第19話 私が、きっと

 スミレとエレッドはずっとロアを見ていた。辛くても、苦しくても見ていることしか出来なかった。

 すぐにでも助けに行きたかった。だが、必死に感情を殺して、自制した。ロアのお願いを破る訳にはいかなかった。あんなにも耐えているロアの努力を無駄にしたくなかった。

 だから、スミレとエレッドは下を向いて耐えることにした。それでも、ロアが殴られる音が聞こえるたびに、助けに行きたい衝動が襲ってきた。けれども耐えた。ロアの為にと耐えた。やがて音が聞こえなくなると、思い切って顔を上げてロアを見た。地面にうつぶせで倒れるロアの姿が目に入った。

 スミレが、たまらずロアに駆け出そうとした。しかし、エレッドがすぐスミレの腕を掴んで止めた。

 スミレが、抗議の視線を送ってきた。

 エレッドが小さく呟いた。


 「ロア君の努力を無駄にするつもりか。あんなになるまで耐えた、ロア君の努力を無駄にするつもりか」


 スミレは、涙を浮かせて俯いた。

 エレッドは、爪が食い込むほど、拳を握りしめていた。

 そんな2人の様子を見ていた近くの盗賊団の男が、顔傷の元隊長に問いかけた。


 「おい、お前!何なんだ、この二人は?」


 3人の間に緊張が走った。スミレとエレッドが顔を伏せる。

 すぐに顔傷の元隊長が、そちらに顔を向け口を開いた。


 「こいつらは、俺の捕えた獲物だぜ。1人はあそこに倒れているガキと一緒にいた冒険者の女で、あのガキが負けたのが余程ショックだったらしく、もう歯向かう気力もない女だ。もう1人は、捕えた2人を連れて行こうとした時に、村で隠れ潜んでいた所を見つけた女だよ」


 「ほう、そうなのか」


 その盗賊団の男はスミレを少し見た後、すぐにエレッドに視線を移した。ジロジロと、遠慮なく眺めた。

 エレッドは内心で、焦りを感じていた。


 (俺が男だとバレたか!?ロア君が耐えてくれたのに、私のせいで潜入作戦が失敗に終わってしまう。どうする!こいつをここで始末するか!いや、ダメだ!奴らの目が多すぎる。騒ぎを起こせば、益々失敗に近づいてしまう。クソ、何か良い手は!最善の策はないか!!やはり、始末しかないか?私が変装で紛れ込んだという事にして、ロア君達に迷惑がかからないようにするか?だが、こんな安易な考えで、奴らを騙せるか?どうすればいい!?)


 エレッドが内心の葛藤に暮れていると、盗賊団の男が、こちらに近づいてきた。

 そして、にこやかに笑うと、顔傷の元隊長に声を掛けた。


 「そっちの貧相な冒険者の女は微妙だが、こっちのガタイがいい女が俺は欲しい。今日の宴で、俺にくれないか?」


 スミレの身体がぴくっと微かに震え、見る間にどんどんと項垂れていった。

 スミレが男に負けて地味にショックを受けている時に、顔傷の元隊長が答えた。


 「とうぞ、お好きに」


 盗賊団の男が、嬉しそうに笑った。


 「ありがとうよ」


 エレッドを上から下まで満足そうに眺めた後、護送列の監視に戻っていった。

 エレッドは、男が戻ったことを確認すると、小さく息を吐いた。


 「助かった」


 小さく呟いた。心臓がドクドクと騒がしく鼓動を打っていた。

 危機を脱したエレッドが、未だ項垂れているスミレと顔傷の元隊長に、声を掛けた。


 「おいお前、早く私に手錠を嵌めろ。他の者に身体検査をされる前に、列の最後尾に連れていけ。隠し持った武器を発見されたくない。それと、スミレ君、ロア君の下に行ってくれないか。彼女の様子を見てきてほしい」


