見えない親友

風と空

第1話 見えない親友 ー散歩ー

「よお!おはよう!今日も早いな」


 タッタッタッタ……


 この声この軽快な足音は


「あ、戸丸とまるさん。おはようございます。今日も頑張りますねぇ」


「まあ、真那まなちゃんとピーターに会えるからってのもあるわなぁ」


 トットットット…

 ふふっ。戸丸さん話している時もジョギングの足を止めないのよね。


「こちらこそ、いつもありがとうございます」


「なぁに言ってんだ。俺が話したいだけさ。お!ピーターもいつもの広場に行きたそうだぞ」


 ハッハッハッハ……


 ピーターの尻尾がバシバシ足に当たってるし、息遣いが早い。そうだねぇ、早く走りたいね。


「戸丸さん今日もお願い出来ますか?」


「お!良いのかい?じゃ、先に行ってちょっと走っておくわ」


「はい。分かりました」


 朝の散歩友達の定年退職したばかりの戸丸さん。まだまだ現役な足音が遠ざかっていくのを聞いて私達も歩き出す。



 そう、私は目が見えない。

 三年前の交通事故で当たりどころが悪く、全盲になってしまった。


 立ち上がるまで一年かかった。

 

 今の状況を受け入れられたら、もっと回復は早かっただろうなぁ…… なんて。これは今だから言える事。


 記憶を頼りに、家の中を手探りで移動する。

 姉や家族を頼りに、白杖で外を歩く練習をする。


 説明するなら簡単。

 でも当時の私は一つ一つが勇気のいる事だった。

 精神的に不安定だったし。


 移動進路に物があるだけで混乱するのよ。

 だから両親や姉には本当に迷惑もかけたけど、「整理整頓が身について丁度いい」って言ってくれてどれだけ救われたか。


 救われたといえば、ピーターと連携が上手く取れない時……


 ちゃんとピーターが教えてくれたのに、道路脇の自転車を倒してしまった事があった。


 勿論、これは盲導犬訓練士が付いて来てくれていた時だったから良かったけど。


 持ち主がちょうど戻って来たみたいで、ボソッと「見えないなら出歩くなよ」と言った言葉が聞こえて来た。


 …… 事故で見えなくなってから耳は良く聞こえる様になったのよねぇ。


 あの時は訓練所で落ち込んだわね。


 あそこは自転車置いちゃいけない所だって、訓練士さん呟いていたもの。


 目を閉じて歩いてみなさいよ。

 私だってしたくてしたんじゃないわ。


 悔しくて堪らなかった。


 その時のピーターの存在のありがたさったらなかったわ。

 辛抱強く側にいてくれるのよ。


 盲導犬は、その存在だけでも人を助けてくれる。

 真っ直ぐな愛情を注いでくれて、私に前を向く力をくれるの。ね、ピーター。


 意識をピーターと歩いている音に向けると、戸丸さんの声が聞こえて来た。

 

「真那ちゃん。ベンチ拭いたから座れるぞ」


 ゴソゴソと何かをしている音が聞こえる戸丸さんの親切に甘えて、いつものベンチに近づく。


 ピーターが止まってくれて、ベンチの場所を教えてくれる。ピーターを誉めて手探りでベンチに腰掛けると、あれ?お尻の下が柔らかい。


「戸丸さん、これ…… わざわざ持って来てくれたんですか?」


「うちのヤツが持って行けって五月蝿いんだよ。で、これもな」


 コポコポコポ…… 水の注ぐ音。ふわっと温かい空気と美味しそうなスープの匂いが私に届く。


「うわぁ、いい匂い」


「ほらほら、ピーター待ってるからハーネスをリードに変えて」


「はーい」


 ピーターを誉めてハーネスを外して、リードと交換すると嬉しそうなピーターの尻尾の音が聞こえてくる。


 世話好きな戸丸さんは、私にスープの入った大きめの水筒のコップを渡してくれた。


「あったかーい」


「そうだろそうだろ。じゃ、代わりに散歩に行ってくるな。ピーター、ゴー」


 戸丸さんとピーターの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はゆっくりスープを口に含む。


 …… コーンスープだぁ、おいし。


 これ奥さんじゃないな…… 戸丸さん用意してくれたものだろう。少し味薄いもん。コーンスープの粉、水筒の下の方でまだ溶けてないのありそう。


 ふふっと声に出して笑う。


 今更ながら、私笑えるんだよね。

 目が見えていた時の様に。


 雪の降る前の静けさ。

 肌に触れる風の冷たさ。

 白鳥の鳴く声。

 

 なんでもない日常に気付けるように回復して来たのは、家族や一度も見たことのないあったかい親友達のおかげ。


 

 私、生きてて良かったなぁ。

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