Ⅴ(終)
上り、下り、立体交差に袋小路、分岐路が続いたかと思えばぶち抜きの広場……隧道は無秩序に広がっていた。エレクは車輪を使い、4脚で跨ぎ、最小限の機動でノロノロと進んで行く。
幸いなのは、エレクが解析した低周波信号が仲間を呼び寄せる類のものではなかったということだ。まずは一瞬だけオンの状態にし、すぐさま通路の陰に身を潜めたが周囲に変化は見られず、徐々に発信時間を増やしていって、今はもう途切れることなく発信している。やっつけで作り上げたリアルタイム地形解析ソフトウェアも無事に機能した。行き止まりなどは予め回避できるし、同じ場所をぐるぐる回る事もない。無駄な消耗を避けられるのは正直有り難かった。
最大の懸念点であったのは、言うまでもなくクラムズとの接触だった。これは侃々諤々の議論を呼んだ。可能な限り戦闘を避けることには誰も異論はない。問題は、避けられない戦闘にどう対処するかだった。弾薬には限りがあり、しかし限られた弾薬で最大限の効果を発揮する為の炸薬が、再度の崩落を招かないとも限らない。タイラーはその時はその時だと強硬主張し、ウィルソンはそもそも主砲など撃つべきではなく牽制と逃走に徹するべしという立場を崩さない。どちらも理のある主張だが、同時にそれぞれ別種のリスクが存在する。
結局、折衷案的に主砲の弾頭から炸薬を抜いて運用するというラインに軟着陸した。ただし、戦闘となった以上は必殺である。集団戦、消耗戦になれば、まず生き延びる目は無くなるからだ。
「おい、出口はまだ見えねえか」
苛立ちも露わにタイラーが質すが、『見当たりません』とエレクの返答はにべもない。
彷徨うこと数時間、夜半はとうに過ぎていた。
探索を開始してから、会敵は数知れずあったが、すべて防御態勢で物陰に隠れてやり過ごした。大規模な球状卵晶群に行き当たった時はそれ以上に肝を冷やしたが、今はそれどころではないとそっと通り過ぎた。
戦闘は、一度だけあった。はぐれて通路をさまよい歩く中型の個体に、背後から奇襲のように主砲を一発。幸いにも当のクラムズは即死で仲間を呼ばれることはなかったものの、他の個体に聞きつけられていたらと全員気が気ではなかった。しばらくは神経をすり減らしながらの偏執的な索敵と潜伏が続いた。一事が万事この調子で、そろそろ自身も含め乗員たちも疲労の限界だと、サザランドは判断した。
『この先、少し開けた場所があります。動体反応はなし。声も聞こえません』
「車体を隠せそうなところはあるか?」
『はい』
「なら、ひと通り索敵したら、そこで小休止だ」
『それともうひとつ。まだはっきりとは分かりませんが、』
「どうした」
『外に出られるかもしれません』
「あの向こうが、地上か……」
赤外画像越しに目を眇めつつサザランドが見るのは、そうと言われなければわからない程の、小さな岩の隙間だった。
辿り着いたそこは、高さのある広い空間だった。ここまではずっと岩肌剥き出しの地面だったのが、ここは粒の細かい砂地である。天井に鳥や蝙蝠が入れるほどの隙間があって、そこが地上に続いているのだとエレクは言う。砂が入ってきているのがその証左だろうと。
ただ、天井は余りにも高い。10メートルかそこらはあるだろうし、周囲に足掛かりになりそうなものは何もなかった。
「主砲ぶっ放しゃあ穴は広がるだろうが……どうやって登るんだ?」
タイラーは苦り切った顔だ。
「言っとくが、ロケットブースターは駄目だからな」とウィルソン。
「知ってるよ」
「エレク、一応聞いておくが、この壁を昇ることはできるか?」とサザランド。
『不可能です』
だろうな、と溜息をつく。リッジウェイのスペックのどこを掘り返しても、それは無理な芸当という他はなかった。なにせ、昇るとすれば天井に貼りつく必要があるのだ。
『ですが、射出座席を使用すれば、乗員は脱出できると思われます』
緊急脱出用の射出座席は、15Gの初速で打ち上げられる。高度にすればおよそ150メートルほど。射出角度を計算すれば、この空間からの脱出は十分に可能といえた。
「あの裂け目を広げて、か。上にクラムズがいれば一巻の終わりだぞ」
『地上のクラムズは一掃しました。それに、近場に出入り口が無いことは解析結果から明らかです』
あったとしても、これだけ探して見付からないのだから、それはもう既に閉じられているのではないか、そうエレクは主張した。
「おれたちだけ脱出したとして、おまえはどうする」
『防御態勢のままスリープモードに入り、回収を待ちます。上層部も、コストの面から回収作戦には積極的になると推察します』
確かに積極的な姿勢は見せるだろうが、果たしてそのプランは現実的と言えるだろうかとサザランドは訝しんだ。
一時でもエレクを見捨てるという行動に、自分でも思った以上の心理的抵抗を感じていることに、サザランド自身驚いていた。サザランドのみならずタイラーもウィルソンも、戦車をただの兵器、ただの道具と見做すには、余りに多くの時間をエレクと共に過ごし、会話してきた。
「少し、考えさせてくれ」
『分かりました』
「それにしても、よく見付けたな」とウィルソンが感心したように言う。
『先ほど、ドローンとの通信が急に回復したので。念の為、向こう側からも赤外画像で確認をとりました。外はサン・シモン市街地から西に3キロほど離れた砂漠地帯です』
「てことは、ここ電波が通るのか」
タイラーの何気ない一言に、ウィルソンが飛び付いた。たちまちの内に通信回路を立ち上げる。
「本部! 聴こえるか!? こちらエレクトロキューショニスト、救助を要請する!」
ウィルソンの名誉のために言い添えるならば、彼もまた疲労と困憊の極致にあった。不注意と手違いがあったとして、誰が彼を責められるだろう。
「待て、周波数帯は」
サザランドが咎めたが、もう遅かった。
ウィルソンが大出力で発したそれは、クラムズの可聴領域にあった。
身を隠すために傍に寄った岩が、突如として腕を伸ばし、エレクの主砲を掴んだ。誰も、反応すらできず、ただ声なき悲鳴がコクピット内に満ちた。
たちまちの内に変形、変色する大岩。偽装型のクラムズ、それも体長4メートルを超える大型だった。
意図してかせざるか、一瞬で射線を殺したクラムズは、大口を開けてコクピットの辺りに噛み付いた。鋭い牙が複合材装甲を切り裂き、たわませる。
タイラーが、聞くに堪えない悲鳴を上げた。
「脚、脚が!」
ひしゃげたフレームが内装を圧迫し、タイラーの右脚を潰していた。
ただの一撃で、コクピットに大穴が空いていた。機動性を得るため犠牲にした装甲の厚みが、白兵戦闘においては明らかな不利として作用した。
コクピットの裂け目から、クラムズの姿が見えた。顔に当たる部分だ。瞳のない濁った眼と確かに視線が交差し、サザランドすらが死の予感に戦慄し、睾丸が縮みあがった。
生身でクラムズに相対すれば、はっきりと分かる。
人間が、こんな怪獣に勝てる訳がない。
リッジウェイという現代兵装の権化ともいうべき鎧を3人がかりで身に纏って、人類は初めてこの怪物に対等に立ち向かえるのだ。
なにくそ、とサザランドは自身に発破を掛けて穴の隙間からクラムズ目掛けて腕を突き出し、45口径のオートマチックを全弾一気にぶち込んだ。こんな豆鉄砲で倒せるなどとはまさか思っていない。だが、一発が眼に当たり、クラムズは僅かにのけ反ってエレクの車体を手放した。
すかさずウィルソンはブースター噴射で後退、距離をとった。
負傷をものともせずに12.7mmをばら撒きつつ、タイラーは主砲の照準を合わせる。そしてエレクに向かって叫ぶ。
「弾頭抜いたか!?」
『はい、2発目は化学砲弾ですね?』
「まだだ! 1発で抜けるか分からん!」
轟音と共に、1発目が胴体のど真ん中に命中した。至近距離で直撃した砲弾は外殻を大きく凹ませたが、貫通には至らない。後脚で反動を殺し、ウィルソンは神がかり的な操縦で即座に体勢を立て直す。
「もう1発いくぞ!」
エレクも、初弾の成果をみて間髪入れず次弾に備えていた。
『装填完了しました』
「撃て!」
2発目は、今度こそ胴体に風穴を空けた。クラムズがよろめき、後退る。この隙を逃せば最後、その覚悟でタイラーが脚の痛みも忘れ、声も枯れよと叫んだ。
「化学砲弾! 撃て!」
みたび、轟音と反動。
弗化水素酸を詰め込んだ砲弾が、初弾が開けた穴の、少し左上辺りに着弾した。ヒビの入ったその部分は着弾とともにあっさりと砕け、結果クラムズは腹腔内に劇物をたっぷりとばら撒かれた。可聴領域はるか下の断末魔をあげているのが、コクピット内の空気の振動で分かった。クラムズは崩れ落ちてからも暫く巨体を波打たせ砂を掻きながらのたうち回っていたが、やがて動きを止め沈黙した。
誰もが汗まみれで、息を弾ませていた。
「ああクソ、痛え!」
タイラーの苦痛に満ちた悲鳴がコクピット内に反響した。体内を巡っていたアドレナリンが、その効力を切らしたのだろう。
コクピットの穴から、無理に角度を付けたマニピュレータを差し込んだのはエレクの判断だった。鉄骨材をこじるようにして隙間を確保し、限界可動域をわざと超過することでそのまま自切、突っ張り棒としての役割だけをコクピット内に残した。
『無事ですか、タイラー?』
「ああ、でも多分折れてる。クソみてえに痛え」
『モルヒネを打ちますか?』
「落ち着いたらな。ありがとよ」
甲高い音で、アラートが鳴った。びくりとタイラーの身体が震える。ウィルソンもサザランドも、赤く明滅するモニタ上のウィンドウに釘付けになった。
『残念ながら、落ち着く暇はないかもしれません……軍曹』
サザランドにも察しは付いた。ソフトウェアが、動く敵影を感知したのだ。
『距離は200メートル程度ですが、集団です。今の戦闘音を聞きつけたと思われます』
しかも、その解析結果にはタイムラグがある。今はもっとずっと近づいているに違いなかった。
サザランドは、コクピットの穴から広場の天井を仰ぎ見た。夜明けを目前にした空は漆黒から濃紺へと僅かに色を変え、裂け目の形を露わにしている。
『……たった今、ウォークライも検出しました。時間がありません。決断を』
「軍曹、おれはまだやれる」
いよいよ脂汗が浮いてきた顔を乱暴に拭いながら喘ぐ様にタイラーは言うが、明らかに強がっていた。ウィルソンは、じっと黙っている。
鼻から大きく息を吐き、サザランドは「わかった、脱出する」と言った。
「タイラー、主砲の準備。エレクは弾頭を抜いておけ」
『了解しました』
「軍曹、本気かよ」
「本気だ」
「タイラー、エレクだけなら電源を落として仮死状態でも半永久的に『生き』ていられる。防御態勢で丸まってれば見つかる可能性も少ない筈だ」
だから後で回収に来れば良い、そうウィルソンは宥めるが、その場しのぎの欺瞞に過ぎないことは、誰の目にも明らかだった。この一帯に根を張ったクラムズを一掃するには、最低でも飛行編隊による大規模空爆が必要だ。地下までとなると、戦略核の使用まで視野に入れる羽目になるかもしれない。その後にエレクが原形を留めていられる可能性は、万にひとつあるかどうかだろう。
『可能性はゼロじゃありませんよ』
「タイラー。主砲の準備だ」
だが、返事は無い。サザランドは、辛抱強く繰り返した。
「聞こえないのか、タイラー。主砲だ」
ついに、タイラーは折れた。
「分かった、分かりましたよ」投げやりに言う。
「いい子だ。最後の一発だぞ、よく狙え」
「アイアイ、サー」
大きく仰角を付けて発射した主砲は、狙い通り裂け目近くの薄くなった岩盤を砕き、幾ばくかの瓦礫を落として穴を大きく広げた。最後の懸念であった大規模崩落も起きず、3人は胸を撫で下ろす。
微かに白む空にいまだ瞬く星明りを目にして、思わずウィルソンは目頭が熱くなった。
「外だぜ、なあ、おい。朝だ」
「エレク、
了解しました、といういつも通りの律儀な返答と共に、エレクはカウントダウンを始める。
10。
9。
8。
「エレク、いつでも再起動できるようにしておけよ」
『分かりました、ウィルソン』
7。
6。
5。
「おい、ポンコツ。絶対におれは戻ってくるから、待ってろ」
『ポンコツではありません。でも、ありがとう、タイラー』
4。
3。
「総員。体勢整えろ」
2。
1。
そして、カウントゼロと同時、エレクはハッチを爆破。外気に完全に露出した3人の搭乗員を座席とパラシュートごと、ロケットモーターでアリゾナの空高く打ち上げた。
そこから先、3人は何度もその瞬間を振り返り、思い出すことになる。
ウィルソンは射出の間際、確かにエレクの声を聴いたと主張する。『すみません』という、その声を。
タイラーは、エレクが自分達に虚偽の申告を行ったことを理由として、戦車中枢制御AIの採用には事あるごとに反対の意を表明した。
そしてサザランドは、この一件に関しては公式非公式を問わず、堅く口を閉ざしつづけている。
強烈な上昇速度とGに歯を食いしばりながら絶える3人は、確かに聴いた。
ズン、と腹に響く爆発音。それは確かに、インディが最後に発したのと同じ音。
ロケットブースター燃料が引火し、大爆発を起こす音だった。
東の空は既に白く、藍色がかった空の下、パラシュートに揺られながら見下ろす砂漠に、もうもうと砂煙が立ちあがっていた。
裂け目はすでに跡形もなく、大規模な崩落が、そこにあったはずの穴を完全に塞いでいた。
暁に染まりゆく砂漠の空を背に、黒々と3人の男のシルエットがある。2人は座り込み、1人は立っている。
ウィルソンは、片膝をたてて座りながら、ひん曲がった煙草を咥え深々と煙を吐いていた。
タイラーは痛む脚を抱えて蹲り、「いかれポンコツが」と何度も繰り返しては泣いていた。
サザランドは、彼らの後ろで立ち尽くしている。
サザランドは考える。もし、自分がエレクの立場だったなら、どうしていたか。
仲間は既に脱出、背後から迫りくるクラムズども。放っておけば、そいつらが地下から同僚たちを皆殺しにする為よじ登ってくるのは目に見えている。ならば、どうする。自分ならそれを黙って見過ごすだろうか。
絶対にそうはしない。何としても阻止する。
だから、エレクもそうした。
AIはその気になれば単独でも戦車を運用できるが、そこにはどうしても解決できない倫理的な問題がある。エレクは不格好な4脚でもって、その一線を確かに踏み越えた。
「ウィルソン」
「なんです」
「煙草、1本くれ」
ウィルソンは何も言わず、胸ポケットからくしゃくしゃの紙パッケージを取り出し、慣れた手つきで振った。サザランドは開け口から飛び出た煙草を取り出して、受け取ったオイルライターで火を点ける。吸い込むと、今時珍しい両切り煙草の、噎せ返るような強い煙が久方ぶりに肺いっぱいに満ちた。たまらなく旨かった。
「ねえ軍曹」
「なんだ」
「おれたちのやってるこれって、本当に戦争なんですかね」
ウィルソンの投げやりな問いに何の衒いもなく、サザランドは頷く。
「戦争だとも。おれたちかあいつら、どっちかが残らずくたばるまで終わらない」
「クソですね」
ウィルソンが吐き捨てると、サザランドはその日初めて笑った。
「ようやく気付いたか、坊や」
曙光を迎える間際の空に、ヘリの機影が見えた。
ロックンロール・オールナイト 南沼 @Numa_ebi
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