第4話 ウィリアム・ザ・サイレント

 ほんの数日前に酒場でトラブルを起こした人物が、酔っ払いながら「我こそはバルタザール・ジェラールだ!」と大声で名乗ったらしい。


 なんとも分かりやすい暗殺者だ。どうやら大金を持っていたらしい。酔っ払いながらも、喧嘩相手の分まできちんと支払ったという。


「いや、今どき珍しい羽振りの良い奴だったな」


 酒場の親父が笑っていた。こちらは笑えない。


 その大金は暗殺の前金だ。最初の暗殺者ジョアン・ジョルギュレーも大金を保有していた。スペイン軍から提供された前金に違いない。


「ああ、そういえば、服を買いに行くとか言ってたな。確かにボロい服を着ていたんだよ。だからみんな、あいつに金があるとは思ってなくてな」


 街の仕立て屋は数件だ。酒場を訪ねて回るよりも効率がいい。


 しかも、その仕立て屋はすぐに見つかった。つい最近、バルタザールと名乗る男の服を仕立てたという。


「背は?」


「あまり高くないですな。太っているわけでもなく、痩せているわけでもない。やけに尊大な態度を取るのでよく覚えています」


「他にどんな特徴が?」


「ちょっと訛りがあったかな。ああ、あと、銃を欲しがっていた。護身用の銃だとよ」


 いよいよだ。バルタザール・ジェラール。やはり暗殺者だ。


 変装用の服を購入し、オラニエ公を銃で狙うつもりだ。そのまま銃を撃ってそうな闇市に話を聞きに行くと、案の定、バルタザールの情報が簡単に手に入った。


 どうやら奴は急に活発的に動き始めている。暗殺の実行も近いのかもしれない。


「いや、ほんの、ついさっきですよ。こんな朝早くから、旅支度のまま、短銃を二つも買いたいって言うんでね。で『俺の名前はバルタザールというんだ』と。まだ路地のそこらにいるんじゃないですかね?」


 銃を購入するときにわざわざ名前をいう奴はいない。朝から変な客だと覚えられたらしい。どうやら、相当、自己顕示欲の強い男だ。カトリックの狂信者なんていうのは、そういう気質があるのかもしれない。


 慌てて周辺を捜したが、それらしい男を見かけることはなかった。


 だが旅装ということは、何らかの事情で移動をしているのかもしれない。フュヨンの最初の情報から、既に三週間以上経過している。


 今度は街の宿を洗った。潜伏先を探すためだ。もしかしたら、一つの宿にとどまり続けず、宿を転々としているのかもしれない。


 だが、宿という宿を回ったが、それらしき人物は見当たらなかった。偽名で宿泊している可能性もあったが、酒場や仕立屋で聞いた人相で尋ねても、ぴたりと来る人物がいなかった。


 そうなると、街にいるスペインの協力者を使っている可能性も出てきた。この街の全員がオラニエ公に忠誠を誓っているわけではない。こちらに隠れてスペインの味方をする誰かは、きっと存在する。


 そんな奴らの家を転々としながらチャンスをうかがっているに違いない。今頃、プリンセンホーフ君主の館周辺をうろついて、襲撃方法を探っている可能性もあった。


 一旦、プリンセンホーフに戻るか。そろそろ昼時だ。


 幸いにして、今日は、オラニエ公は陳情者を入れずに、一日中、市長と話をしている。今頃は市長と部屋で昼食を取るはずだ。となると明日の陳情者の中に紛れ込む気だろうか。


 今のうちにオレニア公には警戒していただくために、情報を耳に入れるべきだろう。それに護衛官や門番を集めて、襲撃に備えさせなくてはならない。


「お帰りなさい。アッケルマン隊長。先ほどフュヨンの奴も帰ってきましたよ?」


 プリンセンホーフの門番が笑ってそう告げた。


 あの男は忘れ物でもしたのか。フュヨンはたった半日で戻ってきた。


 しかし彼には礼を言わねばならない。情報は正しかった。バルタザールは実在したのだ。フュヨンのお蔭で、暗殺者の情報を手に入れられたと言わざるえない。


「周辺に変な男はいなかったか?」


「特には。今日は市長と……ああ、あと、ロジャー隊長が来てますね」


 ほう。ロジャー隊長とは、ちょうどいい。ロジャー隊長にも、バルタザールという男について報告しておこう。


 玄関扉が開いていた。そこに階段を登ろうとするオレニア公と、それを階下のロビーで見送るフュヨンとロジャー隊長が見えた。


「おーい! フュヨン! 例の暗殺者だが……」


 私が庭から声をかけたのと、フュヨンがその背中から短銃を二丁取り出したのは、ほぼ同時だった。




  ◇




 バルタザール・ジェラール。


 フュヨンという偽名で半年ほど潜伏し、オラニエ公暗殺に成功する。経歴は全て嘘だった。凶器となった二丁の短銃は、オラニエ公からもらった報酬やフランスへの旅費を使って購入している。


