第38話「……ですから、失敗したじゃないですか」

「おーい、八重樫?」


 向かいの席に腰掛ける八重樫に躊躇いがちに声をかける。


「……何ですか」


「何ですか……って。こっちが聞きたいんだが。どうしてそんなに落ち込んでいるのは」


「はあ……先輩、そんな意地が悪い人でしたっけ。あくまで私の口から言わせる気なんですね」


 正直言うと、普段あれだけ溌溂とした態度で振る舞う八重樫が、こんなにもげっそりしているのを見るのは中々に痛快だった。

 その愉悦が漏れ伝わってしまったのか、八重樫は両肘をテーブルについてうんざりしたように溜息を吐いた。


「……ですから、失敗したじゃないですか。今日の営業ぜんぶ。私が言うことは聞いてもらえなくて、何の成果も上げられなかったんじゃないですかっ!」


「悪い、そうだったな」


「そうだったな、じゃないです!」


 ぴしっと指を指されて睨まれる。八重樫がこうも不満を露わにするのは新鮮だった。


「酷いですよ、先輩。私がいくら困っていても助けてくれないんですもん」


「もん……って。でも今は代わりにスイーツを奢ってるじゃないか。それでチャラってことで。お前もよく食ってたじゃないか、これから旅館で夕食もあるってのに」


 いま思い返してみてもあれは凄まじい食欲だった。

 このカフェにあるデザートメニューはほとんど制覇してしまったのではないかと疑うほどに。

 個人経営のカフェであるから品数は少ないとはいえ、些か不安が残る。


(でも仕事中はケーヒでどうにかなるんですよね?)


(これは……どうだろな。行き過ぎている気もするが)


 健啖ぶりに慄いていると、またしても八重樫は肩を落とした。


「でも本当に予想外でした。あんなに話を聞いてもらえないなんて」


「そうか? 結構よくやってた方だと思うぞ」


「……どこがですか。ただの一度も取り次いで貰えなかったですのに」


「それは随分と自分を高く見積もってたことだな」


 目を丸くする八重樫に笑いかける。

 まさかいきなり結果が出るなどと本気で思っていたのだろうか。もしそうならこちらの教育が足りなかったというだけの話だが。


「確かに分かりやすい成果はゼロだが、相手の感触は悪くなかった。もし俺が同じようにやってたらもっと嫌な顔をしていたと思うぞ」


「そ、そんなことはないんじゃないですか? きっと先輩ならもっと上手く言葉を使って……」


「初対面の時点じゃあそんなもん関係ねえよ。人当たりの良さと先方の都合で決まる。お前の一生懸命なやり方は中々好印象だったが、飛び入りでは時間が作れないのは致し方ない」


「……私は、うまく出来なかったわけではない……?」


「ああ、今回は運がなかったってだけだ。お前は何も悪くない」


「……はああぁぁ」


 気が抜けたといった風に八重樫が机に突っ伏す。

 それほどまでこの仕事に対し緊張していたということだろう。


(まあ、いきなりこんな仕事放り投げられたら誰でもそうなるわな。あの鬼畜社長め)


(家畜?)


(鬼畜だっつの、性格が悪いってことだ)


(そうですか? 優しかったと思いますけど。晃仁様のこともわたしの次くらいには理解していたのではないかと)


(ただの軽口だ、あとそこまで保護者面すんな)


 八重樫とミコで会話にかける労力も二倍だ。余計な疲れが肩に乗っかって重い。

 今日はもう早く帰って休みたいのが、正直な感想だった。


「そろそろいい時間だしチェックインしにいくぞ。明日からは頼れる伝手があるからそう苦労はしない、あまり後悔するな」


「はい、分かりました。お気遣いありがとうございます、先輩」


「……まったく、随分と殊勝になっちまったな」


 今日の成果は確かに良くはなかったが、八重樫との間にはあった溝というのはもう大分薄まってきていた。

 この出張は無事に終えることできるだろう、そんな兆しを感じて泊まる旅館に移動した。


 だが――。


「え、今なんとおっしゃいましたか……?」


「申し訳ありません。こちらの手違いで客室を二つ用意するところが、間取りの広い一部屋しか用意できず……」


「えっと、それって先輩、つまり……」


「今すぐ替えを用意することもできない状況でして。今夜はその一部屋に泊まっていただくことしか……お代は取りませんので、何卒……!」


 泊まる予定の旅館で待ち受けていたのは、まるで嘘みたいなハプニングであった。

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万年カノジョなしの俺、婚活の相棒は指輪の精霊でした。 鈴谷凌 @RyoSuzutani2

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