第37話「いやいや、わたし新人ですよっ!?」
「さて、ようやく腰を落ち着けられたところで、今回の仕事について確認しておくか」
席につくなり告げる。
簡易テーブルの上に駅内で買った弁当を広げ、嬉しそうに両手をすり合わせていた八重樫が、露骨に嫌そうな顔をした。
「えー……なんですぐそういうこと言うんですか。せっかくの機会なのでたかーい牛肉弁当を買ったというのに」
「別に食べながらでもいいんだが」
「気楽にって言ってたのになー、あの言葉は嘘だったんですか?」
「それはそれ、これはこれだ。業務を円滑に行うには仕方ない」
目を細めて睨んでくる八重樫を尻目に、鞄から弁当とタブレットを取り出す。
「あ、そっちの和風な弁当も美味しそうですねー」
「……お前が食いしん坊なのはもう十分わかったから」
食欲の収まらない八重樫をなんとか宥めつつ、端末を操作してメモ帳を開く。
「内容はシンプルな新規開拓だ。あちらの方に弊社と古くから付き合いのある顧客がいてな、今回はその繋がりをさらに活かせないかという目的だ」
「ウチの会社ってそれほど大きくないのかなと思ってたんですけど、凄い人気なんですね! 遠方にもお客様がいらっしゃるとは」
「その感想はどうかと思うが……まあ、そうだな。社長の一条廉太郎は元々パティシエールを志してフランスに留学していたらしい。その経験をフルに使って他者との差別化を図ってるんだ。量より質を質を重視している」
「はぇー……」
「……お前、そんなんでよく面接を通過できたな」
要領を得ていない風の八重樫は気がかりだったが今は説明を続けることにしよう。
「この一週間では各地のホテルや旅館などを巡って交渉していくという形になるな。具体的にどこへ行くかは俺が決めるとして……お前には、そうだな……」
意味深に言葉を溜めてみる。八重樫の喉がごくりと鳴った。
「訪問営業するときに交渉してもらおうか」
「訪問……って、ええぇぇ!? それって飛び込みってことじゃないですか!? 無理です無茶です無謀です!」
「そんなに言うことないだろ。最近だと頻度は落ちているが、飛び込みだって立派な戦術だろ」
「いやいや、わたし新人ですよっ!? 話なんか聞いてもらえませんって。絶対に先輩がやってくれた方が」
「俺はお前が成功した後、弊社製品の売り込みを担当する。こっちのほうが知識と話術が必要な分、お前には荷が重いだろ」
「うーん、だからと言ってすぐに実践というのは私としてもちょっと困ると言いますか何と言いますか」
「そうか。じゃあ他の案を考えなければならないな。飯食う時間がどんどんなくなるなー」
「うわ、先輩それは酷いですってぇ!」
このままでは埒が明かないので先ほどから垣間見えるこいつの食欲を利用することにした。
急に八重樫の威勢が弱くなる。そこまで弁当が食べたかったのかと思うとかえって心苦しくもあるが。
「大丈夫だ、お前ならやれる」
「……なんでこういう時に限ってそんな真っ直ぐなんですか」
「こういう時? よく分からんが、お前は俺と違って愛嬌がある。今までは少し暴走していた感が否めないが、それも磨けば武器になると思っている」
「あ、愛嬌ですか……」
八重樫が頬を赤らめる。
苦節一か月、俺は遂にこいつとの接し方を見出しつつあった。こちらを揶揄ってくる一方、直接に褒められるのには弱い。
(あの晃仁様が、戦いの中で成長している……!?)
どうにも失礼な言葉が脳内で発せられたように感じるがどうにか話は纏まった。
(さて、営業していて一番心が削られる役目も押し付けたことだし……そろそろ俺も飯を食うかな)
(……やっぱ最低ですよ、晃仁様)
毒には耳を貸さず。車窓を流れる景色を見ながら、俺は久方ぶりの駅弁に舌鼓を打った。
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