駅の幽霊

柊木舜

駅の幽霊

 私が引っ越してきた町はひどく殺風景で、一言で簡潔に言うのであれば田舎そのものだった。家からコンビニに行くには三十分以上かかり、電車は一時間に一本しか通らない。しかもその電車は、数年前に整備不良が原因で脱線事故を起こし、死傷者を出しているという、いわくつきだ。道路は街灯が少ないから、夜に外へ出ると心細くなるほどの暗闇で、偶に街灯が道路を仄明るく照らすが、それがさらに恐怖をそそっている。この町では、幽霊が出てきても、何らおかしくはない。


 ――僕は幽霊を実際に見たことがあった。あれは三年前、僕が中学一年生だった時のこと。僕が登校するため、十時の電車に乗ろうと駅に着くと、その幽霊は駅のホームにあるベンチに座っていた。

 その幽霊は七月あたりから現れた。もちろん初めのうちは僕もその人を気にもとめなかった。しかし、毎日通学しているうちに、あの人いつもあそこに座っているな……、と少し不思議に思い始めた。そして、七月下旬にもなると、その人が毎日いつも、必ずベンチにいることに気がついた。

 その人は僕よりも年上で、たぶん高校生くらいの格好をしていた。髪はボサボサで、前髪で目が隠れている。いつも同じ白いTシャツと短パンを履いていて、はっきりとはわからないが、常にどこか遠くを見ていた。まるでその人の周りだけ時が止まっているかのように。

 なんとも不可思議な存在に対して、僕の中の好奇心が収まらなかった。あの人は何者なんだろう、と。そして、いろいろな想像を膨らませているうちに、あの人は地縛霊なんじゃないだろうかと、僕は考え始めた。


 そう思い込むと面白いもので、僕はその人が幽霊なのかどうかを確認したくなった。八月に入ってもその人はベンチに座っていて、僕はついに決心して、その人の目の前に立ち、尋ねた。

「あなたは幽霊ですか?」

 当然だが、その人はとても驚いたようで、目を見張って僕の方を見つめ返してきた。そして、眉をひそめて少し考え込むような素振りを見せると、少し間を開けて小さくうなずいた。

「はい、私はユウレイですが……」

 本当に幽霊だった。僕は飛び上がりたくなる気持ちを抑え、満面の笑みを浮かべる。

「となり、座ってもいいですか?」

「ええ……構いませんが」

 電車が来るのを待っていた人達がちらちらと僕たちの方を不審げに見てくる。一方でその幽霊は、まだ戸惑っている様子だった。そうか、ふつう幽霊って見えないものなのに、僕だけ見えてしまっているんだ。いつも僕以外が、幽霊を気にもとめないのは、そういう理由なんだ。

「ごめんなさい、僕いつもここの駅使っていまして、それでいつもいるものだから、不思議に思って声掛けてしまいました。迷惑だったら、帰ります」

「そんな、迷惑だとかは思いませんよ。少しびっくりしただけです」

 その温和な雰囲気に僕は安心する。悪い人ではなさそうだった。

「聞きたいことがあるんですけど……幽霊さんはどうして、いつもここにいるんですか?」

「別に、深い意味はないですよ」

「どうしてもここにいなきゃいけないとか……」

 幽霊は可笑しそうに、クスっと笑った。

「いえ、そんなことないです。ただ、この場所が好きなだけです」

「ここが好き、ですか」


 僕は幽霊に従って、前に向き直って目の前に広がる景色を眺める。電車来るのを待っている人がちらほらいて、線路があって、その先には見飽きた田園風景。これのどこが良いのか、僕にはさっぱりわからなかった。

「電車が通り過ぎて、人が移り変わっていって、気づいたら随分と雲が流れ、陽が落ちて。そういうのをここに座っていると身近に感じられるのが、本当に心地良いんです。心が洗われるというか」

 僕には上手く理解できなかったけれど、その優しい表情を見ると、幽霊にとっては素晴らしいことなんだろう。もしかしたら、僕も眺め続けていたら、この風景の良さに気づくのかもしれない。

