尼さんと黒犬 🌸
上月くるを
尼さんと黒犬 🌸
秋も深まった日、黒い犬が枯野の一本道を歩いていました。
丈高く茂ったススキに隠れて小さな犬の身体は見えません。
中型の黒犬はその首に色褪せた風呂敷を巻きつけています。
そのなかには、縁の欠けた木鉢がひとつ入っているのです。
黒犬は、村はずれのさびしいお堂にのこして来た尼さんが気がかりでなりません。
尼さんは畳二枚しかないお堂のなかで、薄い粗末な布団にくるまっているのです。
すき間だらけの板壁から、晩秋の冷たい飛騨山脈おろしが吹きこんで、病み衰えた手足を凍らせているにちがいないと案じた黒犬は、一刻も早くと、足を急がせます。
🐕
犬がひたすら歩いて行く先には、いくつもの山並みが折り重なっています。
その一番奥の高い山脈のいただきには、真っ白な雪が降り積もっています。
けれども、犬の目には、なにも映っていません。
目の前の地面ばかり見て、黙って歩いています。
――クロや、ずいぶん疲れたろう。(/・ω・)/
尼さんのやさしい声が聞こえたような気がして、クロはさらに悲しくなりました。
もう二度とふたりで連れ立って歩く日は来ないのではないか……そんな気がして。
ふたりで托鉢に出かけると、どこの家でも木鉢に、粟や稗、麦を入れてくれます。
いつも尼さんが肩から下げている木鉢は、今日はクロの首にかかっているのです。
――クロや、寒くないかい? :;(∩´﹏`∩);:
また尼さんの声が聞こえたような気がして、クロはうしろを振り返ってみました。
首から下げた木鉢がコトンと鳴りましたが、枯野道には人っ子ひとり見えません。
🧕
しょんぼり尾をたらしたクロは、尼さんに出会ってからのことを思い出しました。
生まれたばかりのクロは母さんと引き離され、枝垂桜の幹に捨てられていました。
托鉢の帰りに通りかかった尼さんは、駆け寄って、仔犬を抱き上げてくれました。
さびしいひとりと一匹は、その日からぴったりと寄り添って暮らし始めたのです。
仔犬が大きくなって、ちょこんと小首をかしげて尼さんの話を聞くようになると、尼さんは、ぽつん、ぽつんと、ご自分の身の上を話してくださるようになりました。
👘
はるかむかし、尼さんは遠い城下のお武家のむすめさんだったそうです。
親が決めた許嫁がありましたが、ひとりの若者に想いを寄せはじめ……。
恋しいあの方と一緒に暮らせたならば、わたくしはどんなにか幸せだろう。
そう思うだけで、むすめさんの胸は高鳴り、白い頬は薄紅に染まりました。
親の言いつけには背けず、むすめさんは泣く泣く許嫁の花嫁になりました。
間もなく男の子が生まれましたが、若い母親は少しもうれしくありません。
日ごとに夫に似て来るわが子が、どうしても可愛くは思えなかったのです。
無邪気に笑ったり泣いたりする赤子を抱いたむすめさんは心を病みました。
そして、秋が深まった夕方、裏山の枯葉の上に赤子を捨ててしまいました。
どうしてそのような……胸に棲みつく鬼がむすめさんにそうさせたのです。
西山に日が隠れると、お屋敷のなかにも急に寒気がしのびこんで来ました。
われに返ったむすめさんは裸足で裏山に……けれど、ときはすでに遅くて。
🎠
お武家のむすめさんのすがたが、ふっとかき消えてから、何年かが過ぎ去り……。
信濃国は飛騨山脈のふもとの荒れ果てたお堂にひとりの尼僧がたどり着きました。
人一人どうにか起居できるほど小さなお堂には六体の木造仏が祀られていました。
むかし、
村びとの許しを得てお堂に住み始めた尼僧は、ひときわ小さな一体の木造仏をことのほか大切にして、朝夕のお粥や野の花を供え、愛し気に抱いたりしておりました。
そうです、それはあの赤子によく似た福々しい顔立ちの子どもの像だったのです。
桜の幹で鳴いていたクロを助けたのは、ちょうどそのころのことだったようです。
🎭
クロがお堂に帰り着くと、布団に寝たまま木鉢のお布施に手を合わせた尼さんは、その夜、肋骨が見えるほど痩せた胸に、あの木造仏を抱いて旅立って行かれました。
あとのことは村のみなさんによく頼んでおいたからね……おさな子に言い聞かせるように諭す尼さんの頬に、クロの目から噴き出した雫がハラハラ降りかかりました。
――よかった、本当によかった。(´ω`*)
深い深い、身体中がちぎれそうな深い悲しみのなかで、クロはしんと思いました。
すべての苦しみから解き放たれた尼さんのお顔に安らかな微笑みを見つけたので。
🎒
それからときは大きくジャンプして、西暦2023年の気持ちよく晴れた春の朝。
村びとに大切に守られているお堂の前で、通学の新一年生が手を合わせています。
けれど、すっかり老いた枝垂桜の根元に、小さな木造仏を抱いた小柄な尼さんと、前足をきっちり揃えてお座りした黒犬が眠っていることはいまやだれも知りません。
尼さんと黒犬 🌸 上月くるを @kurutan
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