 「分かった」


 エレッドは、手錠をかけられ最後尾に向かい、スミレはロアの下に向かった。

 スミレはロアの傍によると、声を忍ばせて掛けた。


 「ロア、大丈夫?」


 ロアは、スミレの声に反応せず、地面にうつ伏せで倒れたままだった。


 「ロア、どうしたの!?しっかりして!!私の声が聞こえないの?」


 しゃがみ込んでロアの身体を揺すった。だが、それでも反応が無かった。


 「うそでしょ!?ロア!!」


 スミレが、恐怖を覚えロアの身体をひっくり返し、顔を上に向けた。


 「ロア!!ねえ、起きて!!お願い、目を開けて!!」


 ロアがうっすらと目を開けた。そして、視線だけでスミレを見た。


 「ロア、気づいたの!?」


 スミレが、地面に仰向けで横たわるロアに、顔を寄せた。

 ロアが辛そうに口を開いた。


 「ごめん、スミレ。心配かけた」

 「ううん、良いよ。ロアが無事なら」


 スミレが、涙の滲んだ瞳でロアを見つめた。

 ロアは苦々しい笑いを浮かべると、消え入りそうなか細い声で、スミレに声を掛けた。


 「お願いがある、スミレ。もう身体も動かないし、後どれくらい意識を保てるかも分からない。だから、意識があるうちに頼みたい。奴らの牢獄に着いたら、スミレとエレッド、それにあの男を使って、ヒビキの所に連れて行ってくれ。頼んだ、スミレ」


 「うん分かったよ、ロア。だから、ロアも頑張って。ヒビキちゃんに会うまで、目を閉じないで」


 スミレの声を聞いて、薄っすらと笑った。


 「ヒビキについてだが、栗色の髪を肩のあたりまで伸ばしている。年齢は、12歳ぐらいだ。俺の名前を聞けば、きっと返事をくれる。ごめんスミレ、もうだめだ。後は頼んだ。俺は、スミレを信じる」


 言い終わるとロアが目を閉じて、動かなくなった。


 「ロア!!ロア!!嘘!!目を開けて、ロア!!ロア、お願い!!」


 スミレがもう周りも関係なくロアをひたすらに呼びかけた。だが、それでもロアは、目を閉じたままだった。

 スミレは諦めずに、名前を呼び続けた。スミレにはもう目の前に横たわるロアしか見えていなかった。頭にあった潜入作戦もどこかに消え去り、ロアを失う恐怖のみがスミレの頭を埋め尽くしていた。

 しかし、スミレが周りも作戦も忘れ、何度も大声でロアを呼び掛けていたことで、女性達を監視していた盗賊団が気づき、集まって来てしまっていた。

 集まった盗賊団の男達が、スミレを面白いものを見る様に眺めていた。スミレはそれに気付かずに、悲痛な声でロアに呼びかけていた。

 盗賊団の男達は、誰に呼びかけているのかが気になり、スミレから視線を上げて、その向こう側を見た。

 そこには、正面が破れた外套を着ている裸の少女が横たわっていた。成長途中の未熟な裸体を晒して、眠るように仰向けで倒れていた。

 盗賊団の男達が唾液を飲み込み、食い入るように眺めた。

 スミレがやっと視線を感じて、後ろを振り返った。ロアを欲望にまみれた薄汚れた視線で眺める、盗賊団の男達の姿があった。

 スミレは、ロアの破れた外套で身体を覆い直すと、その上に覆いかぶさりロアを隠した。そして、男達を睨みつけて、鋭く言い放った。


 「そんな目で、ロアを見ないで!!」


 ロアを抱きかかえるように体を覆い、周りの盗賊団を威嚇する。

 しかし、威嚇するスミレを鼻で笑い、ロアとスミレの傍に少しずつ寄っていく。

 そして、ロアとスミレを完全に囲み、ニヤニヤと嫌らしく笑いながら手を伸ばそうとした時、男達の後ろから怒鳴り声が聞こえた。


 「お前ら!俺の獲物に何してる!!」


 盗賊団の男達が怒鳴り声の方に顔を向けると、顔傷の元隊長が仁王立ちで睨んでいた。

 顔傷の元隊長が、ゆっくりとした足取りで、ロアとスミレの下に近づいていく。

 盗賊団の男達が、顔傷の元隊長の剣幕に怯み、自然と人垣が裂けていった。

 その裂けた道を通り、ロアとスミレの下に辿り着いた。そして、スミレを見降ろした。

 スミレが攻撃的な視線で、顔傷の元隊長を睨みつけた。しかし、その睨みを軽く流し、スミレに向かって静かに声を発した。


 「お前、何してるんだ」


 スミレは顔傷の元隊長を睨みつけたまま、激しい感情のまま声を出した。


 「何なのあんた!ロアを襲うつもり!そんなにロアの事が、憎らしいの!ロアに負けて逃げた小心者のくせに!今ならロアに勝てるってこと!意識がないロアを好き勝手に弄ぶつもりなのね!させないわよ!私が絶対に守るんだから!」


