クリスマス前夜

香久山 ゆみ

クリスマス前夜

 一説によれば人間のDNA上の寿命は38歳だという。

 昨日、誕生日だった。もちろん、誰からもおめでとうなど言われることもなく。唯一着信したメールは、年末に出勤できるかという確認だった。

 クリスマスイブイブ生まれ、物心ついた時からずっと祝日だった俺の誕生日は、四年前に元号が変わるとともに平日になった。子供の頃は、祝日だしクリスマス前だし冬休みに入るし、友人から忘れられがちな誕生日だった。長じて平日になったからといって、大人になってからの友人なんていないし、そもそも誕生日を教え合う機会もない。それでも家族だけは祝ってくれ、一人暮らしを始めてからも毎年当日に母親から電話が掛かってきた。面倒だと思っていたが、無いなら無いで寂しいものだ。新型感染症の流行以来、自粛自粛でずっと弟夫婦のところに生まれた孫に会えていなかったのが、三年越しで会えるらしいので、俺のことなど忘れるのは致し方ないことだろう。祝われるような齢でもなし、今後はこんな調子となろう。恋人でもいればまた違うのだろうが、久しくいない。まあ、背も低いし顔も良くないし何の取り柄もないし、いい齢して非正規で働くおっさんを好きになる物好きもおらんだろう。

 就職氷河期に、大手の子会社に派遣入社して半年間の試用期間を経て正社員に登用されたものの、数年ぶりの新入社員はいいように使われ、いびられ、サービス残業。じきにノー残業の取組みが進められるも名ばかりで、結局は残業代を付けられない持帰り仕事が増えただけで、数年で体を壊して休職して、いったん復帰したものの、結局続かなかった。

 その後転職活動したものの、実績も無い三十男に正社員の職は見つからず。折しも両親が体調を崩し、病院の送迎や家のこと、各種申請等、忙しい弟に代わって一手に引受けた。やっと見つけた契約社員の仕事も、病院の付き添いや、祖父の介護で、突発の休みを重ねた結果、契約は打ち切られてしまった。一応断っておくと、与えられた業務はもちろん、正社員の仕事も結構肩代わりしていたが、何の甲斐もなかった。

 今の仕事もまた契約社員だが、前職よりは融通が利くし、両親も回復し、祖父も施設に入り、なんとなく落ち着いている。勤務時間は長いし不規則だけれど。

 誕生日当日も長時間勤務で、へとへとになって帰宅した。例年なら、帰りにコンビニでケーキの一つでも買って帰るのだが、昨日はその気力もなかった。缶ビールを一本空けて、横になってそのまま眠った。起きたらもう日付が変わっていた。まあ、独身男の誕生日などこんなものだろうと、カップ麺に湯を注ぎ、深夜放送の映画を観ていた。翌日は土曜で休みで、ぼーっとスマホ画面をスクロールしていたら、昼前に電話が掛かってきた。「誕生日おめでとうね」、母親だった。「誕生日は昨日だよ。今年はついに誰からも祝われなかったわ。まじで生まれてきて」、生まれてきてすみませんだと言い掛けて流石に母に対してそれはないだろうと咄嗟に言い換えたのが「生まれてきたのに可哀想な俺」という訳の分からん台詞だった。うしろで甥っ子の声がして、電話は恙無く切られた。

 画面の消えたスマホを見つめたまま、ふーと長い息を吐く。が、鎮まらない。まだ動揺している。ぽたぽたと真っ黒なスマホ画面に滴が落ちる。

「生まれてきたのに可哀想な俺」

 冗談のつもりで軽口に言ったつもりだった。しかし、そこからぽろぽろと涙が零れて止まらない。まじか。

 どうやら俺はかなしかったらしい。一年の内で唯一主役になれるはずの日に、誰からも祝われず自分で祝ってやることもしなかった。小学生かと、我ながらつっこみたいところだが。前職でメンタル不調で休職した先輩が言っていた。それまで我慢して蓄積していたものが、些細なきっかけで崩れるのだと。その先輩は、立ち食い蕎麦で揚げが入っていなくて店員に指摘したら「入れたはずだ」と強めの語気で返されたのがきっかけで、すべてのことが不安になってしまったと言っていた。その時はふうんと聞き流していたが、なるほど。

 異変は涙だけではなかった。それまで死にたいなんて思ったことはなかった。自分は生きるという意思が強い方だと思っていた。だが、それがするんと落ちてしまった。

 DNAを解析すると、人間の本来の自然寿命は38歳だという。だから、それを超えると色んな悩みも吹っ切れて自由になれるのだと思っていた。が、そうではなかった。本来の寿命である38年間無理して頑張ってきた、だからもういいだろう。そんな感覚に捉われる。

 もともとコミュニケーション能力は低い。容姿がどこかしら人を不快にさせるのか、はたまた前世で悪徳を積んだのか、奔放ながら人から好かれる弟と違って、俺は昔から好かれないし蔑ろにされるタイプだ。それだから必然的に内向的な性格なのだが、普段は笑顔を貼り付けて、社会人になってからはいっそう愛想良く振舞って仕事に支障ないよう努めている。会社でも友人の前でも家でも仮面を被っている。

 けれど、この世で報われることなど何もない。良い人間でいようとする努力など何にもならない。報われるのはいつも声の大きな人間だ。

 そう思うと、途端に全部投げ出したくなった。

 積極的に死にたいわけではなくて、もう無理してまで生きなくてもいいかなという感じ。欲しいものもやりたいことももう何もない。

 梅子に会いたいなあ、とふと思う。

 三年前に死んだ愛猫。野良猫だったのを拾って十年ともに過ごした。「猫ちゃん見に行ってもいいですかぁ」なんて出会いがあるかもしれない、という下心が飼い始めたきっかけだが、結局そんなイベントは発生しなかったし、なんなら職場の人間は俺が猫を飼っているということさえ知らなかっただろう。けれど、梅子のおかげで毎日頑張れた。しんどくても、梅子に美味いメシ食わせてやるんだと働いて、退職した時も早く次の仕事を探すのだというモチベーションになった。帰ると足元にまとわりつき、膝の上でごろごろ喉を鳴らし、冬は一緒に布団で眠った。

 俺は幸せだった。けど、梅子はどうだろう。獣医いわく、享年12歳。最近の飼い猫の寿命はもっと長生きだ。二十年生きる猫もいる。俺じゃなければ、梅子はもっと長生きできたのではないか。不規則な勤務で、留守番させることも多かった。寂しい思いをさせたのではないか。死んでから夢にも出てこないのは、やはり俺のことを好きではなかったからではないか。そんな思いと、そんなことを考えてしまって申し訳ないという思いと。せめて彼女の生きた証でも残そうと、撮り溜めた写真に簡単な言葉を添えてネットにアップした。SEのくせに三年越しでようやくだ。バズりはしなかったが、いくらかの人は目に留めてくれた。インターネット空間にある限り、今後も誰かの目に留まり、梅子は半永久的に存在するだろう。

 それが俺の唯一のやっておきたかったことだから。他にはもう何もない。正社員になることも金持ちになることも偉くなって有名になることも結婚して子供を持つこともマイホームを持つことも、もう全部諦めてしまっているから。だからあとはもうどうでもいいし、なんでもいい。なるようになればいい。

 ああ面倒くさい。考えるほどに落ちていく。何も考えないように、スマホを開く。が、じきにスマホ画面をスクロールしてSNSの同じような書き込みを眺めるのも飽きた。テレビを点ける。浮かれた特番を見る気にもならず、画面を切替える。一人きりのクリスマス・イブ。徹夜でゲームでもすんべ。

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