「おい、無事か?」

 計器の灯りと沈黙が無機質に満ちるコクピット内に向けて、サザランドが囁きにも似た小さな声で問いかける。車体を襲った衝撃と轟音に不覚にも数瞬、放心状態になっていた。ただ、眩暈は酷いものの、どこにも怪我は無いようだ。

『駆動系、制御系、正常』

エレクが何でもないと言うように答え、遅れてタイラーとウィルソンが呻くように無事を報告した。

『装甲やフレームにも大きな損傷はありません。作戦行動に支障なし』

 それは良いニュースに違いない。だが、その他に大きな問題があった。

 タイラーが、端的にそれを指摘した。

「どこだよ、ここは」

 ノイズ交じりのカメラ映像には、何も映っていない。完全な暗闇の中だった。不用意に周囲を照らすことを躊躇うだけの冷静さは、皆取り戻していた。赤外画像に切り替えるが、辺りは岩くればかり。壁の凹凸はかなり粗く、天然の隧道のようにも見える。それでいてリッジウェイの車体が潜り込める程の広さがあるのは、奇妙だった。

『サン・シモンの地下にある空間ですね』

「そんなことは分かってんだよ! ポンコツが!」

「大声出すな、タイラー」

 たまらずウィルソンが割って入る。

「クラムズどもをおびき寄せたいのか?」

 これにはタイラーも流石に黙った。クラムズは視覚も聴覚も、人間のそれを遥かに凌駕する上に、メートルオーダーの低周波領域に限れば電磁波まで感覚できる。

「お前、電磁波解析見たか?」

 ウィルソンに言われて、タイラーは慌ててモニタを立ち上げた。見覚えのある周波数帯に、大きな角が立っていた。散々座学で叩きこまれた、クラムズのウォークライ。緊張状態ないし戦闘状態を周囲の仲間に伝える為の低周波信号だった。

 つまり、この地下空間にはクラムズの集団がひしめいていることになる。今血に飢えたクラムズが目の前にいないのは、偶々に過ぎない。

 タイラーは息を呑んでから、囁き声で問い詰めた。

「じゃあおまえは、ここがどこだか分かるってのか?」

「エレクが言っただろ、町の地下だ」

「そういうことじゃねえよ。ここは一体なんなんだ」

『恐らく、クラムズたちが掘り進めて出来た空間と推察します』

「ここいらは砂と岩ばっかりの土地だから、あいつらにとっちゃご馳走の上にテントキャンプを張るようなもんだ。パーティ会場の設営はさぞかし楽しかったろうな」

 そこから先は、サザランドが引き継いだ。

「メシを食えば食うだけ安全な空間が確保できる。合理的だな」

 決して想像したくないその最悪の想定は恐らく正しいと、3人は飲み込みつつあった。

「今までそんなこと、あったか!?」

 なおもタイラーは噛み付く。

「あったのかもしれん。だが初耳だ」

 ここと似たような、そうでなくとも岩場など土壌に珪素が多量に含まれる環境は世界各地にいくらでもあるし、そこにクラムズがいれば当然こういったことも起こり得る筈だ。

 だが各国に存在するはずのその情報は伏せられている。サザランドは言外にそう言っている。

 深刻な危機に陥った時、人類全員が手を取り一丸となってそれに立ち向かえるというのが淡い幻想であることはクラムズがやってくるまでにとっくに分かっていたことだし、今更驚くにはあたらない。より最悪な想定は、国内の情報すらが回ってきていないことだ。流石に意図的なものだとは思わないが、事実と憶測、情報とノイズが入り乱れ、命令系統が本来備えるべき正確さと伝達速度に深刻な齟齬が起きている可能性は十分にある。

 だが、今はそんなことを考えても始まらない。まずはここから生きて脱出することだ。

「無線は? 本部に救助を要請すれば、」

「通じない。地盤に阻まれちまってる」

 ウィルソンは溜息をつきながら皮肉の籠った口調で返す。そんなことは当然、確認済みだった。

「ウィルソン、試すのは構わんが周波数と出力に気を付けろよ」とサザランド。

「分かってますよ」

「まずはここから出るぞ。出口を探す」

「どうやって?」とタイラー。

「クラムズどもがここにいるなら、入ってきた場所があるはずだ」

「だから、どうやって!?」

「それを今から考えるんだ。お前も頭を捻れ、タイラー」

「……辺りを探索するしかないんじゃねえか?」

「良いアイディアだ。だが当てが何もないのはまずい」

 バッテリーはフル稼働であと5時間分はあるし、ブースター燃料も8割がたは残っている。ただ、張り巡らされた巨大な迷路をあてどなくさまよい歩くには心許ない。クラムズと鉢合わせてしまえば、恐らく戦闘は避けられないだろう。相手方の数によってはその時点で詰む。こちらの体勢が整わないままに仲間を呼び寄せられても同じだ。