 カトリックに全てを捧げた男だった。


 すぐそばには、市長、そしてロジャー隊長がいたにもかかわらず、二発の弾丸はオラニエ公を貫いた。ロジャー隊長がオレニア公に深々と一礼をした瞬間を狙った銃撃だった。


 その凶弾の弾痕は、現在でもプリンセンホーフの階段脇の壁に見ることができる。


 オラニエ公の最後の言葉は「主よ、憐みたまえ。私と民に、そのご慈悲を」だったという。


 慌てて駆け付けた侍従武官が、階段で血まみれの公を抱きかかえている時に、その最後の言葉を聞いた。


 侍従武官は、何度もオラニエ公の名を呼び続けたが、オラニエ公が以前のように気さくに侍従武官と話すことはなかった。


 ついにオラニエ公は、自分が成立させたネーデルラント共和国の、その君主となることなく、この世を去ってしまった。


 その後、このバルタザールという暗殺者は、駆けつけた門番や護衛官に捕まり、公開処刑となった。


 公衆の面前で長々と殴られ続ける間、ずっと祈りを捧げ、その口元にはうっすらと笑みを浮かべていたそうだ。


 執行人の一人は「お前なんかに偉大な公を殺せるはずはない! お前なんかに何も欲しがらなかった公を殺せるはずがない!」と泣きながら殴り続けたという。その慟哭と、あまりのひどい殴りぶりに、見ているものはどちらにも同情して涙なしに見られなかったという。


 バルタザール・ジェラールの家族には、スペインより約束通りの賞金が支払われ、尚且つ、これが世界で最初の「銃による要人暗殺」の成功例となった。本人は処刑され、その子孫は誰も名を残してはいない。


 オラニエ公ウィレムは、何も欲しがらない男であったが、この死によって「建国の父」として、歴史にその名を残した。


 そして、代々、その血縁者がネーデルラントを統治することとなった。それはオラニエ公が望んだことではないかもしれないが、ネーデルラントの人々が望んだことであった。


 一五八四年七月十日のことである。近代が既に始まっていく。




 ──この数百年後の二〇二二年七月八日。銃による要人暗殺が現代で再び起こる。


 人類は歴史を学ぶが、歴史から学べない。要人を何人暗殺しようが、どれだけ時代が進もうが、歴史の女神は無表情のまま、その時を紡ぐ。



     (了)




★★★ 作者より ★★★


 最後までお読みいただきありがとうございました。


 最初に謝罪します。


 当初キャッチコピーを「世界初の要人暗殺」としていましたが、正しくは、「「記録に残る世界初の国家元首の暗殺」……として、海外では認識されている」ということで、日本人としては、世界初の記録に残る銃による要人暗殺としては日本史の三村家親の暗殺のほうが古く、キャッチを変えさせていただきました!


 四谷軒さん、ありがとうございます! 宇喜多と言われて、あ!ってなりました。


 ちなみに四谷軒さんの「釣瓶落としの後始末 -明善寺合戦始末記- 〜謀将・宇喜多直家の合戦~」はその三村家親の死後、息子元親と直家の合戦を描いた傑作です。僕、それを読んでいながら、何故、オレニア公が世界最古の銃による暗殺と信じて疑わなかったのか……。ごめんなさい;


 4話タイトルの「ウィリアム・ザ・サイレント」とは、沈黙公ウィリアム、つまりオラニエ公のことです。英語表記です。


 彼の死に至るまでを、オラニエ公の侍従武官の目を通した、サスペンス風味にお届けしましたが、いかがでしたでしょうか?


 お楽しみいただけたなら幸いです。


 こんなサスペンス風味でご紹介しましたが、今回のこれも、実はほぼ史実でして……。本当にフュヨンという偽名でオラニエ公のそばにいた本名バルタザールというフランス人の狂信的カトリック信者に、至近距離から短銃で二発撃たれて死亡しました。


 オラニエ公の構想では、ユトレヒト同盟によって成立したネーデルラントは、プロテスタントの国というよりも、全ての宗教に寛容で、話し合いで解決に導く国を想定していた様子です。実に近代国家的でしたね。フランス王弟を初代君主に考えていたので、厳密には民主主義の国を目指したわけではなさそうですが。


さてさて、

『古文書屋文玲堂日記 ~その侍は欧州最弱の城で、いかにして世界最強の陸軍を迎え撃つのか~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330649344730701


 という、オランダ独立戦争のハールレム包囲戦について書き上げたとき、オラニエ公の最期も今年中に書かないとなぁと思っていました。こちらには名前しか出ませんでしたが。


 というのも、ちょうど、今年の夏に、安倍さんが銃で撃たれたとき、これを思い出したからです。


 再び、起こったか……と。


 もともとはこの最後の日を、『オラニエ公の視点』で語るか、『暗殺者の視点』で語るかを迷っていたのですが、伝記「オラニエ公ウィレム」(C.V.ウェッジウッド)の暗殺シーンに、一行だけ出てくる名もない「侍従武官」が、倒れたオレニア公を抱きかかえる話があったので、彼を主人公にしてみました。


 護衛である侍従武官の責任を果たせなかった喪失感を、読者の皆様と一緒に味わいたかったのですが、うまくいったでしょうか?


 ちなみに、ロジャー隊長も実在人物です。この話では何もしてないですけど……。


 もしも、この先、オランダ史に興味を持ってくださる方がいたら、ロジャー隊長にももう少し出番を与えてください!


 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


 またどこかでお会いしましょう!

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オラニエ公の最期 ~近世を夢見た公爵、凶弾に散る~ 玄納守 @kuronosu13

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