美術部で爆弾を彫る。

三嶋悠希

第1話

 今でもたまに思い出すことがある。好井よしい先輩という人がいた。かつて私が美術部に入っていた頃の話だ。私があの人を忘れないために、何となく備忘録のようなものとして、ここに書き記すことにする。


 確か私は中学三年、好井先輩は高校二年だったと記憶している。自信はない。もしかしたら間違えているかもしれない。


 中高一貫というシステムのせいか、私の学校は部活動が盛んで、どの部も中高を問わず、沢山の生徒が入り乱れていた。


 一つ年上の兄も同じ高校に入っていた。だから、兄の一個上が好井先輩、という覚え方をしていたのだ。当時高校一年の兄はゴルフ部に入っていて、部活終わりにはよく好井先輩に捕まっていた。


 好井先輩を初めて見たときのことは、今でもはっきりと思い出せる。だから、あの人がいた当時の美術部を、回想してみることにする。あれは、まだ蝉時雨が五月蝿いくらいに響き渡っていた季節だった。


 美術部の活動日は毎週木曜日。部員は幽霊部員が大半を占めるという、ゆるゆるすぎる部活だ。


 その日も私は六限目の授業を終えると、そそくさと美術室に向かい、何となく浮かんだオリキャラを落書きしていた。


 幽かに聞こえる話し声に囲まれて、小一時間描きこんでいたのだが、ふいにドアが開いて、知らない人が入ってきた。


 以前まではいなかったと思うし、そもそも部員なのかも怪しい。部屋を間違えた可能性もある。でも、表情は落ち着いていて、焦った様子はなかった。先週はたまたま部活を休んだのだが、そのときに入部したのだろうか。ネクタイの色を見るに、私のような中学生ではなく、高校生らしい。つまり、先輩だ。私の学校は中学生と高校生でネクタイの色が別れているから、すぐに見分けがついた。他の中高一貫校もそうなのだろうか。まあ、あんなにいかついツーブロックは中学生にいたら怖すぎるし、当たり前と言えば当たり前だ。そういえば先生は見ない顔に困惑していないのかと教卓を確認したが、特に気にした様子はなかった。


 その人は私たち部員を一瞥してから、美術室の最奥に移動し、何かを探し始めた。


 私の中にある好奇心が、私の体重を後方に引っ張ろうとしたけれど、目が合ったら気まずそうだから、やめておいた。


 先輩が取り出したのは彫刻用の石膏像せっこうぞうだった。本格的なものではなく、練習するときに気軽に使える簡易的なものだ。


 先輩はそれを抱えながら、入ってきたドアの方へ引き返した。帰るのかなと悟ったが、そうではなくて、ドアの真ん前にあるゴミ箱に正対して立ち止まった。そして、徐に制カバンをゴミ箱の上に置いた。丁度ゴミ箱の方が制カバンより一回り小さかったので、制カバンが落ちることはなかった。


 なんとなく予想は出来ていたけれど、先輩はその制カバンの上に石膏像を置いた。あれほどまでに平らな制カバンがあるだろうか。高校生は持ち運ぶ教科書が多い印象だっただけに、少し拍子抜けした。


 先輩は立ったまま石膏像を彫り始めた。やはり顧問の先生は何も言わない。どうやら入部届けは提出済みらしかった。その証拠に、先輩が慎重さの欠片もなく豪快に彫っているその石膏像には、以前にも彫刻を施した形跡があった。間違いなく先輩だろう。


 部活が終わる頃には、それはそれは見事な爆弾が誕生していた。元々は四角形だった石膏像が、あらあら、不思議なことに綺麗なまん丸に。周りも同じことを思ったらしく、顧問の先生は「好井すごいなー、これは見事な爆弾や」と笑っていた。あの人の名前が好井であることを、そのときに知った。


「順調、順調」と言いながら腰に手を当てる好井先輩を見て、おかしな人だ、という印象を抱いた。笑うのを堪えきれなくて、口元を手で覆いながら、必死に隠した。


 それから何週間か経って、好井先輩が爆弾を彫り続ける光景がすっかり馴染んだ頃、好井先輩が話しかけてきた。思えば、これがあの人との初めての会話だった。


「みしまの妹?」


「あっ、はい」


 普段は全く話さないから、変に緊張した。


「中三だっけ?」


「はい」


「そっか、俺高二」


「兄から聞いていました。いつもお世話になっております」


「硬いな。かあちゃんかよ」


 苦笑いをした。


「あ、そうそう。このグミ、めっちゃまずいけどいる?」


 好井先輩がポケットからグミを取り出す。


「……まずいんですか?」


「うん」


「えっ、いらないです」


 好井先輩は「おけー、欲しくなったら言えよ」と言い残して、他の部員にグミを配りに行った。十中八九、誰も受け取らないだろう。それにしても、高校二年という中途半端な時期に、この部活に入部するなんて、本当に変わった人だ。すらりと伸びた背筋を見て、ぼんやりとそんなことを考えた。


 好井先輩の行動は誰も読めなくて、何かふざける度に先生に注意されていた。もちろん先生も本気で怒っているわけではなくて、呆れているようだった。


 例えば、みんなが何を描いているのか覗き込んで、先生に「お前は静かに彫刻でもしとけ」と叱られていた。


 別の日には、美術室の物入れの棚から、折れた椅子の足を見つけて「みんな見ろよこれ! ぶんぶん振り回せるぞ!」とか言って振り回して「折ったの俺じゃないからな!」とふざけていたこともあった。