 しばし、沈黙がコクピットを支配した。

 破ったのは、ウィルソンだった。

「仲間……って、あいつらどうやって呼んでるんでしたっけ?」

「おまえさっき自分で言ってたじゃねえか」とタイラー。

「だよな」

 手元のモニタを、ウィルソンはぐっと睨みつけている。

「エレク、クラムズの出す低周波を解析できないか?」

『どのように?』

 ウィルソンは少し考えて、

「やりたいのは、潜水艦のアクティブソナーだ」

「クラムズに偽装した声を出して、反射から周りの地形を割り出すのか?」サザランドが割り込む。

「じゃあ、ウォークライは不味いだろう」

「ええ、だから解析したいのはそこです。仲間を呼ぶ為の信号じゃなくて、それ以外の……出来れば何の意味もない信号、発したとして他の誰も気に留めないようなやつがいい」

『私は言語学者じゃありませんよ』

「おれだって違う。でも出来るとしたらおまえだろ」

『ウォークライとそれ以外の信号を識別することはできますが、『それ以外』の殆どは人類にとって未知のものです。それが何にあたる信号なのか同定することは、不可能です』

 うーん、とウィルソンは唸った。良いセンだと思っていたのだが。

「なあポンコツ」と、黙って聞いていたタイラーが言葉を挟む。

『私はポンコツではありません』

「黙って聞けアホたれ。おまえ、地面が割れる時に『下に』とか『電磁波が』とか言ってたよな?」

『言いました』

「それは、クラムズどもの声を聴いたってことか?」

 タイラーは、無い頭を絞りながら慎重に言葉を選んでいる。

『その時ははっきりとそう断言できる材料が揃っていませんでしたが、今の状況を鑑みるにその蓋然性は高いと考えます』

「つまり聴いたんだな?」

『まず間違いなく』

「その時の、つまりおれたちが落っこちる前のあいつらってのは、緊張状態にはなかったんじゃねえか」

『可能性はありますね』

「パーティソングを歌ってたと思うか?」

『それは分かりませんが』

「エレク、そいつは記録してあるか?」と、上を向いて考えごとをしていたウィルソンが興奮しながら割って入ってきた。

『勿論です』

「今聴こえる低周波とそいつの共通項をピックアップしておまえのスピーカーから流す。戻ってきた反響を更に解析して周囲の三次元構造を割り出す。出来るか?」

『可能と判断します。ただし最初の解析に時間が掛かります』

「どれくらい?」

『分かりません……現時点での予測の中央値はおよそ3時間。そこから調整に1時間。反響の解析は、リアルタイムで出来るかもしれません』

「軍曹」

 サザランドは束の間の逡巡の後、「よし、やれ」と命令した。

「ただしバッテリーの消費と排熱は最大限抑えろ」

『空調は?』

「いらん」

『了解しました』


 それから5時間弱、エレクは使用の許された全てのリソースを音響の解析と再現にあてた。

 幸いにも、解析を始めてからこの方、クラムズが近くまでやって来た様子は無い。何度も死線を潜り抜けた海千山千の猛者どもは、太々しさを取り戻すのもまた早かった。

 コクピットはその間、沈黙と薄い紫煙に満たされていた。最初のうち煙草をくゆらせていたのはもっぱらウィルソンだったが、タイラーがそれに苦情を上げたのだ。

「おまえ他人の迷惑とか考えねえのか? 空調は切るって言ってただろうが」

 タイラーの顔は汗みずくだった。地下とは言え、空調を切ってしまえば暑苦しかった。ウィルソンもサザランドも、じっとりと汗を掻いている。その上換気もなしに煙草の煙が充満するのだから、たまったものではなかった。

「ああ、うん……吸うか?」

「……よこせ、いっこ借りにしてやる」

 サザランドは、腕組みをして黙っている。

「軍曹もどうです?」

「要らん」

「馬鹿おまえ軍曹はもうお歳で紙巻煙草はしんどいから噛み煙草一本なんだよ。遠慮して差し上げろ」

「やかましいぞタイラー」

 サザランドは腕組みのまま、絞りかすのようになった噛み煙草を吐き出した。ジャケットの襟の下辺りに引っ掛かったが、構うことはない。

『お楽しみのところ申し訳ありませんが、解析と調整が終わりました』

 エレクの宣言に、空気が一気に引き締まった。

 ウィルソンは短くなった煙草をセブンアップの空き缶にねじ込み、タイラーは首の関節を左右音を立てて鳴らす。

「準備は良いか?」

 サザランドの言葉に、「あいよ」「いいっすよ」『はい』と思い思いの返事が返る。

『ベストは尽くしましたが、品質までは保証しかねます』

「構わん。何か留意点はあるか?」

『長波の為思ったよりも探索範囲は広くなりました。半径200メートル程度まではかなりの精度で把握できますが、反面マッピングの即時性は損なわれています』

「地形は動かんだろう」

『ええ。ですがクラムズの動向の把握にはどうしてもタイムラグが生まれます』

「それは仕方ないが、どれくらいだ?」

『地形の入り組み具合と距離にもよりますが、最大で1分程度かと』

「分かった」

『それと、今のところ周囲に出口らしき箇所は見当たりません』

 サザランドは「残念なニュースだな」と口では言ったが、鋳鉄を思わせるその表情にも口調にも、なんら陰りはない。腕時計に目をやれば時刻は19時頃、地表はようやく日没を迎える頃合いだった。

「ここからはまた長丁場だ。坊やたち、気を抜くなよ」

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