第34話 マテリアルマンガン
テリーは暗知から来たマサト救出の報告メールを見ていた。
(よし、よかった!それにビンスは母さんの素性を知らないみたいだ‥‥凛子さんは喋っていない)
これまでのビンスの様子を見て、テリーはそう判断した。
「三社協議のまとめといきましょう!」
ビンスは勢いよく会議室のドアを開けると、乱暴に椅子を引っ張り寄せて座った。
「これ以上の議論は不毛と判断しました。我々は独自の政策を持って、日本政府、並びに日本支社と協議を進めていきたいと思う」
「それでは!一旦手を引くと!?」
席から跳ねるように立った近藤を見て、ビンスはゆっくり頷いた。
「ただ‥‥ソフィア、いいですね?貴国の新政権を揺るがす事態になっても」
「‥‥なんのことかしら?」
「米国の諜報機関は今や我々に#協力姿勢#にあります。なぜなら、我が社は巨額の税金を納める大企業になり得ますからね。あなたの活動経歴も、素性も知っていますよ。ここは我々に協力すべきでは?」
(な、なに?知ってるのか、この人)
テリーはサングラスを少しズラすと、ビンスの顔色を伺った。
シベイリア共和国はつい数日までは労働党による一党独裁国家だった。
しかし、レジスタンス運動と党内での分裂により、民主党が政権を取ることになる。その背景には米国の諜報活動があった。
米国はシベイリア共和国とのパイプを強固に出来る状況が整った。
そして、まさにスーミア社ホールディングス化により、スーミア米国支社を米国贔屓の企業として取り込むチャンスを得たのだった。
一方、ソフィアが米国からのスパイだという事が本国へ知れ渡ったた場合。
新政権は混乱の末、再び独裁国家に戻ってしまうかもしれない。
しかし、大々的に世界へ新政権とマニュフェストを公開したばかりだ。国有企業の民営化は、止めることは出来ないだろう。
シベイリア共和国にとって、失う代償が大きかった。
何よりソフィアと、テリーの身代わりとなったミリアムの命も危ない。新政権に残る、労働党保守派から命を狙われる危険性があった。
そもそも、米国諜報機関の内部でもペイストリーと関係を持つ者がいても不思議は無い。
米国支社はそれだけの財力とネットワークを持っていたからだ。
ソフィアはビンスの口振りから、自分をスパイとして利用してきた、米国諜報機関の裏切りを想定した。
ソフィアは静かに瞳を閉じた。
「ソフィア、もしかして脅されてるの?」
金髪ボブのカヌレはビンスを睨みながら、ソフィアに耳打ちした。
ビンスは血走った目で、必死に逃げ道を模索するソフィアを満足げに見つめていた。
近藤はソフィアの様子を見て、何かを悟った。
(どうした、ソフィア、これまでなのか?)
そう頭の中で呟くと、くたびれた椅子に体を預けた。
「あの~ビンスさん、これをどうぞ」
テリーはジャケットのポケットから、マットな金属の塊をビンスの前に差し出した。
「なんだね、これは?」
円卓に置かれた時計の文字盤ガラスには、ビンスの歪んだ顔が映し出されていた。
「『MMn』マテリアルマンガンで作られた、世界に一つだけの時計です。これをお探しだったのではないでしょうか」
「な、な!?君は何者だ、ガレット!スコープ、スコープを貸せ!」
ビンスは吸い込まれるように時計に顔を寄せると、腕を側近のガレットに向かって伸ばした。
「近藤の秘書、テリーです」
テリーはメタルスコープをガレットより先にビンスへ差し出した。
ビンスはメタルスコープを引ったくるように受け取ると、時計にスコープをかざした。レンズ越しに、虹色に光る時計が映し出された。
「この反応、間違いない。博士から聞いていた通りだ‥‥ほん‥‥本物だぁ!見つけたぞー!ふはっ、はははー!」
ビンスの高笑い声が会議室内に響き渡った。
充血した目と、大声で笑うビンスには、品性のカケラも感じられなかった。
「タダで差し上げる訳ではありません。ソフィアさんに協力する事と、日本支社との協議は一旦拍紙にして下さい」
そうビンスに要求するテリーを、ソフィアは目を丸くして見つめていた。
「何?君はソフィアとどんな関係だ?」
ビンスはテリーを舐めるように見つめていると、腕組みしたマカロンが、テリーを隠すように前に立った。
「この子は、ただの新人よ!テリー、一体どこでそんなの見つけたの?」
マカロンの小芝居が始まった。
ビンスは顎に手を添え、考え始めた。