 顔傷の元隊長が、激しいスミレの言葉をいなして、冷めた目で見下ろす。

 スミレの感情が更に高まり、怒りの形相で睨みつける。


 「あんた、ふざけないでよね!誰のおかげで、今生きていられるか、分かってるの!ロアに手加減されてなかったら、今頃死んでるんだから!この裏切り者!私達をうらぎ!?」


 顔傷の元隊長が、無言でスミレを殴った。

 地面に倒れ込んだスミレの胸倉を掴んで、無理やり立たせると顔傷の元隊長が、声を潜めて話した。


 「ふざけてるのはどっちだ。天使様の言いつけを破るのか。ここまで、頑張ってくださった天使様を裏切るつもりか。少し頭を冷やせ」


 言い終わると、顔傷の元隊長がスミレを地面に放り投げた。それから、周りで様子を見ていた盗賊団の男達に、声を掛けた。


 「すまんな。俺の獲物が、少し興奮して騒ぎを起こしちまったみたいだ。今夜の宴の時に、たっぷりと足腰立たなくなるまで躾けてやるから、勘弁してくれよ」


 ニヤっと笑い周りを見回した。

 それに盗賊団の男達が反応して、声を荒げて訊ねた。


 「おいおいおい!!1人でその女を躾けるのかよ!ずりーぞ!!俺にもやらせろ!!気の強い女が泣きながら許しを請うまで、心をへし折るんだろ!大変だろうから、俺も手伝ってやるよ!てか、おれにやらせろ!!」


 「俺は、そっちのおねんねしてる嬢ちゃんがいい。こんな上玉見た事ねぇよ!俺にやらせてくれよ!たっぷり可愛がってやる」


 舌なめずりをしてロアを見つめる。しかし、顔傷の元隊長が残念そうな表情を浮かべると、男に優しく教えた。


 「この少女は、部隊長の物だ。やりたかったら、部隊長に訊け。今ここにはいないが宴の時に、でも訊いておけ。それで許可がでたら、やらしてもらえ」


 それを聞いた盗賊団の男が、露骨に落ち込んだ。


 「無理じゃねえか!あのけちで有名な部隊長が、許可なんてくれねえよ!クソ!」


 吐き捨てる様に気持ちを吐露すると、はぁとため息を吐いて持ち場へと戻っていった。

 そして、それを皮切りに他の集まっていた盗賊団の男達も、続々と持ち場へと帰っていった。

 しかし、1人だけその場に残った男がいた。先程、スミレの事で絡んできた男であった。

 顔傷の元隊長がスミレに手錠をかけていると、その背に問いかけてきた。


 「さっきは有耶無耶になっちまったが、その女の躾を俺にもやらせてくれよ。俺は気の強い女をやるのが好きなんだよ。頼むよ、なぁ!」

 「ああ、いいぜ。躾けるのを手伝ってくれ」


 顔傷の元隊長がそう答えた後、小さな声で呟いた。


 「生きていられたらな」


 憐みの籠った目で、その男を眺めた。

 そんな目で見られていると気づかない憐れな男は、「よっしゃー!」と叫びを上げ、欣喜雀躍し、持ち場へと戻っていった。

 男が見えなくなると、気落ちして項垂れるスミレに声を掛けた。


 「少しは、頭は冷えたか」

 「ええ」


 顔傷の元隊長をぼんやりと見上げて答えた。


 「ふざけるなよ。お前が天使様の言いつけを守らず騒ぎだすから、危うくお前達を潜入させる作戦がだめになる所だったんだぞ。ここまで、ボロボロになるまで耐えくださった、天使様の努力を無駄にするな。ほら行くぞ。手錠は掛け終わったからな」


