エレベーターへ向かった。


 会議室に戻るとテリーは時計の秘密を近藤に話した。

「おいおい、それは不味いんじゃないか?」

 近藤は米国支社が追い求めていたサンプルを取得した事に危機感を覚えた。


「確かに、でもこちらにはこれがあります」

 テリーは時計の箱を取り出すと、底面を蓋の様に外した。時計の箱にはもう一層底面が存在しており、メモリーカードが底面蓋によって隠されていた。


「これが本命、『MMn』の生成方法を記録したメモリーカードです。これを日本支社主導で研究を進めてください。米国より先に生成技術を確立するんです!」


「ほほー!確かに、我が社は生成技術だけには自信がある。人口レアメタルを研究している施設に相談しよう」

 近藤は足早に会議室を出て行った。


「ちょっと見てこれ、ガレットから渡されたデータだけど‥‥」

 マカロンがパソコンのデスクトップにUSBメモリに入っていたデータを落としていた。


 USBには日本で暗躍している裏社会の組織と米国ペイストリーと思われるエージェントとのやり取りの記録が入っていた。

「彼女は米国ペイストリーのやり方を疑問視していたのかもしれないね」


「三輪さんに渡そう。米国支社の進出を一旦は防いだけど、裏社会と米国ペイストリーとの繋がりを断ち切らないと」

 テリーはUSBメモリをパソコンから引き抜くと、ジャケットの内ポケットにしまった。


 マカロンはキュロスが戻って来るのを待っていたが、テリーは先にタクシーで帰る事にした。蔦の絡まる平屋に着いた頃、すっかり日は落ちていた。


‥‥‥

‥‥‥‥


「お帰り、上手くいったようだね」

 暗知と三輪が一階の広間で待っていた。


「米国支社の日本進出は一旦食い止めましたが、米国諜報機関の中に米国支社と通じている人物がいるようです。母さんもいつまで安全なのか‥‥わかりません」

 テリーはスーツの上着を椅子に掛け、丸テーブルを前に腰掛けた。


「時計は米国支社の手に渡りましたが『MMn』のレシピは日本支社にあります。あの場で、母さんを救うには‥‥そうするしか無かったです」


「時計?本物の時計の事?‥‥それより『母さん』って‥‥ソフィアがいたの?」

 そう言うと、暗知は三輪と顔を見合わせた。


「はい、スーミア本社側の担当者として来ました。もちろんボクは正体を明かしてませんが、母さんは勘づいたと思います」

 テリーは三社会議での出来事を話し終えると、三輪にUSBメモリを渡した。


 データの内容を伝えると、三輪は「大手柄だ!」とテリーを褒め称えた後、広間を出て行ってしまった。

 早速捜査に取り掛かるのだろう。


「三輪はタフだな、今日はさすがに疲れたよ」


 マサト誘拐の件、現在も犯人は逃走中。

 凛子殺害事件の同一犯と睨んで、調査部は警察と連携して調査を行うようだ。


 マサトは無事救出され、祖父母の家に送られた。後日、三輪が犯人の特徴などのヒアリングに訪問する予定。


 テリーは平屋の近辺に竜司のバイクが無い事に気づいていた。予想通り、竜司の姿はすでに無かった。


「父さんはどこですか?」


「『ホテル・ビューオブザ・シー』に行くって言ってたよ。掛けてみる?」

 暗知は携帯電話をテリーに見せた。

画面には『長久手竜司』の名前と電話番号が記載されていた。

 テリーは暗知から携帯電話を受け取ると竜司に電話を掛けた。


プルルルッ プルルルッ

《もしもし》

「と、父さん?」


《お疲れさん。上手くいったようだな》

「何処にいるんですか?」


《今かー?ホテルのレストランだ》

「ずるいですよ、自分ばかり美味しい物食べて」


《すまんな!また今度、食いに行こう!》

「今度?いつですか?」

 テリーは携帯電話を強く握った。


《‥‥すまん》


「‥‥母さん、そこにいるんですか?」


《‥‥あぁ》


「話せますか?」


《今は不味い》


「‥‥もういいです」

 竜司の素っ気ない返答に、テリーは思わず電話を切ると、丸テーブルの上に暗知の携帯電話を置いた。


「電話なんて、するんじゃなかった!」


 暗知は丸テーブルを挟んで、静かにテリーの正面に座った。


「ボクに黙って母さんと食事だなんて、こっちはこれからカップラーメンだって言うのに」


「理恵ちゃん‥‥」


「あとスーパーのおにぎりもありましたね、宴会で残ったツマミもありますし、カップ焼きそばも食べてやろうかな!」


「理恵ちゃん、竜司は多分‥‥」


「わかってます!‥‥わかってますよ‥‥2人きりの食事じゃなくて、ペイストリーの2人も付いてるって事くらい!」

 テリーは黄金色の癖っ毛を振り乱し、前髪を引っ張って目を隠した。


「ごめん、電話をかけたタイミングが悪かったね」

 暗知は右手で頭を支え、下を向いた。丸テーブルを囲む2人をぼんやりとシーリングライトが照らしていた。


 ヴィィーン ヴィィーン

