目抜き通りを入ってすぐ分かったのは、この町が既に廃墟そのものであるということだった。民家は見渡す限りどれも原型を留めておらず燻っては細い煙を吐き出し、目抜き通りに直行するアベニュー沿いのガソリンスタンドからは真っ黒な煙と共に炎が立ち昇っている。エレクは砕けて凹凸を露わにするアスファルトの平らな面だけを器用に踏みながら、4脚それぞれの先に小径のタイヤを出し、最も燃費の良い走行法で進む。

「次の目標地点は?」

 ぎらついた声でウィルソンが問う。事前のミーティングで分かっていることだろうに、聞かずにはいられない。

『パラダイスアベニューとサードストリートの交差点です。あと約1200メートル』

「クソ。いや了解。クソ」

 何もいないという僥倖が、帰って緊張感を高めていた。やり終えることのできなかった長休みバケーションの宿題を先送りにしただけのような奇妙な感覚を、サザランドもタイラーも共有した。

「落ち着け、ウィルソン」

 何の慰めにもならない言葉を吐く。

「すみません、分かってます」

 どこか言い訳じみたような不貞腐れた口調のウィルソンを、しかしサザランドは咎めることが出来ない。タイラーも、いつもなら吐く軽口を叩こうともしなかった。

 じりじりと索敵を続け、ようやく目標地点に辿り着こうという時だった。不意に、エレクが声を上げた。

『ちょっと待って、ウィルソン、地形に変化があります』

「地形?」

 交差点を目標地点としたのは、そこにちょうど身を隠せるくらいの岩があることが分かっていたからだ。

『岩の数が増えています』

 メモリ内の航空写真とドローンからの映像を突き合わせたらしい。

 サザランドは、躊躇わなかった。

「タイラー!」

 号令を受けたタイラーの手が機械じみた素早さと正確さで動き、主砲と同軸の12.7mm重機関銃が毎分500発の速度で空気を裂いた。

 大人の背丈を倍する程度の褐色の砂岩のど真ん中に、それらは小気味の良い音を立てて綺麗に集弾してゆく。

 身の毛もよだつ低音で、その岩は鳴いた。同時に、変形をと変色を始める。体表は白っぽい石英質へ、そして折り畳んだ手足と尾をほぐす様に展開してゆく。偽装したクラムズだった。

 だが、それは遅きに失した。黄色く濁った一対の眼を見開いた頃には半ば胴体は千切れかけ、青黒く乾いた内臓を砂上に零しながら砂煙を立てて地に倒れ伏した。

「もういい、やめろ」

『おい、今のは何だ』

 無線越しにベイカーが質した。

「生き残りがいた。無力化済み、損害無し」

『そいつは良かった、了解』

「こちらは目標地点に到達。おまえの番だぞ」

『くそったれ、了解』

 クラムズの内臓は、気中に晒され乾燥すると体表と同じ白色に変化する。それを見届けてから、サザランドは溜息をついた。


 それから3時間。2台と6人はサン・シモンの街をくまなく索敵し、生き残りをすべて始末して回った。いよいよ街を東に抜け、あとは本部に連絡、トランスポーターが再び彼らを回収するまで待つばかりだ。バッテリーの電力も残弾も、まだたっぷり残っている

『こちらインディ。次で最後だな』

「ああ」

 だから、油断が無かったといえば嘘になる。

 それはサン・シモン東の端にある、廃工場のすぐそばだった。ここでインディが先行、町を抜ければそれで任務は終了。

 その筈だった。

 エレクが、ふと声を上げた。

『すみません、軍曹』

「なんだ」

『電磁波解析の結果に不自然な点が』

「どうした」

『この下に、』

 いつものエレクらしからぬ、どこか躊躇うような言い回しで言葉を継ぐ前に、それは起こった。

 インディが、先だった。

右前脚がアスファルトを踏む、丁度そこを起点として地面が陥落した。つんのめるような体勢になったのも束の間、ほんの少しだけの間を置いて、次はごっそりと路面幅いっぱいに至るまでひび割れ、崩れ落ちていった。

 エレクのカメラがそれを捉え、サザランドもタイラーもウィルソンも見た。まるで薄い焼き菓子のように表面だけを残し、零れ落ちてゆくアスファルトたち。その下に黒々と開いた底知れぬ空間に、インディは前につんのめった体勢のままひとたまりもなく落ちていった。

 交信する暇もなかった。あっという間の出来事だったし、すぐそばにいたエレクの直下の地面まで崩落していったからだ。

「おい! なんだこれ!」

 ウィルソンが叫ぶ。

「ウィルソン、踏ん張れ! どこでもいい!」

 咄嗟のことで無理を言っているのは分かっていたが、血反吐を吐くほどの訓練の賜物かそれともささやかな幸運か、後脚の車輪のひとつを地上に残ったアスファルトに引っ掛けて体を残すことが出来た。

