エピローグ2 『日常』への帰還、『非日常』のうごめき

 そんな用事ゆえに設けた休暇から明け、六月五日。


 冨刈とみがり高校。朝のホームルームの前の、二年二組教室にて。


日野ひのくん、何をそんな毒死した遺体みたいになってるのさ?」


 常春は目の前の机に顔面を突っ伏してダランと両手を垂らしたクラスメイト、日野にそう怪訝そうに問いかける。ひょうたんみたいに恰幅の良い友人の姿が、やけに小さく見える。

 

 死別エンド死別エンド死別エンド……日野はか細い声でそればっかり繰り返していて、常春の質問に答えない。


 代わりに、腐女子の眼鏡っ子、月島つきしまが耳打ちしてきた。


「昨日の「清刃神姫せいじんしんき」を観たからでありますよ、伊勢志摩殿」


「あぁ、あの百合アニメね」


「左様。主人公の風子ふうこが瀕死の重傷を負って、凪がそれを助ける方法を必死に探している最中であります。しかし話が進むほどその可能性が絶望的なものであると明らかになっていって……SNSでも「ふうなぎ 死別」が瞬時にトレンド入りしたでありますよ。百合豚の脳を破壊し尽くしたであります」


「百合豚とは何でござるか!! それにまだ風子は死んでないでござる!! 一パーセントでも助かる確率が残っていればそれは可能性でござるよ!! ホモ愛好家はそんなペシミストでござるか!!」


 憤慨で復活した日野に対し、月島がすぐさま反駁はんばくした。


「ホモって言うなであります!! BLであります!! レズレズレズ!!」


「ホモホモホモホモホモホモ!!」


「レズレズレズレズレズレズ!!」


「まぁまぁまぁまぁまぁまぁ」


 不毛なホモレズ銃撃戦を繰り広げ始めた友人二人を、常春がなだめにかかる。


 ひとしきり説得して、ようやく二人が沈静化すると、


「——キモッ。朝からなんて話してんの? ほんとキモいんだけど。せっかくの朝が台無しだわ」


 軽蔑の響きに満ちた、女子の声を頂戴した。


 クラス内ヒエラルキーの上位に位置する女子、山田光子やまだみつこだ。化粧が良い塩梅に乗った整った顔立ちには、声と同じくらいの侮蔑の感情を隠しもしていなかった。完全に下等生物を見る目だ。


 常春は申し訳なさそうな笑みを浮かべ、


「ああ、ごめんね山田さん」


「それ前も言ってたでしょ? どんだけ学習しないわけあんた? まじキモい。そんな騒ぐなら教室から出てってよ。ハッキリ言ってキモい」


 その蔑みきった言葉に、光子の隣にいるイケメン陽キャ、岡本貴輝おかもとたかきも馬鹿陽気に同調した。


「そうそう! 出てけ出てけキモオタ共! そこの窓からなんてオススメだぜ!? 教室から出られる上に、人生リセマラできて一石二鳥じゃん!! そら、フライハーイ!! ぎゃはははは!!」


「一石二鳥なんて難しい言葉知ってるんだね」


「は? 当たり前じゃん。お前らなんかとは頭の出来が違うんだよ。お前らは死ぬまで童貞処女でいろよ。その劣等遺伝子残されたら最悪だからよ」


「そうだねぇ。確かに頭の出来が違うねぇ」


 常春がのほほんと同調すると、貴輝がガラリと表情に陰をみせる。


「……おいテメェ。今俺のこと心の中でバカにしてたろ?」


「いや、別に」


 貴輝の無骨な手が、常春の胸ぐらを掴み上げた。静かな怒りをたたえた眼光が間近に迫る。


「テメェよぉ、ちょっと停学食らったからってシャシャってんじゃねぇぞ? おまけにさらに何日かフケやがってよぉ」


「フケてないって。ちょっと鹿児島あたりに用事があったんだよ」


「……ヘラヘラしやがって。おうコラ、なんなら放課後ガッコの外で決着つけるかオイ」


 日野と月島があわわとまごついているが、常春は掌で「心配しないで」と訴えた。


 さて、どうやってこの状況から脱しようか。


 振り解くのはかなり簡単だ。けれど振り解き方を考えないとさらに角が立つ。


 そんな時、開かれている教室の引き戸の向こうに立つ、知っている人物を見かけた。


「あ、頼子。おはよう!」


 常春は脅威にすらならない自分の現状を無視して、友人にして自分の弟子である少女に声をかける。


 「頼子」という固有名詞を聞いた途端、貴輝は常春の胸ぐらから手を離し、身を縮こませた。……おそらく、先月に叩きのめされたことを思い出したのだろう。攻略対象から恐怖の対象にすっかり変わってしまっているようだ。


