3

 青寿せいじゅが洗面所からもどると、沙羅さらがもじもじしていた。


「あのね、青寿。相談があるの」


 頬を染め、沙羅がうつむく。

 よくみると、青い封筒を持っている。

 そこから彼女は、一枚の書類をゆっくりとつまみだし――。

 

 青寿の脳に、衝撃が走る。

 ――まさか、下界で流行っているという逆プロポ―……


「これなんだけど」

「それはこんい――ん? なにこれ?」


 青寿の希望する書類と、だいぶちがう。

 形状も材質も、まったく似ていない。

 というか、どうみても振込用紙にしか見えない。

 青寿はわけがわからず、眉をひそめて音読していく。


「“吹雪ふぶき 1stファースト DOME TOURドームツアーWhite Outホワイト アウト~”」

「デビューから4年7ヶ月、ついに吹雪が大舞台に! プラチナチケット当選、ありがとうございます!」

「……おめでとう。で?」


 みせびらかしたいだけかとも思ったが、さきほど沙羅は「相談」といった。

 なので青寿は、つづきをうながす。

 正解だったようで、沙羅がへらりと笑った。くそかわいい。


「ちょっとお金かしてくれない?」

「は?」


 ききまちがいにしては、はっきり聞こえた。

 青寿はまじまじと沙羅を見返す。

 沙羅はこてん、と首をたおした。くそかわいい。


「だから、お金かしてほしいの」

「……もしかして、この8,800円が払えないの?」

「フリマサイトの羽衣が売れなくて」

「出品してるの!? 落札者と結婚する気!?」

「大丈夫よ。匿名配送とくめいはいそうだから」

「そういうことじゃ――わかった。俺が落札する」

「出品削除するわ」

「なんで!?」

「だって青寿、二言目には『天界帰ろう』だもん」


 スマホを操作しながら、沙羅がぼやく。

 青寿はため息をついた。


「あのね、沙羅。みんな心配してるよ」

「『毘沙門天びしゃもんてんの娘』だからね。お父様とよしみを結びたいだけよ」

「沙羅……」

「下界では、ただの吹雪ファンのひとりでいられるの……わかって、青寿。あとお金かして」

「金銭感覚!」


 青寿はバンとテーブルをたたく。

 とっさに湯呑ゆのみが気にかかり、かなり小さな音になった。


「そもそも、なんでお金ないの!? 娘に激甘の毘沙門天びしゃもんてん様があほみたいに仕送りしてるの聞いてるけど!?」

「うーん。おしごとがいそがしくて」

「仕事が忙しいのに金が減るの!? なんで!? てか仕事ってなに!?」

「仕事じゃなくて、ごと。DVDやグッズを購入して、鑑賞して、コラボカフェ行って、カラオケでライブのセットリストを再現して――」

「そういうのって、自分で稼いだ金でやるんじゃないの?」

「金は金よ」

「さすが426年間も引きこもっていた天女様は言うことがちがう」

「バカにしてるでしょ」

「実際そうだよね? あー! 沙羅がバカなら俺もバカだ!」


 青寿はやけくそ気味に立ちあがり、財布から二十万ほどつかむ。


「これあげるから、今日泊めて」


 こないだ見た時代劇、あの印籠いんろうのように突きだすが、沙羅はきょとんと首をかしげる。

 あ、これ伝わってないやつ。


「宿泊代にしては多いわね。まあごとの邪魔をしないなら、いいわよ」

「だめ。他の男は見ないで。一晩、俺の相手をしてくれるならあげる」


 クズ男の言動だと自覚しているが、青寿にとっては千載一遇せんざいいちぐう

 万札の束を手に、沙羅との距離をつめる。


 みひらかれたうつくしい翡翠色ひすいいろ、その瞳をのぞきこんだ青寿は、頭に甘いしびれが走って――インターホンが鳴った。


「誰だよ!」

「郵便局でーす! 書留一通ありまーす!」


 ドアのむこうから返事がくる。

 頭をかかえた青寿をすりぬけ、沙羅はドアをあける。

 水色シャツの配達員が、沙羅に白い封筒を手渡す。


「こちらにフルネームでサインおねがいしまーす」

「はーい。……ありがと」

「ありがとうございましたー」


 青寿は天をあおいで、自分を律する。

 気を抜くと、いまの青年に雷をぶつけそうだ。

 大気が不安定な夏の空、青寿の胸中も不安定極まりない。

 だがエリート天人ともあろうものが、人間に私情をぶつけるなど、あってはならない。

 あの人間は職務をまっとうしただけ。あの人間は職務を全うしただけ。あの人間は――。


薬天やくてんカード!」


 沙羅のあかるい声に、青寿は我に返る。

 彼女は笑顔でシルバーのカードを手にしていた。


「入会したの、忘れてたわ~。これで支払うから、もう帰っていいわよ」


 今度は沙羅が、印籠のようにカードをつきだす。

 しかし青寿は、すぐさま反撃の糸口をつかむ。


「これ、クレジットカードだよね。引落日までに、現金必要だよ。俺、仕事でクレカ破産した人、山ほど見てきたけど」


 おとなげなくおどす。

 こうなったら使える情報は何でも使おうと、脳みそをフル回転させて次の手を三つほど思いついたところで、沙羅が言った。


「大丈夫」


 予想に反して、彼女は微笑む。


「それは、来月の私が考えることだから」

「――金銭感覚!」

「あなたも相当よ。じゃ、よいお年を~。さよなら~」

「今年はもう会わないってこと!? まだ夏なのに!?」


 沙羅はこたえず、青寿をぐいぐい玄関へ押していく。

 あわてて体幹に力を入れるが、何の抵抗にもならない。

 それもそのはず、武神・毘沙門天の一族に、力でかなう天人はいない。


「まって、沙羅……ずるい!」


 あっというまに通路に押しだされ、靴を投げられ、ドアが閉まる。  

 無情にも響く施錠音せじょうおんに、青寿は金をにぎったまま、はだしでぽかんとたたずむ。


 とちゅうまでは完璧だったのに。

 今日こそ、連れ帰れると思ったのに。

 どこから間違った?

 何が悪かった?


 鉛色なまりいろのドアは何も答えず、青寿の心も鉛のようだ。

 遠雷が聞こえ、青寿はハッと空をみあげる。


 今日の降水確率、40%だったし。

 俺の心が不安定とかじゃなくて、夏の大気が不安定なだけだし。

 宛先不明のいいわけをならべて、青寿はうなずく。


「大丈夫。沙羅は俺がいないと、ダメだから」


 執着心が言霊に変わるなら、何百回でも唱えてやる。


「来月、現金が必要なタイミングで来れば、勝算は高い」


 増える雨雲、ちかづく遠雷。汗をぬぐって、青寿はつぶやく。


「きもちわる……」


 うるさく肯定こうていするセミの声に自嘲的に笑い、青寿は靴をひろって天界へと帰還した。

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