 丸テーブルに置かれた携帯電話のバイブが鳴った。『長久手竜司』からの電話だった。


 暗知は携帯電話を手に取った。

「もしもし‥‥あ‥‥わかった」

 テリーは暗知から携帯電話を渡されると、しゃがれた声で応答した。


《もしもしテリー?素敵な名前だったわね》

 電話の相手はソフィアだった。


「母‥‥さん」


《ごめんね、知らんぷりしか出来なくて、本当は今すぐにでも、あなたを抱きしめに行きたい‥‥》


 ソフィアは部屋に忘れ物をしたと嘘をつき、竜司に携帯電話を借り、ホテルのバルコニーに出ていた。


 テリーは抑えきれない感情と涙で、まともに言葉が話せなかった。ソフィアはテリーが泣き止むのを電話越しで待った。


「‥‥大丈夫。ボク待ってるよ」


《ありがとう、私の任務は終わったの。後は本国で仕事の引き継ぎをしたら日本に戻れる‥‥ただ‥‥》


 ソフィアはテリーの身代わりとして10年共に過ごしたミリアムを気にかけていた。


 ミリアムは米国に帰国した後、リエ=バートナーとしてではなくミリアム=ウェストンとして生活する事になる。

 ミリアムの生活環境が整うまで、ソフィアは世話役を竜司に申し入れしたのだ。


「父さんは、それを了承したんですか?」


《これからタイミングをみて詳細を固めるわ》


 テリーは携帯電話片手に前髪を指で摘んだ。

ミリアムは孤児院で育ち、幼少期から思春期に差し掛かるまでソフィアと暮らしてきた。

 

 任務だったとはいえ、ソフィアから離れるミリアムの心情は、容易に考察ができた。


「わかりました、ミリアムの為にも、ボクは待ちます。彼女の気持ち、分かる気がするから」

 テリーは暗知やアヤ、仲間と過ごした日々を思い返していた。


《‥‥‥ありがとう‥‥‥》

 電話越しでも、ソフィアの声が震えているのがわかった。


《カヌレがそろそろ探しに来るだろうから、そろそろ切るわ、理恵、元気でね。愛してるわ》


「うん‥‥」

 テリーはソフィアが電話を切った後も、しばらく携帯電話を耳に当てていた。

 10年ぶりの親子としての会話だった。もっと母と話をしたかった、学校の事、進路の事、好きな食べ物、飲み物、音楽の事、とにかく話がしたかった。


 暗知がカップラーメンを丸テーブルに置いた。

「ごめんよ、料理、苦手だから」


「‥‥ありがとうございます」

 テリーは鼻をすすりながら麺をすすった。


「はっはは‥‥すするのは麺なのか、鼻水なのか、どっちかにしようよ」

 暗知は含み笑いを浮かべながら、ポケットティッシュをテリーに手渡した。


「今まで、ありがとうございます」

 テリーはティッシュを受け取ると鼻をかんだ。


「今日はほんと、よくやったね」

 暗知は広間に置かれたデスクに腰掛けた。カップラーメンの匂いとコーヒーの匂いが広間に漂っていた。


‥‥‥

‥‥‥‥


 1年後、蔦の絡まる平屋。

 朝方までアヤは地下の自室に篭り、小説を書き下ろしていた。

 机の上には昨年度、某出版社主催のコンテストで受賞した盾が飾られていた。


「おはよう~!今日は休みなの?」

 亜麻色の癖っ毛を手櫛でセットしながら、精悍な顔つきをした女学生がアヤの部屋に入ってきた。


「おはよ~。締切近いから、2日間休みもらってるの。ボスも出張中だしね~」

 アヤは大きく伸びをすると、机の上に置かれていたマカロンを一つ頬張った。


「そっか、追い込み頑張ってね。ボクは受験結果見に行って来る。合格願ってて!」

 女学生は椅子に座るアヤを羽交い締めする様に抱きしめた。


「祈ってるよ~、きっと大丈夫~」

 アヤは意識は半分夢の中にいた。


「おーい、行くぞー!」

「お守り持ったのー?」


 一階から男性と女性の声が聞こえると、女学生は足早にアヤの部屋を飛び出して行った。


 アヤは半開きのドアをしばらく眺めていたが、再びパソコンのキーボードを打ち始めた。

「テリーは扉を開いた‥‥開かれた扉を閉めるのは、彼女しかいないだろう‥‥」


「ちょっとベタだけど、これでいいでしょ!」

そう呟くと、アヤはパソコンを閉じた。


 この世の理。

 有形・無形に限らず、何かが崩れかけた時、それを維持しようと新しい何かが誕生する。


 物事は支え合い、均衡を保とうとする。


 この物語の主人公は、時に孤独を感じ、時に挫けそうになりがらも、立ち上がり、周囲に支えられ、認められ、走り続けてきた。


 探偵助手であり女学生、一風変わったテリーの物語は始まったばかり、なのかもしれない。

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Miss.Terry 〜長久手亜矢の回想録〜 真昼間イル @mahirumairu

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