『MMn』時計の入手は今回の訪日目的の一つだ。米国諜報機関の後ろ盾が無いソフィアなど、恐れるに足らなかった。
それに、日本への進出も急ぐ事ではない、何より人口レアメタルの生成技術を確立出来れば、日本の海洋資源なんてどうでも良かった。
「良いだろう、時計に免じて一旦ここは退こう。因みに、これをどこで見つけた?」
ビンスは時計を丁寧にハンカチに包むとジャケットの内ポケットにしまった。
(時計→東堂→北村→診療所)
バイクで通り過ぎた北村診療所の建設現場の様子が、テリーの頭をよぎった。
「都内の建築現場から集められた廃材から見つかりました。弊社は建築廃材からレアメタルを取り出す事もしていますので」
近藤は「ピュ~イ」と口笛を吹いた。事態は飲み込めなかったが、テリーの方便に関心したようだ。
「ふはっ!テリーと言いましたか?大手柄でした。今日は疲れましたので、お先に休ませて頂きます。See you later ! !」
ビンスは目の充血が治まると、落ち着かない様子で会議室を出て行ってしまった。
「会議は、終わりですかな?」
近藤とソフィアは顔を見合わせると、微かに笑った。
「近藤さん、良い秘書を持ちましたね」
ガレットは近藤に優しく語りかけた。
「あなたは、あの時のエージェントですね?やはり、ペイストリーでしたか」
近藤は14年前、鈴木香料にいた頃にガレットと面会していたのを覚えていた。
「あの時はごめんなさい、任務でしたので」
トゲの無い穏やかな表情に、ベテランの余裕を感じられた。
「それはもういい。あなたが私を日本支社に推薦してくれたんでしょ?お陰で元気に仕事できていますし、それでチャラにしましょう」
ガレットは浅く一礼すると、ジャケットの内ポケットに手を入れた。
「私は今回の出張を最後に、この仕事を終えるつもりです。最後にお会いできて良かったです」
そう言うと、何かをマカロンに向かって投げつけた。
マカロンが受け止めた手の中を広げると、そこにはUSBメモリがあった。
「これは?」
ガレットはマカロンを見つめ、目尻にシワを寄せると無言で会議室を後にした。
なにわともあれ、日本支社は米国支社の進出を一旦食い止める事に成功した。
「ソフィアさん、お疲れ様でした。後半危ない雰囲気でしたが、大丈夫ですか?」
近藤はソフィアとテリーの親子関係を知っていたが、お付きのペイストリー2名に悟られてはならないと、芝居をうつことにした。
「ええ、ビンスは私が民主党員である事を知ってるようです。政府の人間でありながら、スーミア社に身を置いている事を非難したかったのでしょう。党内でもこの事は指摘されていますし、一旦本国に帰って調整します」
ソフィアの言葉にカヌレとジェラートは感慨深く頷いていた。
「ええー!?確かに、それでは民間化とは言えませんな~」
近藤はわざとらしく頷いた。
「それよりMiss.Terry、箱は‥‥時計の箱は見つかりませんでしたか?」
ソフィアの質問を受け、テリーはサングラス越しにソフィアを見つめた。
「箱なら大丈夫です、別に保管しています」
ブリーフケースから愛読書『未来志向』を取り出すと、胸の位置で抱えて見せた。
ソフィアは目を凝らし、テリーの顔と本の表紙を交互に見つめると、指で目を擦った。
「ビンスの言う通り‥‥大手柄でしたね」
少し声を震わせると、テリーに笑いかけた。
2人の心情を悟ったマカロンは窓に顔を向けると、滲んだ夕陽と、歪んだビル群を見渡した。
ソフィア一行を地下駐車場まで案内すると、キュロスがワゴン車で待機していた。
「米国支社の方々はタクシーで帰られましたよ~、本社の方々を待ち切れなかったみたいです~」
ビンスはソフィアの素性(米国のスパイである事)を知っていた。
凛子が米国ペイストリーに話したのか、それともビンスの言う通り、米国諜報機関に米国支社と通じる者がいたのかは定かではない。
いずれにせよ、時計と引き換えに得た、ソフィアの身の安全もいつまで効力があるかは不明だ。
(母さん‥‥)
テリーはソフィアの事が心配だった。
ワゴン車のテールランプがスーミア社のロゴマーク、菱形◆マークを薄らと照らしだす。
テリーとマカロンは、ソフィア一行を乗せて走り出したワゴン車を見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます