悪魔の望み

海沈生物

第1話

 しんしんと白い雪が降る、ホワイトクリスマスのことだ。新人サンタとして人々の「望み」を叶える仕事をこなしていた私は、空を走るソリの上でぐったりとしていた。サンタの仕事が大変なものであることは分かっていた。しかし、まさか現代のサンタは「子どもたちへの配達」だけじゃなくて「A〇azonの配達」までやらなくてはいけないとは思ってもみなかった。


 ずっと座っていたせいで痛む腰を擦りながら、目の前でキビキビと働くトナカイたちに「君たちもお疲れ様だねぇ」と褒めたたえる。トナカイたちはその言葉を理解したのか、身体をプルルと震わせて「グエッ! グエッ!」と嬉しそうに返事をした。カワイイ生き物め、と半分落ちそうになりながら抱きしめてやる。


「しっかし、今日は寒いねぇ。トナカイたち」


「グエッグエッ?」


「そうなんだよ。サンタの服ってもこもこだから一見温かそうに見えるけど、職務規定で"衣装の下に服を着てはならない"っていうのがあるからさ。ヒートテックを着ることができないんだよねぇ。ぐぬぬ、おのれサンタ協会」


 そんな不満をぶつけるようにして、トナカイたちの顎を撫でてやる。ちょうどその瞬間、私の背後からもにゃもにゃと「何か」の音が聞こえてきた。最初は風を切る音なのかと思っていた。しかし、その音が段々と近付いてくると、その「何か」は明確な「形」を持った音として聞こえてくる。


「そこのお嬢ちゃん、今すぐそこを退けェー!」


 その声の意味を理解した時にはもう、全てが遅かった。私の後頭部に固い「何か」がぶつかってきた。頭に穴が開いたのではないか、と思うほど強烈な痛みが私を襲い込んでくる。たらりと後頭部から血の垂れる感触を感じながら、私は抱きしめていたトナカイたちに倒れ込む。あっ、これ死ぬ奴かもしれない。


 せっかく倍率12.25倍の「サンタクロース試験」に合格して、念願のサンタになれたというのに。こんな意味不明なものにぶつかられた、という理由で死ぬなんて。

まだ配り終えていないプレゼントがあるのに、ここで私の人生は終わってしまうのか。人々の「望み」を叶えるという、サンタとしての人生は終わるのか。


 私は目から涙がこぼれるのを止められなかった。ただただ、死ぬことよりも何よりも、その「望み」を叶えられないことが悲しかった。


「ごめんね、皆……望みを叶えて……あげられなく、て……」


 不意に視界が真っ暗になると、私の意識はその暗闇の中へとちていった。その暗闇の奥に、赤い二つの目が光っていることにも気付かずに。




 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。私は暗闇に満ちた世界から意識を取り戻した。トナカイたちの背中から起き上がると、私はまだソリの上にいることに気付く。

後頭部に触れてみると、血はもう流れていなかった。それどころか、ぶつかられた時の傷跡すらなかった。


「これは……どういう、こと?」


『やっと起きたか、お嬢ちゃん』


「……えっ?」


 どこからか、渋いおじさんの声が聞こえてきた。もしかして、先輩サンタさんの声なのだろうか。そう思って周囲を見渡してみるが、あるのは雪を降らす灰色の雲ばかりで、先輩サンタの姿はどこにもない。そんな私の様子を見透かすようにして、その声はガッハッハと豪快に笑う。


『そんなに見渡しても、俺はいねぇよ。なぜなら、んだからな』


「……えっ?」


『さっきと同じ言葉を返しなさんな。だから、そのままの意味だ。、ってことさァ』


 この声の主の言っていることが理解ができない。それは私があまり頭の良い方ではない、ということもあるかもしれない。しかし、それ以上にこの声の主が言っていることは非現実的ファンタジーなものであり、受け入れ難いものだった。


「そんな……私の一部になった、ってなんですか? 現実リアリティ非現実ファンタジーの区別がつかないタイプの人ですか? 自分のSNSでの発信力を利用して、ありもしない適当な物語を現実に起こったことだと言うタイプの人ですか?」


『何言っているのかよく分からねぇが、少なくともこれは現実リアリティってやつだぜェ。そもそも、大人にとって非現実ファンタジーの象徴みたいなサンタクロース様が存在しているのに、俺のような悪魔が存在しちゃいけねぇ道理はねぇだろ?』


 それを言われると、何も言い返せなくなる。

 

 私は小さな頃からずっと「サンタクロースになりたい!」と言い続けてきた。しかし、大学生になる頃には友達から「もう子どもじゃないんだから」「そんなおとぎ話を信じるのはやめときなよ」と言われるようになった。もちろんその程度でブレる私ではない。皆が就活をする時も「サンタクロースになるから!」と両親に言ってフリーター生活を続けることを決めた。