 しかし、残った3脚は宙ぶらりんで、どこにも踏ん張ることが出来そうにない。さながら、巣に捕まって風に揺れる蜘蛛のような有様だった。街の下にこんなものがあったとは俄かに信じられないほど、広く深い空間だ。

「どうなってやがる……」

 タイラーが呆然とした声を上げた。

「ウィルソン、ブースターを使って上に戻れないか?」

 リッジウェイが備える機動用装備のひとつに、液体酸素/ケロシン系の液体ロケットブースターがある。リッジウェイが対クラムズ戦闘で優位に立てた理由のひとつがこれだった。全開にすれば僅か数秒で尽きるだけの分量しか備えはないが、通常の多脚走行と組み合わせることで高速かつ多彩な機動マヌーバを実現できる。

 しかし、ウィルソンの答えは否だった。

「空を飛べって事ですか? 無茶ですよ……」

 タイラーはそれを聞いて「無茶を何とかするのがお前の仕事だろうがくそおたくナード」と喚き散らしている。だが訊いたサザランドとて、それは無理だろうと感じていた。ロケットブースターはあくまで急激な姿勢制御に極短時間用いるもので、いくら軽量戦車といえど重力に逆らって飛ぶことを想定して作られたものではない。

 そうこうしているうちに、無線が鳴った。

『こちらインディ、聞こえるかエレク! 援護を頼む!』

 下に目を向ければ、地底まで続くと思われた穴の底はさほどでもなく、精々が20メートルほど、横方向にはフットサルが出来そうなくらいの広さがあって、ちょうどコートのど真ん中にインディは落っこちてしまったような格好だった。

 そしてノーマークのボールよろしくそのコートに落っこちて機動もままならないインディに、四方八方からクラムズが襲い掛かっていた。落下した衝撃だろう、脚の1本が明後日の方向に向いていている。地獄の底のような場所で、地獄のような光景が繰り広げられていた。

『動きがとれん! 頼む!』

 ベイカーの声の向こうに、苦痛に悶える人間の声が聞こえている。

 クラムズたちはインディに群がり、出鱈目に発射される機銃に当たる間抜け以外は元気いっぱいにインディの脚に噛み付き、胴体に爪を振り下ろし、それらを今にも食い千切らんとしている。仲間ごと溶かそうとする肚か、また別の大柄な個体が、粘性のある液体を吐きかけている。

『落ち着け! 粘液はセラミック層で止まる!』

喚くベイカーの後ろの声の持ち主は、モレノかクーか。どちらにせよ、インディとその乗務員たちは今まさに死地にいる。そしてそれは、エレクも大差はない。

『援護を頼む! モレノがやられた! 援護を!』

 叫び声。これはクーだろう。恐慌による発作めいた絶叫が、無線越しに割れて聞こえる。いっそ、耳を塞いでしまいたかった。そうできれば、どんなに良かった事か。

『タンク内の圧力が低下! くそ、燃料に引火する!』

 ブースター燃料は、リッジウェイの泣き所だ。堅い外殻と分厚いタンクの中にあるそれは、外気に露出してしまえばたやすく引火し、そして爆発する。

 何を返答する間もなく、エレクの車輪が捉えた僅かな面積のアスファルトが、あえなく崩落し始めた。自由落下速度でエレクの車体が地に落ち行く。それとベイカーが無線の向こうで最後に『援護を』と叫ぶのが、同時だった。

「回避!」

 声を枯らしてサザランドが叫び、ウィルソンが声もなくそれに従う。エレクの車体は落下しながらブースターを横方向に噴射して滑るようにインディから遠ざかり、ほぼ同時に、もの凄まじい轟音と共に爆発が起きた。

 ブースター停止、防御態勢、そう指示を出す暇は無かったが、それでもウィルソンとエレクは電光石火の反応を見せ、ブースター噴射を停止し燃料供給バルブを瞬時に閉じ、姿勢制御など二の次にして砲塔を隠すように4脚をぴたりと胴体に畳んだ。

 轟音と共に激しい爆風と瓦礫が、容赦なくエレクの車体を苛んだ。踏ん張ればその分大きな損傷となっただろうそれを、最小限にして受け流す。

 爆風と振動の影響は地形にも及んだ。危ういバランスで形を保っていた壁と天井は、大きく崩落した。防御態勢のまま踏ん張ることなく爆風に流されたことで、直上からの崩落による致命的な損傷を避けられたのは、ほんの偶然に過ぎない。

 しかし、だからといって事態が好転した訳ではなかった。

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