 ロアを背負い、スミレを連れて顔傷の元隊長が、最後尾に向かい歩き出した。

 スミレは歩いていると、先程の光景が脳裏に蘇ってきた。

 ロアが殴られている姿と自分の愚かな行為が同時に、脳裏に呼び起された。その途端、スミレの中に悲しみが溢れ出した。心から溢れ出した悲しみが、スミレの中を満たしていった。そして、スミレの瞳から涙が零れだした。その涙は、顔傷の元隊長に背負われているロアを見ると、更に量を増して流れ落ちていった。


 「ごめん」


 1つスミレの口から言葉が零れた。言葉はそれで止まらず、スミレの口を衝いて次々と出てきた。


 「ごめん!ロア、ごめんね!ロアの努力を無駄にしそうになって、ごめんね!私が愚かでごめんね!ごめん!ごめんね!ごめんね、ロア!ロア!ロア!・・・」


 最初はロアへの懺悔がスミレの口から出ていたが、途中からロアの名前しか出なくなってしまった。スミレの脳内に、ロアの殴られる姿と自分の愚かな行為が、何度も、何度も、強烈に蘇る。スミレを狂わしそうな程の衝撃をもって、記憶が襲い掛かってくる。スミレの口からはとうとう、言葉ではなく嗚咽のみが零れるだけになった。

 顔を手で覆い、俯いてスミレは歩いていく。護送列の最後尾に向けて。

 悲しみに暮れるスミレに突然、新たな記憶が蘇り、襲ってきた。

 ロアが目を閉じて動かなくなった記憶が、鮮明に浮かび上がった。

 スミレの中にあった、後悔と懺悔の念が一瞬で、恐怖へと変わった。ロアがいなくなってしまうことへの、恐怖が起こった。

 身体に震えが走り、口から叫び声が出そうになった。しかし、スミレの中に残っていた微かな自制心が、叫び声を押さえつけた。

 必死に叫び声を押さえつけても、恐怖を押さえつけることは出来なかった。スミレの身体を恐怖が侵していった。

 スミレは、このまま狂ってしまった方が楽だろうか、と考えた。心を失くせば、悲しみも恐怖も自分を襲うことはない。感情が無ければ、何も感じることもなく穏やかに過ごせる。

 スミレが、狂気を受け入れて、楽になってしまおうと考えた時、記憶が少し巻き戻りロアの最後の言葉が蘇った。


 「俺は、スミレを信じる」


 ロアの言葉が脳内に響いた。

 スミレは更に思い出す。自分に何を頼んだのかを呼び起こした。


 「ヒビキの所に連れて行ってくれ」


 はっきりと、鮮明に、1文字の違いもなく、ロアの言葉が聞こえた。

 スミレの中に満ちていた恐怖が揺らぎ、薄れ、そして完全に消え去った。

 スミレは、目が覚めたような気がした。

 ここでくよくよしていたって、何も起こらない。塞ぎ込んでいたって、何も始まらない。

 スミレは、今自分がやらなければならない使命を明確にした。

 顔傷の元隊長に背負われているロアに今度は懺悔ではなく、力強く宣言を発した。


 「私がロアとヒビキちゃんを救ってみせる!」


 スミレは、俯いて地面ばかりを見ていた頭を上げて、護送列の最後尾までの道を見据えた。

 一歩が重かった足を、力強く前に踏み出した。

 スミレは、もう後ろを振り向かない。ロアとヒビキを助けられるのは、自分しかいない。自分がロアとヒビキを救うんだと、心に深く刻み込んだ。いや、それだけでない。捕らわれた女性達を助けられるのも、自分しかいないと心により深く刻み込んだ。


 「待ってて!私が全部救ってみせる!」


 失わないように。もう昔みたいに大切な人を失わないように。

 スミレは最後尾に繋がれて、盗賊団のアジトを目指した。

 空は、夜の帳が降りきり暗くなっていた。

 その暗闇の中でも、月は輝き、スミレが歩む道を明るく照らしていた。



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転性魔王~教え子に大切なものをトラレました~ 宇乃雪夏奈 @unoyukikana

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