 まもなく電車が到着すると、アナウンスがホームにいる人に伝えている。そこで僕はふと思い出した。そもそも駅に来たのは学校に行くためだったのだと。腕時計に目をやる。どうやらこの電車に乗らないと間に合わなそうだった。

 そのことを幽霊に伝えると、幽霊は一瞬、眉をひそめて訝しげな顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべて言った。

「それは急いだほうが良いと思いますよ。遅れたりするのは良くありませんから」

「また、帰りに会えますか?」

「もちろんです。僕は基本ここにずっといます」

 これが、僕と幽霊とのファーストコンタクトだった。


 それからというもの、僕は毎日駅で必ず、幽霊と三十分ほど雑談するという生活を送るようになった。

 意外にもその幽霊は物知りで、空に見える雲の種類をいくつも知っていたし、夏や秋の植物や昆虫についてもとても詳しかった。幽霊と話していて、退屈はしなかった。

「私の住んでいた町はここよりもずっと都会で、大好きな植物や昆虫にあまり出会えない場所でした。そのせいか、小学生のころは図鑑ばかり眺めていました」

「都会! 僕は逆に憧れています。いつか起業して、トウキョウのど真ん中に会社を建てるのが、僕の大きな野望の一つなんです」

 すると、幽霊は少し悲しい目をした。

「まだ中学生なのに起業を考えているなんて、偉いですね。私なんて、あそこにいるだけで挫折したというのに……」

 さっきとは少し変わって、今度は落ち込んだ様子を見せた。

「何か、あったんですか?」

「こうして悩みを君に聞いてもらうというのは、申し訳ないですよ」

「そんな、僕でよければ、いくらでも聞きますよ」

 僕は元気づけるつもりで、はじけるように笑った。幽霊は短い間迷って、そのあと大きく息を吐いた。

「東京に住んでいると息が詰まる感覚がするんです。やらなければいけないことに追われて、普通に生きるだけでもどこかに気を遣う必要があって。そのくせ、優しさや正しさなんて評価されないし」

 どうやら、生前のころの不満を相当にため込んでいたらしい。死因は過労死あたりだろうか。

「君が憧れていると言っているのに、本当に申し訳ないと思っています。けれどあそこは、自分は不必要なものだと思ってしまえる、そういう場所だと思います」

「うーん、でも僕は幽霊さんと話していて、とても楽しいですよ? きっと幽霊さんだからこそ、だと思います」

 不意を打たれたように、幽霊はハッと息を呑んでこちらを見た。

「時間に人生を刻まれて生きるのは、たしかに大変だと思います僕にはまだわからない気持ちです。でも、誰でも良いなんてことが、どこでも言えるわけがないんです。きっと幽霊さんのおかげで誰かが救われていますよ」