 光子は貴輝を殴った頼子をすっかり嫌っているようで、引き戸の向こうに立つ頼子をじっと睨んでいた。


 そんな二人を歯牙にも掛けず、頼子は常春だけを見つめていた。


 それから——ぷいっ、と顔を背けた。


「…………あぁ」


 常春は少し落胆する。


 ……まだ、みたいだ。







 その日の放課後。帰り道にて。


「ねぇ、頼子」


「……」


「頼子ってば」


「……」


「あの、何度も言うけどさ……仕方がなかったんだよ。しないと頼子、おとなしく逃げてくれなかったじゃん……」


「……」


「その……ごめんね?」


「……」


「……はぁ」


 取り付く島もない。常春は思った。


 頼子は現在、絶賛であらせられた。


 理由はひとえに、五月二十一日——軍勢から頼子を逃すためにした、常春の行いだ。

 

 常春は食い下がる頼子を当身で黙らせ、強引に逃した。


 そのことに、いまだに怒っているのだ。


 おまけに、常春は「闇医者」の治療を受けるため、数日間行方をくらましていた。それによって心配させてしまったことも、このひどく機嫌の悪いお姫様の原因なのだ。


 鹿児島から帰ってきて、登校を再開してからというもの、頼子は一言も口をきいてくれずにいた。


「よーりーこーさーん」


 呼びかけるが、やはり返事は無い。


 怒ってはいる。無言ではいる。


 けれど、頑と拒絶したり、早歩きをしたりはしていない。


 つまり、許してもらえる余地があるということ。


 向こうも、許したいけど、許しきれない。そんな感じだ。


 弁解の余地はある。


「お願いだよ、許してってば。そもそも僕、鉄砲で撃たれたんだよ? 普通の病院行ったら、まず事件性を疑われちゃうよ。そうしたら僕、下手すると逮捕されてたかもよ。なんなら、頼子にまで疑いの目が向いたかも分からないし」


「……」


「それに、非合法の医者じゃなきゃ、蓮の血を全部輸血なんて真似は無理だったんだ。そうしたら僕も彼も死んでたんだよ?」


「……」


「……頼子、前より少し胸大きくなった?」


「っ!?」


 ひゅっ、と息を呑む声とともに、頼子は立ち止まって鋭く振り返る。ブレザー越しからでも分かるその豊かな胸部を隠しながら、怒りと羞恥が混じった赤い顔と声で、


「な、ななななななななんでしってんのよあほへんたいばかぁっ!?」


「…………え? もしかして、マジででかくなったの?」


「っ——ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 瞬時にチャージした怒気をうわーっと吐き出す頼子。


 ……気を引くための冗談だったのになぁ。常春は薮蛇をつついた気分になる。


 頼子はそれから深呼吸を繰り返し、タコみたいな顔の赤みが落ち着いた頃に、トーンの落ちた声で話し始めた。


「…………わかってるもん。ウチだって。あんたが意味もなくあんな事しないって事くらい」


 まるで、子供がぐずるような声。


「でもさ……? それなのに常春ってば、最後の最後でウチのこと蚊帳の外に置いてさ。……まるで、お荷物扱いだもん。くやしいもん。あたりまえじゃん」


「頼子……」


 言葉を選んでから、常春は返した。


「それは……君が僕の『日常』の住人だからだ。それを……守りたかった」


「『日常』……」


 頼子はそうそらんじてから、抑揚にとぼしい口調で問うた。


「ねぇ、常春……あんたのいつも言ってる「『日常』を守る」ってどういう意味?」


「えっ……?」


「それってさ……常春ばっかりが傷ついて、あたしみたいな『日常』の住人は呑気にふんぞり返ってるって……そんな感じの話なの?」


 思わぬ問いを受けて、常春はたじろぎを覚えた。


 戦闘以外では滅多に動揺することのない常春が、だ。


 それくらい、意外な問いかけだったからだ。


「それってさ……卑怯じゃん。あんたにさ、汚い事とか、痛い事とか、キツイ事とか全部押し付けてさ、ウチらはそれに守られて呑気に生きてるだけ。なんか卑怯じゃん、そんなの……」