 落ち着いた美術部だからこそ、そのはっちゃけぶりは、かなり目立っていた。でも、数週間に一回しか来ない部員が大半を占める中、好井先輩だけはちゃんと毎週来ていて、謎のギャップに違和感を抱いた。


 そういえば、部活を除いて校内で会ったことがないことに気づき、先生に聞くと、どうやら授業を受けていないらしい。なぜ美術部にだけ顔を出すのかは分からなかったけど、もしかしたらあそこが好井先輩の居場所になっているように感じて、少し嬉しかった。


 私は、あの人が何かふざける度に先生に叱られて「すぃませーん」とぺこぺこ頭を下げたり、周りから笑いが起きたりすることが、地味に楽しかった。好井先輩がいなかったときよりは、明らかに朗らかな部になった。


 それから半年くらい経った。空気は冷たくなり、紅葉は散った。中高一貫校と言えど、一応は形としての受験をしないといけなかった私は、勉強に追われていた。部活にも、あまり行かなくなった。


 それでも久しぶりに行ってみる気になって、美術室に入ると、奥の掲示物のところに見慣れない絵が飾られていた。絵の具で描かれたピチューのイラストだった。輪郭がぐちゃぐちゃで、乱雑極まりなかったけれど、キャラクターが有名であったから、辛うじて読み取れた。


「それ、俺が描いた」


「あっ、好井先輩。お久しぶりです」


 後ろから急に話しかけられてびっくりした。好井先輩は絵も壊滅的に下手らしい。


「上手いだろ」


 いつかのように、苦笑いをした。


「なんでピカチュウじゃないんですか」


「テキトーだよ、テキトー。ピチューの方が簡単そうっつうか」


「勝手に貼ってもいいんですか」


「あーだいじょぶだいじょぶ。オカちゃん、なんやかんや俺のこと好きじゃん」


「……そうですね」


 オカちゃんというのは、私たちの顧問の先生だ。


「さーて、爆弾でも作るか」


「本人公認なんですね、あの呼び方」


 雪が街を染め上げる中、とうとう冬休みに入る。終業式を控えた前日も、私は二学期最後の部活に励んでいた。励むといっても、いつも通りまったり絵を描くだけなのだが。


 集中してデッサンをしていたら、突然、好井先輩が凄い勢いでドアを開けて入ってきた。ネクタイはゆるゆるなのに。秀逸な対比だ。


「俺今日でお先に帰るわ! 荷物取りに来た!」


 みんなの視線が一気に集まる。まあ、毎回のように集めていたけれど。


 好井先輩は部屋をぐるっと見渡す。


「はい、なんもないよな帰りまぁーす!」


 私を含め、控えめな笑い声が起きた。


「お前爆弾は?」


 先生が奥に首をやる。


「爆弾? 飾っといてや! それじゃ!」


 好井先輩はまた勢いよくドアを閉めて、大急ぎで帰った。本当に何をしにきたのか。


 冬休みが終わって、部活に何回か行ってみるも、好井先輩が部活に来ることはなかった。好井先輩のくせに、もしかしたら既にこの時期から早期の受験勉強をしているのかもしれなかった。


 部員が先生に「好井先輩、最近来ないんですか?」と話しかけるのが聞こえた。


「あいつやめたよ」


「えっ、退部しちゃったんですか」


 水彩色鉛筆を持つ手を置いて、思わず耳を傾けた。置く際に手が滑って、紙に赤色がシャッと走ってしまい、お気に入りのヴィフアール水彩紙が台無しになった。


「退部もなにも、学校やめたんだ」


「えぇー」


 その子はかなり動揺しているようだったが、私はあまり驚かなかった。と記憶している。学校に来ていなくてテストもまともに受けていないのは前に聞いていたし、薄らと予想はついていたのだ。


 そんな感じで、好井先輩は颯爽と姿を消した。今思えば、あのとき部室を訪れたのは、ただ最後に思い出の場所を見たかっただけなのだろう。好井先輩の制カバンが薄っぺらだった理由も、自ずとわかってくる。


 意味が分からなくて掴みどころのないあの人の話はこれでお終いだ。


 ざっと印象に残っていた会話を書き起こしてみた……つもりだったが、思ったより記憶に残っていなかった。なぜか好井先輩は度々私に話しかけに来たから、他にも会話はあったのだろうが、忘れてしまった。もし好井先輩が読まれていたなら、ごめんなさい。


 そういえばあれ以来、スーパーで買い物をしているときにグミを見かけると、立ち止まって眺めることがある。別にグミが好きなわけでも、食欲が湧いてきたわけでもない。何となく、意識せずとも、潜在的に吸い寄せられる。


 元気にしてるのかなとか、今は何をしているんだろう、とか。そんなことが脳裏を掠めるのだ。


 ちょうどこの文を書いている辺りで、生徒がやってきた。


「みしま先生、あの爆弾みたいなやつ、なんですか?」


「あぁ、あれはね──」


 備忘録を書き記す必要は、なかったかもしれない。部内唯一の彫刻作品である爆弾と、美術室の後方に居座っているピチューは、随分と色褪せてはいるものの、私が顧問になった今もひっそりとこの学校の名物になっているから。

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美術部で爆弾を彫る。 三嶋悠希 @mis1031

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