 けれど、現実リアリティは残酷だ。周囲が順調にキャリア形成をしたり家庭を築いていく中で、私は一人、給料の良い深夜バイトばかりしている。そんな現実リアリティに絶望して、一度は部屋で首を吊って、自殺しようかと思ったこともあった。

 でも、死のうと思った直前に私は思ったのだ。


「ここで死んでしまえば、私は私を批判した奴らと同じになる。なんか自分のSNSでの発信力を利用して、ありもしない適当な物語を現実に起こったことだと言うタイプの人と同じになってしまう。それは……なんか嫌だ!」


 そう思い立った私は死ぬのをやめた。その代わりに、行動を取った。溜めたお金で海外を旅して、サンタクロースが本当に非実在ファンタジーなのかを確かめて回った。その結果が今の私である。 

 だから、私は人の持つ「非現実」を……笑われるような「望み」を絶対に否定しない。そう思っていたはずなのに、この声の主の言っていることを非現実と捉えていたなんて。なんとも恥ずかしことだ。猛省して、息を整える。


「そう……そうですよね。私みたいなサンタクロースが悪魔さんの存在を否定するなんて、おかしなことでしたよね。あの……疑って本当に申し訳ありませんでした!」


『そ、そんなに落ち込まれると、逆にこっちまで申し訳なくなっちまうなァ。……でも、ちゃんと自分が間違ったことを謝れるのは偉いと思うぜ。謝ってくれてありがとなァ、お嬢ちゃん』


 悪魔さんの声は、まるで私の頭を撫でてくれるように優しいものだった。私はその声にすっかり心を許して、つい頬が緩んでしまった。


『良い笑顔だ。……これは俺が蘇生した甲斐かいもあった、ってもんだァ』


 しかし、その「命を賭けて」という言葉で私の頬はまた元に戻ってしまう。そんな私の様子に、悪魔さんは「はぁ」と溜息をつく。


『命を賭けたって言っても、見ての通り……いや、聞いての通りにお嬢ちゃんの一部として生きているんだ。そこまで気に病むことはねぇ。それに、そもそもお嬢ちゃんにぶつかって殺しちまった不注意な犯人は、


「……え?」


『今日で三回目だなァ、その反応。でも、これは本当のことだ。たまたま、お前さんの近くを飛んでいた飛行機の乗客の"望み"を叶えてやっていたんだが。少しばかり、望みの代償についてミスをやらかしてな。間違えて、その乗客とは無関係なお前さんを代償として殺してしまった……ってわけよ』


「つまり、私はで殺されたってことですか?」


『まぁ……要約すれば、そういうことだなぁ』


「要約すればってなんですか、要約すればって!」


 仮に悪魔さんが肉体を持っていたのなら、今すぐに詰め寄っていたところだ。でも、悪魔さんはもう私の一部となっている。自分に自分で詰め寄ることはできないし、ただただ怒りだけが虚しく募る。


『もはや謝ったところで過ぎちまったことだし、無駄なんだけどよォ。でも、手違いで殺しちまったのは謝る。……本当にすまんかったァ!』


「……まぁ、と思います。私も」


『……? そ、それは、許してくれってことかァ?』


「それは別です! ……と言いたいところですが。私は人々の望みを叶えるサンタクロースなので、許します。悪魔さんがそうのなら、私はそのを叶えます」


『……あっ。だったら、その望みついでにもう一つ望みを叶えてくれないかァ?』


「厚かましす……なんですか?」


 悪魔さんはこほんと咳ばらいをすると、すっと小さく息を吸った。


『俺の代わりに、?』


 厚かましい。あまりの厚かましさに、私の虚しく募っていた怒りが爆発しかけた。しかし、私はもう決めたのだ。全ての人々の「望み」を叶える存在になると。悪魔さんは「悪魔」であって「人々」ではないような気がするけど、まぁ……今回は特例ということにしておこう、うん。私は唇をギュッと噛んだ。


「分かりました。本当はその望みを叶えたくないですが、特別に叶えてあげます。……でも、最終手段ですからね! 色々してあげた上でもう無理そうな人にだけ、悪魔として"望み"を叶えてあげるだけですから!」


『あぁ、それでいいぜェ。……まぁ、どうせお嬢ちゃんも悪魔の力に堕ちると思うがなァ。まっ、俺はお嬢ちゃんがどんな屑になったとしても、死ぬまで一生見守っておいてやるからな。悪魔の力に溺れる姿、せいぜい楽しみにしておくぜェ』


 ガッハッハと豪快に笑う悪魔さんに、私はこの「望み」を引き受けたことを少し後悔した。でも、もう決めたことなのだ。それがどれだけ他人から「愚かだ」と笑われたとしても、私はもう望みを叶えると決めたのだから。それを曲げることはない。

 私はトナカイたちに鞭を打つと、白い雪が降る中、ソリを走らせて残りのプレゼントを配りに向かった。

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