サンタクロースが倒れていると思ったら吸血鬼らしい

いぷしろん

サンタクロースが倒れていると思ったら吸血鬼らしい


 十二月の二十四日。いわゆるクリスマスイブの日。その夜、雰囲気に当てられた俺は、恋人どころか一緒に行くような友人もいないのになぜか靴を履いて街へと繰り出していた。


 最寄りの大きめの駅に出れば、家のある住宅街の静けさとは打って変わってイルミネーションとたくさんの人で目がちかちかとする。俺と同じ大学生らしきカップルの姿もあちらこちらにあり、憂鬱な気分になった。財布にも心もとない量のお金しか入ってないし、こんなんじゃ何をしに外に出たのか本当にわからないなと思いながら、落ち着ける場所を探す。

 すると目に留まったのは、皮肉なことに、本来のクリスマスを行うところ――教会であった。


 十字架が建物の頂上に掲げられたカトリックの教会に近づけば、中から声が響いてきた。それに吸い込まれるように近づいていって――、


グシャ


 何かを踏んづけた。

 はっと我に返り下を見れば、何か赤いものを誰かの足が踏みつけている。……というか俺の足だ。

 急いで足をどけると、それはうつぶせに倒れている人のようだった。うぅとうめき声をあげている。放っておくわけにもいかないので、路肩に寄せて壁に寄りかからせる。


 そうして改めて見ると、確かに人で、しかも女の子だった。俺より年下、高校生ぐらいだろうか。頭には赤い三角帽子で後ろから長い黒髪が背中に流れていて、膝上までの赤と白のもこもこのワンピースを着ている。足は寒くないのか?


 ……つまり、現状を確認すると、俺はうつぶせに倒れている、サンタクロースのコスプレをした人の背中を思いっきり踏んでしまった、ということのようだ。

 どういう状況だよ……。



「あの~、救急車呼ぼうか?」



 とりあえず、と声をかける。

 正直に言えば救急車が必要だとは思わなかったけど、だからといって放置して離れるほど俺の心は荒んでいない。救急車で済めばそれでいいやと思って訊いたのだ。


 ところが、サンタの彼女は俺の腕をつかむという思いもよらない行動に出た。



「ダメです。救急車だけはやめてください……!」


「は、はぁ……」



 弱弱しいささやくぐらいの声でそう言われて思わずドキドキしながらも、何をそんなに過剰反応することがあるのだろうかと疑問に思う。



「あの、じゃあどうすれば……」


「教会から離していただけると助かります」



 教会から? と訊き返したい気持ちはあったけど、その声音が真剣だったのでおとなしくその言葉に従うことにした。

 サンタの腕を俺の肩に回して直立させる。なんとか歩くことはできると言うから、そのまま歩き始める。さすがに|おんぶ(・・・)とかをしようものなら色々とまずいことになるのは間違いないので良かった。

 とはいえ、この体勢でも俺の顔の横にサンタの顔がくるわけで。俺は思わず見惚みとれてしまっていた。ヨーロッパのほうの親戚がいるのだろうか。肌は透き通るように白く、髪も近くで見れば黒というよりは茶――栗毛により近いと感じる。顔立ちは幼いようで、しかしどこか年上のような雰囲気もする。高校生だと思ったが、もしかしたら俺よりも年上なのかもしれない。



「……あまり見つめられると恥ずかしいんですが」



 横目で見ていただけのはずなのにしっかりと気づかれていたらしい。

 本当に教会から離れることにより気分が良くなってきたのか、幾分か赤みが増した顔で苦言を呈された。いや、赤いのは言葉通り恥ずかしかったからかもしれないが。



「あー、すまん。それで、駅でいいか?」


「いえ、人が多いところはちょっと……」


「ならサ……じゃなくて君の家は?」


「電車で二駅です」



 申し訳なさそうに答えるサンタ。

 それならどうしようかと考える俺の頭からは、このサンタに適当に言い訳をつけて投げ出すという選択肢は消えていた。それはこのクリスマスの日に出会った非日常に高揚していたからかもしれないし、ただ単にかわいい女の子の長くいたいというくだらない思考の結果なのかもしれない。