「頼子……」


「ウチは、なんかヤダ。だから……怒ってた」


 そこで、頼子の語り口は止まった。


 しばらく無言で歩いた。頼子の足音だけが聞こえた。


 常春は言った。


「頼子、君はやっぱり、まだ弱い。いろんな意味で。だから……僕の隣には立たせられない」


「……ウチ、あの神野って奴の撃った弾、全部避けたけど」


「うん。そうだね。君は『戈牙者』だ。あと数年みっちり稽古すれば、僕と同じくらいか、あるいは僕以上に強くなれることは保証されていると言っていい。でも……やっぱり、それだけじゃダメなんだ」


「……何言いたいのか、分かるよ。あいつみたいに……安西蓮みたいになっちゃうって言いたいんでしょ? 気持ちをしっかり持たなきゃ、あいつみたいに「血」に呑まれるって、そう言いたいんでしょ?」


 頼子の口調が、芯を帯びた響きとなる。


「ウチ……怖かった。あいつに攫われて襲われそうになった時、「振るわれる側」の気持ちを思い出した。馬鹿だよね、ウチ……そもそも常春と出会ったきっかけがなのにさ。でもさ……やっぱりウチは嫌なの。あんた一人だけに全部押し付けるのが」


「頼子……」


「だからさ……いつか、ウチがあんたくらいに強くなれたらさ……その時は、ウチも一緒に闘いたい。ケンカして気持ち良くなるためじゃなくて、ウチと、あんたの『日常』を守るために。——そういう人間になれるように、これからも、その……教えてくれる?」


 常春はその言葉に少し驚いて目を瞬かせるが、驚きの表情はすぐに微笑へと変わった。


「ああ。途中で投げ出すつもりはないよ。——僕は、必ず君を幸せにする。「血」に呑まれず、『日常』を守るためだけに戦えるような、そんな強い『戈牙者』に育ててみせるから」


 常春としては、今の発言は一つの決意表明のつもりだった。


 『戈牙者』を弟子に持ってしまった以上、それを中途半端に教えて野に放つなんて無責任な真似はできない、と。


 たとえ『戈牙者』に生まれてしまった人生であっても、幸せに生きられるように、精一杯彼女を育てていくつもりだ、と。


 しかし、頼子はどういう受け取り方をしたのやら、少し頬を朱に染めた。


「……し、幸せにする、って…………」


「え?」


「なんでもない!」


 怒ったように声を張り上げて、つかつかと早歩きしてしまう頼子。


「あ、ちょっと。またなんか怒ってる?」


「怒ってない!」


「怒ってるでしょ」


「怒ってないってば! ふん! このスケコマシ!」


「す、すけっ?」


 頼子の言い草に困惑しながらも、悪い気は全く起きなかった。


 ……『日常』の匂いを感じたからだ。


 あらゆる騒動や難所、流血、痛苦、悲哀をくぐり抜けて、その果てに守り抜いた『日常』の匂いを。




 ——『日常』が、再び始まった。













 しかし、光の強さに比例して影が濃く差すように、そんなふうに平和に笑い合う『日常』の裏では、平和ではない『非日常』が必ずうごめいている。


 武久路の住人の間では、ある事が話題になっていた。






 ————会長である安西蓮のをきっかけに、『唯蓮会ゆいれんかい』が内部分裂。事実上の崩壊。


 


 ————安西蓮直属の幹部らは、東恩納ひがおんなじんを除いて全員、自身をトップとした新団体として独立。




 ————それらの組織は、他の組織を急速に吸収合併していき、新たな勢力を作りつつある。




 ————幹部時代から不仲であった人物とそれらの仕切る組織の間では、一触即発の空気。







 とかく、人の世は平和のままではいられない。


 永遠に続く『日常』など存在しないのだ。

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日常系アニメとカマキリ拳法 新免ムニムニ斎筆達 @ohigemawari

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