最後の日

灯喜ときちゃん」


 医師の声が聞こえた。

 ICU集中治療室にはプライバシーが存在しない。

 プライバシーよりも命が優先され、申し訳程度のカーテンがつき、医師の目が届くような配置になっている。


「私、生きてる」

「生きてますよ」


 脳は無音の世界で、思い出が甦ってくるように、私の言葉だけを片隅に残していた。

 そして、虚無感の中から込み上げてくる哀情。


 葉瑠。お別れしよう。

 もう、耐えられない。

 このどうしようもない『淋しさ』に。

 別れは最後じゃない方がいい。

 葉瑠のことは思い出の中に大切にしまっておきたい。


 だから、お別れしよう。


 ◇


 私が病室に戻ったとき、隣のカーテンはいつも通り、ぴっちり閉められていた。

 ベッドに横たわり、窓の方を見上げると、散ったピンクの合間に若々しい緑が覗いていた。

 また、知らないうちに季節が変わっていた。私が願っても、世界は思い通りにはならない。

 だからせめて、思い出が色褪せないように――――――。


 今日、葉瑠に別れを告げる。


 ◇


「灯喜」


 葉瑠の、私を呼ぶ声が聞こえた。私は布団をかぶってくぐもった声で


「なぁに」


 と返した。


「話したいことがあるの」

「そっか。私も」

「じゃぁ、灯喜からどうぞ」


 いつかの会話みたい。あれが始まりだったなぁ。


「お別れしよう」


 私たちは友達のまま、明日から他人のふりをするんだ。


「ふふっ」


 葉瑠が笑い声を溢した。私は思わぬ声に思わず上体を起こし、葉瑠の方へと視線をやった。

 カーテンをそっと開けると、葉瑠も同じようにカーテンを開けていた。


「私もね、同じこと言おうと思ってたの」


 私は嬉しくなって葉瑠の目を見てにこりと笑った。

 そっか、そうだよね。友達だから、通じ合えていたのかな。


「お互い、寄り添い合うのもいいけど、苦しいのを見てるだけは辛いよね」

「でも大丈夫」

「もう一人じゃないからね」

「そう!」


 呆気ない別れかもしれない。でも、私たちの終わりはこれでいい。


「さようなら」

「さようなら」


 そうして私たちは『今』を鮮やかなまま、思い出の中にしまい込んだ。


 さようなら、いつかまた、どこかで会おう。


 ◇


 私が退院して、自宅療養を始めて数年のこと。

 母と一緒に町を歩いていると、どこか見知った顔が通り過ぎた。


 そして旧友を思い出した。


 あのね、葉瑠。

 私はしぶとく生きてるよ。


 思い出という『ひだまり』が、


 輝いている。




 了

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ひだまり 弥生 菜未 @3356280

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