 幽霊は過去に思いを巡らせるように、空を見上げた。そして、目元を手で隠すと、体を揺らしながら笑った。

「まったく、僕よりも年下に見える君に励ましてもらうなんてね。君は本当に大人びている。でも、ありがとう。何だか頑張れる気がしてきたよ」

「それは良かったです」

 その時、もうこの幽霊は成仏するかもしれないと、僕はなんとなく思った。こういうのは、だいたい生前の後悔を解消したら、成仏してしまうものだ。


 悪い予想というのは良く当たるらしい。別れは突然やってきた。八月三十一日。

「ここを離れることになりました」

 非情にも幽霊はあっさりと別れを告げた。

「要するに、成仏、するということですよね」

 幽霊は首を傾げる。

「面白い言い方をしますね。でも、生まれ変わるというのなら、同じ意味かもしれません」

 なるほど、転生というやつか。

「短い間でしたけど、ありがとうございました」

「こちらこそ。あなたのおかげで、変わることができるかもしれません」

「きっとできますよ」

 僕と幽霊はお互いに笑いあった。

「……そういえば、なんですが。私、あなたの名前を聞いていませんでした」

「あ」そういえば、一度も名乗ったことがなかった。

「僕は木部雄郎って言います」

 幽霊は顔を歪めて寂しそうな顔をした。

「木部君。君に幸福が訪れることを祈っているよ」

 こうして、僕と幽霊との不思議な時間は終わりを告げた。


 ――そして、現在に至る。あれ以降、幽霊とは一度も会っていない。彼は今頃、生まれ変わって、新しい生を謳歌しているだろうか。

「…………」

 生まれ変わっているということは、きっと僕と話した時間は忘れてしまっているのだろう。そう考えると、悲しい気持ちになって落ち込みたくなる。

 中学一年生の僕は、今日も学校へ向かう。十時の電車に乗るために、今日も駅へ向かう。この何千回と歩いてきた道にすっかり飽きてしまっていた。

 改札を通り、ホームへと続く階段を上がる。ホームにはいつものように、ちらほら電車を待つ人が見える。

 そこに、僕の目に飛び込んでくるものがあった。

「え…………」

 それは、あのころのようにベンチに一人、座っていた。僕の姿を見ると、憂いているように寂しげな顔で微笑む。

「ここにいたら、また会えると思っていましたよ」

「どうして」

 三年前に出会った幽霊が、成仏したはずなのに、少し雰囲気が変わったくらいで、姿形は一切変わらずそこにいた。

「本当は会えないほうが良かったんですけど……確認したい気持ちもあったので、時間かけて来ちゃいました」

「あなたは幽霊で! もう成仏したはずじゃなかったんですか!」

 すると、ユウレイはポケットから一枚の名刺型のカードを取り出して、僕に渡した。

 それは学生証だった。名前のところには「友礼 明」と書いてある。

「ユウレイ……友礼……」

「あのころの私は不登校でして。親の縛りからも逃げたくて、祖父母の家があるここに引っ越して来たんです。そうしたらここで木部君と会って、君のおかげで今は親のところに戻って、大学に通えています」

「そう、ですか」

「改めて、あの時はありがとうございました」

 友礼は僕に向かって丁寧にお辞儀をした。

 僕は頭が真っ白になって、気が遠くなっていくのを感じた。あの出来事は全部、僕の勘違いだというのか。

 この世には知らぬが仏という言葉があるが、なるほど、こういうことを言うんだろう。


 私、友礼明は、三年ぶりに会った少年を見て、落胆と恐怖を感じざるを得なかった。三年前と比べても、彼の姿は変わらず、高校生になっているはずなのに、中学と同じ制服を着ている。一切成長をしていないところを見ると、信じがたいことだが彼は幽霊なんだろう。

 まず、不思議に思ったのが、彼が駅に来る時間だ。彼はいつも十時の電車に乗るように駅にやってくる。学校に行くにはかなり遅刻してしまう時間だ。

 そして、一日のほとんどあの駅に居た私が彼と会うのはその時間だけ。帰りに会う約束をしても、彼が電車から降りてくる姿は一度も見たことがなかった。

 さらに日付。土日でも、普通の学校なら夏休みに入っているだろう八月でも、彼は今から学校に行くんだと言って、駅に毎日来ていた。

 極めつけは、祖母から聞いた脱線事故だ。詳しく調べてみると、事故が起きたのは午前十時の電車で、その時間だったから人が少ないときの事故で、幸い被害者は少なかったが、一人だけ死者が出たそうだ。その一人は、中学一年生の男子。少し変わった名前。その子の母親が新聞の取材を受けていたが、話によると、その日は不運にも寝坊して遅刻してしまったそうだ。

 もちろん、こんなこと偶然だと思った。彼は遅刻癖があって、夏休みは授業の補講に行っていて、事故との関係は全くない。そう考えて、私は彼との会話を楽しんでいた。元気づけられた。

 名前はどうしても聞けなかった。でもついに親のところへ戻ると決めたとき、決心して彼に名前を尋ねた。

 木部雄郎。事故で亡くなった中学一年生の男子と、同じ名前だった。

 彼が電車に乗る姿を見届けると、大きくため息をついた。三年経っても未だに信じられずにいたが……彼の姿を見て、真夏の悪い夢で済まされないらしい、現実は厳しいものだと、改めて気づかされる。

 この世には知らぬが仏という言葉があるが、なるほど、こういうことを言うんだろう。

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