 ともかく、俺は未だ完全回復には至っていないであろう彼女を放っておきたくはなかったのだ。



「……もう大丈夫です。そこら辺の公園のベンチにでも置いてもらえれば後はひとりで帰れると思います」



 黙りこくってしまった俺を見てか、そう告げる。

 俺は、はいともいいえともつかない返事をして歩き始めた。


 ここから一番近い公園はこの近くの住宅街の中。つまり、俺の家の近くだ。

 ここである考えが浮かぶが、果たしてそれを実行していいものなのか。そもそも受け入れてくれるのか。かなりの葛藤があった。


 隣を見る。サンタの彼女の顔色は相変わらず悪い。

 というか目の焦点が合ってないような……?


 なんて思った直後だった。

 ふらりとサンタの体が揺れたと思うと、俺の肩に力がかかった。



「うぐぉっ」



 予想外の重さに少し声が漏れる。

 そして、そのぐったりとした姿を見て俺は心を決めた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 意識が戻ったとき、知らない天井があった。

 どうやら、私は意識を失ったあと誰かの家に連れ込まれたらしい。……まぁ、一緒にいたあの男の人の家しかないわけなんだけど。

 力を込めて体を起こすと、上にかけられていた毛布が床に落ちた。私はソファーに寝かされていたようだ。ふと見れば前の机には赤い三角帽子。私のサンタ帽子だ。それ以外の衣装は私が着たまま。今になって恥ずかしくなってきた。


 さて、何はともあれこの家の主は、と彼を探す。

 すると壁に隠れて見えないけど、奥の方――たぶん台所の方向から音が聞こえてきた。もしかしたら何か食べられるものを作ってくれているのかもしれない。そうだとしたら悪いなと思う。残念ながら普通のものを食べても私の体調は好転しないのだ。


 そうして重たい体が何も命令しないのをいいことにぼーっとしていると、すぐに食器を運ぶ音とスリッパの音が近づいてきた。寝ている人を起こさないようにという配慮が感じられる歩き方だけど、私にはしっかりと聞き取れる。



「あ、起きたか」



 私はさも今気づいたみたいに振り向いた。



「ええ、色々とありがとうございます」


「……一応言っておくけど、何もしてないよ?」


「大丈夫です。わかってます」



 私だってある程度の人を見抜く目はあると思ってる。肩を預けた時点で多少の信用はしていたのだ。



「そりゃよかった。……で、食べられそうなもの作ったんだけどどう? 無理はしなくて全然いいよ」


「じゃあ、もらわせていただきます」



 断ろうかとも思ったけど、せっかく作ってくれたものだし、お腹は膨れるのでありがたく頂戴することにする。


 作ってくれたのはおかゆなのかリゾットなのか。美味しいものではあったのでちびちびと食べる。彼は前に座って話しかけてきた。



「それで、どうしてあんなところに? というか体調はもう平気なの?」


「……名前を伺っても?」


「やなぎ あき。植物のやなぎに明るく輝くで明輝あきだ。サンタさんは?」 



 サンタって……確かに恰好はそうだけどさ。



「私は天羽あもう 結衣ゆい。……明輝さん。恋人とか、それと同じぐらい仲がいい人っていますか?」


「はい?」


「大事なことなんです。お願いします」


「……いたらイブの日にひとりで出歩いたりしないけど」



 なら、いいかな……?



「実はまだ体調はそんなに良くなってなくて。ひとつだけどうしても明輝さんに頼みたいことがあるんです」


「うん」



 躊躇ためらう。

 むやみに言えるようなことではないし、何より恐れがあった。

 でも、命には代えられない。意を決した。



「…………血が、ほしいんです」



 つかの間の静寂。とても居心地が悪い。

 つまるところ、私は吸血鬼で血が足りなかったということに今回の全ての出来事は起因するんだけど、彼――明輝さんがこのひとことだけでそれを察せられるはずもなく。



「うん?」



 とこのような返事が返ってくる。


 もう限界だ。これ以上は本当に死にかねない。

 そう判断した私は席を立った。机を回り込んで明輝さんの横にいく。



「え~っと、あの、どういうこと……」


「ごめん。信じてください」



 我ながらひどいセリフだと思う。今日会ったばかりの人の何を信じろというのか。

 硬直する明輝さんを視界に捉えた私は――。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 チクリ、と首筋に鋭い痛みが走った。反射的に突き飛ばしそうになるのをぐっと堪える。サンタ――結衣さんに“信じて”と言われたのを思い出したからだ。

