大切な光を胸に抱いて⑧


「あ、漆間さん。お疲れ様」

「梅本さん。柳さんも。お疲れ様です」


 ずいぶんと暖かい日になった昼休み、梅本と柳は社員食堂で並んでいた漆間に声をかけた。彼女の手には既にトレーがある。


「お疲れー。お昼、何にしたの?」

「メンチカツです」

「わあ、若い。わたし、揚げ物好きだったけど、最近全然食べられなくなってきたよ」

「そう? わたしは全然平気ー。ってことで、わたしもメンチカツにしようっと」

「柳、さすがだね……あ、カルボナーラあるじゃん。これにしようっと」


 二人も食券を購入して列に並ぶ。

 先にメンチカツを受け取った漆間が、数歩先から振り返る。


「奥、空いてますよ。一緒にどうですか」

「いいの? ありがとー」


 ほどなくして二人がテーブルに合流した。三人で手を合わせ、食べ始める。

 忙しさは和らいだとはいえ、休憩時間は長くない。


「ねえねえ、漆間さん。この前相談したことなんだけど」

「あ、桐島さんのことですか」


 カルボナーラを巻き取りながら、梅本が口火を切った。

 隣では柳が箸でメンチカツを切り分けつつ、ああ、とのんびりした声を出した。


「それって、桐ちゃんの様子が変だって言ってた話?」

「そうそう。なんか調子は戻ったみたいだけど、どうなのかな」


 漆間は答えにくそうに表情を歪めた。


「えーと、調子は戻ってます。あの時みたいな、漠然と落ち込んでる感じはないです。いつもの桐島さんですね」

「そう? それならよかった」

「ただですね」


 声をひそめた後輩に、思わず顔を近づける。まだなにか問題があるのだろうか。


「その……最近、やたら栗原さんとのコミュニケーションがぎこちないんですよね」


 莉奈の同期二人は顔を見合わせた。そして、得心したとばかりに大きく頷いて、笑顔になる。

 漆間はその様子を見て、持ち上げかけたお椀を中途半端にストップさせた。


「大丈夫。むしろめでたいことだから、それ」

「そうだよー。そうかあ、ついに前進したんだねえ」

「え、え、それって」

「そういうこと。外野は静かにしてないと。特に男のほうは不貞腐れちゃうから、そっとね」


 わあ、とむず痒そうに体を捻る後輩と同じくらい、梅本も柳も心が躍っていた。





 その翌日、莉奈が出勤してロッカールームに行くと、ちょうど梅本が同じタイミングで退勤して着替えていた。


「お疲れ」


 一瞬言葉がつっかえた隙に、梅本が笑顔を見せた。


「お……お疲れ」


 自分のロッカーを開けて、莉奈も着替える。コートとセーターを脱ぐと、冷えた空気が全身を包んだ。

 早い時間なので、二人しかいないロッカールームは静かだ。


「……ねえ、梅本」

「ん?」


 ロッカーの並びが別なので、音は聞こえても姿は見えない。それをいいことに、莉奈は梅本に呼びかけた。


「ごめんね」

「何よ、急に」

「この間……わたし、嫌な感じだったでしょ。梅本が気を遣ってくれてたの、知ってる。本当にごめんね」


 一度口を開けば、素直に言葉が溢れてくる。

 今思えば幼稚だったという感想しかないが、あの時は置いていかれることへの負の感情でいっぱいになってしまっていた。


「梅本や桜庭さんがどんどん先にいってしまうような気がして、焦ってたし、次のステップに行くチャンスを与えられたことが羨ましく思えて仕方なかった。応援したい気持ちはあったし、頑張って欲しいって思ってるけど、裏側にあるその気持ちをうまく整理できなくて」

「うん」

「でも、もう平気。わたしはこの町で――このホテル雪椿で、頑張ろうって思えたから。もっともっとこのホテルを盛り上げて、スタッフもゲストも幸せな気持ちになれるような、そんなホテルにしたいなって思ってる。……わたしのくだらない感情で気を遣わせちゃって、本当にごめんね。ありがとう」

「くだらなくなんかない。大事なことだよ。それに全然気にしてないよ。むしろ、桐ちゃんのことが大好きな人ってたくさんいるんだなあって思って、ちょっと羨ましいよ」


 それよりさ、と、梅本の声がいたずらっ子のようにおどけた。


「何かわたしに報告すること、あるでしょ」

「え」

「近いうちに同期会しようね、蓮見も誘って。その時に詳しく聞くから」


 言うだけ言って、それじゃお先に、と、梅本はさっさとロッカールームを出ていった。


 おもちゃにされる予感しかしない。きっと栗原の話を聞きたいのだろうが、そう簡単にはのろけてやらない。ガードは硬いのだ。











 日差しが降り注ぎ、徐々に高くなってきた気温で雪はどんどん解けていく。

 もうすぐ春がくる。


 大きなガラス窓から注ぎ込む光のシャワーが、ロビーの柱に当たって弾ける。

 そして、エントランスの自動ドアが開いた。


「いらっしゃいませ。お疲れ様でございます。お名前をお伺いしてよろしいですか?」



 今日もホテル雪椿には、さまざまな夢と思いを抱いたお客様がやってくる。






Fin.



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ホテル雪椿より、まごころこめて 〜雪国・越後湯沢のおもてなし〜 緒環 冥 @kis02

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