架空のしまい

きつね月

第1話 暗い部屋のしまい


 とある双子の姉妹が、ふたりならんで仲良くしにました。


 外に出てはいけない、と母親にきつく言い渡された家のなかで、しかしいつまで待っても誰も帰ってはこなかったのです。電気もガスも水道も止まった真冬の部屋で、生きるために二人にできることといえば互いに寄り添うことぐらいでした。


 一体それ以外に何ができたでしょうか。


 母親の言いつけを破ることなど考えられません。玄関のドアを開いて外に助けを呼ぶなんて想像もつきません。母親と自分、自分によく似たもうひとり。外からは小さく見えても、姉妹にとってはその世界がすべてなのです。


 すべてなのでした。


「――やれやれ」


 むくり、と起き上がって姉は言います。

 真っ暗な部屋のなかで、目の前にはボロボロの毛布にくるまったままの自分の身体が見えています。

 その毛布はもとはピンク色だったのに、今は茶色みたいに見えていて――ああ、これはこんなに汚れていたのか、と姉は今更ながらに驚きました。


 こんなに汚れていた、元は毛布だったモノ。

 こんなに汚れていた、元は自分の下半身だったモノ。


「……お姉ちゃん」


 妹の方も起きてきました。

 すぐ左横にいるその表情はどこか不安げで、姉は自分と瓜二つなそれを妹の顔だと判別することができました。


 姉には時々、双子の妹と自分を区別できないときがありました。


 なんと言うか――目の前に自分がいる――としか思えない瞬間。例えば顔を洗って歯を磨いて洗面所を出たときに、目の前にこれから顔を洗って歯を磨くつもりの妹がいる。と、姉はほんの一瞬だけ、どちらが自分でどちらが妹だったかわからなくなります。

 今、歯を磨いたのはどちらで、これから顔を洗うのはどっちだったっけ。

 そんな一瞬だけは、自分達がまるでひとつの存在みたいに感じて、姉にはそれが不思議でした。不思議で、ちょっとだけ怖いような、そんな感覚。

 しかし今は違います。この表情はちゃんと区別ができます。この不安そうにしているのは妹に違いありません。


 なぜなら、姉とは妹の目の前でそういう顔をしない生き物だからです。


「……わたしたち、どうなっちゃったの?」


 妹は不安げにそう訊いてきます。

 姉は「さあね」、とわざとそっけなく聞こえるように答えました。


「しんじゃったんじゃないの。しらないけど」

「そんな……」

「だって、ほら」


 姉が指差すその先には、カラカラに乾いた自分達の身体だったモノがありました。

 変わり果ててはいても、それが自分達のモノであったことはよくわかります。

 

「お、お姉ちゃん。なんでそんなに冷静なの」

「なんで、って言われてもなあ」

「うう……」

「ま、でもさ、考えようによってはさ、もうこんなところにいなくてもいいってことなんじゃないの」


 散乱したお菓子の袋や脱ぎ散らかされた服、謎の液体が溜まったどろどろのじゅうたん、正体も知れぬごみと埃の山――いつの間にかこんなにも汚くなっていた室内を見渡しながら、姉は言います。

 足元にあるふたりの身体だったモノの周りには、なにやら黒い波が蠢いています。

 カーテンの隙間から漏れる月明かりで照らされると、それは大量の虫でした。


「ひっ……」


 妹は青い顔をして姉にしがみつきます。

 姉はその頭をぽんぽん叩くと、妹を抱えたまま飛び上がりました。

 ふたりの身体はふわりと浮かび、部屋の中心を漂います。


「ほら、こうして飛べるんだしさ、どっか行こうよ」

「どっかって……どこにいくの?」

「そうだなあ」


 姉の頭のなかに色々な風景が浮かびました。

 いつか母親と三人で出掛けたお店、何かの写真で見た場所、絵本の物語のなかに出てきた建物――そんな風景を思い浮かべながら、姉は不思議に思いました。

 生きているときにはこの部屋から出るなんてことは考えてもみなかったのに、こうしてしんでしまったとたんに色々浮かんでくるなんて。


「ま、どっかはどっかだよ。好きな場所」

「好きな場所って……わっ」


 妹が言い終わる前に姉はさらにえいやと浮かび、妹も慌ててそれにしがみつき、ふたりは天井を通り抜けて外へと飛び立ちます。


 こうして玄関のドアは閉まったまま、ふたりの身体だったモノはこの部屋で朽ち果てた姿のまま、ふたりはこの家のどこにもいなくなったというわけでした。


 



 

 


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