 ……いや、嘘だ。どちらかといえば、俺に抱きついている結衣さんを離したくないという思いの方が強かった。


 ――自分の血が抜き取られる感覚がする。

 結衣さんは血をくださいと言ったけど、それは本当に文字通りの意味だったようだ。これは、世間一般で言われる吸血鬼というものだろうか。人の血を好むという特殊性癖もあるらしいが、明らかに結衣さんの歯が伸びている。普通の人でないことは確かだ。


 どのくらいの時間そうしていたのか。数分だったと思うけど、かなりの量の血を飲まれた気がする。

 結衣さんの頬は完全に赤みを取り戻していて、むしろ紅潮していると感じるほど。その目は紅色に染まり、俺を通り越したどこか遠くを見ているように呆けている。

 本当に大丈夫なのか?



「結衣さん?」


「………………」



 頬に指をつんとするとぴくりと反応があった。



「結衣さーん?」


「ぅん……うん」



 目が合う。

 途端、がばっと結衣さんが頭を下げた。



「ごめんなさい!」


「あ、いや、大丈夫だから顔上げて……それよりどういうことか訊いてもいいか?」


「はい。察してるかもしれないですけど、私は吸血鬼なんです」


「吸血鬼って……あの?」


「どれかはわかりませんが……にんにくに弱いとか銀に弱いとか言われてるあれです。あの、誰にも言わないでください。お願いします」



 不安そうな目で見上げてくる。断れるわけがない。



「言っても誰も信じないだろうからね。別に構わないよ」 


「ありがとうございます。……それでなんで倒れてたのかってことなんですけど。……お金がなかったからなんです」


「はい?」


「吸血鬼というからには定期的に血を摂らないと死んでしまうんですが、実は私、昨日まで半月ほど血が摂れてなくてですね。普段は生ものとかでなんとかしているところを、お金がなくてそれもできなかったんです」



 つまり結衣さんは吸血鬼なのに人の血を摂ることもできてなかったのか。

 というかお金がないって……ダメ人間なのかな?



「それで人の多いクリスマスの時期にですね、まぁ、端的に言えば人を襲おうかと思っていました。サンタの衣装は、赤いので多少の血は誤魔化せると思ったからです」



 物騒だな。



「……もしかして返り討ちに?」


「いえ、それよりひどいですよ。あのとき教会が近くにありましたよね。あれのせいです。私もすっかり失念していたんですけど、こういう信仰心が強くなる日には、私たちはキリスト教関連のものに近づかない方がいいんです。ましてや教会なんて一発アウトですよ。気づいたときには倒れていて完全に死んだと思いました」


「そこで俺が現れたと」


「そうです。ですから本当に明輝さんには感謝していますよ」



 そうですか、と返事をして会話が途切れた。

 決して気まずくはない沈黙が流れる。結衣さんの瞳を見つめ、視線が絡み合う。


 あれ、これなんかそういう雰囲気なのでは? と思った瞬間だった。


 瞳がひときわあかく輝いたかと思うと――体が動かなくなった。声を出そうとして、それもできないことに気がつく。



「ごめんなさい、明輝さん。恩人にこんなことはしたくないのですが、私たちはむやみに人と関わるべきじゃないんです。身体能力も、生態も、寿命も、吸血鬼は|ヒト(・・)とは違う。私も気が変わる……変わってしまう前に出ていきます」



 だからこれはお礼です、と結衣さんは言った。


 そのときには結衣さんの顔がすぐ近くにあって。

 触れたか触れないか、あるいは感覚まで奪われていたのかもしれない。


 後ろに振り返り、玄関の方へ消えていく。首を動かすこともできない俺は部屋から出るところを見ることすらできない。

 ――そして、玄関の扉が閉まる音がした。



 それから十分ほど経ったころだろうか。数時間にも感じられた拘束が解けたのは。


 俺は机の上に置いていかれた赤色の三角帽子を手に取り、靴を履いて、街へと繰り出していた。


 再びサンタに会うために。


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