第50話 シキセマ
偽神が消えたとしても、『死期』が消えるわけではなかった。
偽神が三年前に『死期』を生み出し始めたわけではなく、三年前に何かがありその拍子に『死期』が見える人々が現れたことになる。
偽神が改変したのは、時間の方であり『死期』は、共謀していた。
勿論、偽神が意図的に『死期』を生み出していたこともあり、偽神が消えたことで『死期』の出現確立も大幅に減った。
今後は、偽神から生まれた『死期』ではなく寿命の化身たる『死期』がシキセマたちの目に映る事だろう。
人の寿命を刻む『死期』を見える者たちは、純粋な『死期』を回避していくが、それによって決して死なないというわけではない。長生きが出来るだけ、疑似的な永遠の中で生きていくだけ、老いを重ねて身体が動か無くなれば『死期』を取り込み死んでしまうだろう。
同時に人との関係も崩れていく。感情を当てられる事も少なくはない。他者が自分に抱く感情、言葉、仕草で『死期』は多種多様な動きを見せる。
直接襲ってくる『死期』もいれば、誰かに憑依する『死期』もいる。
そして、攻撃はしてこないが侵食して病ませる『死期』と調査してもしきれない程の『死期』がこの世には蔓延っている。
「決めたのか?」
白い病室で傍らにいつか見た顔色よりも優れた莉が寝ている。数分前まで目を覚ましていたが、処方された薬で眠気が襲い眠ってしまった。
扉の近くで淳平が腕を組んで立っていた。簡易椅子に座って、莉を見守る衛に尋ねる。
「ああ、きっかけは些細なことだったかもしれない。だから、その些細なきっかけを無駄にはしたくない」
何かを決意したように衛は顔を上げる。
「お前にも色々と世話になったな」
「俺が好きでやったことだ。嫌ならもとから関わってない」
照れ隠しでもなく本当にそう思っているようで、相変わらずだと衛は苦笑する。
誰かを助けるなんて壮大なことはできない。
いち学生だった衛が出来ることなんて何もないが、ゼロではない。
衛の掌には、小さな記録媒体が握られていた。それは学園が崩壊する間際まで中庭の花壇を延々と整備していたアンドロイドのものだ。いつまでも花を枯らせないように活動していたアンドロイド。それは、筅が一人でエリュシオンの研究を止めさせようと奮闘したデータが入っていた。
衛はこれから、このデータを元に海の底に沈んでしまったデータを解析する仕事をすることになった。
さとるの提案で、さとるが正式に身を置いている研究所がデータ分析が得意な研究者がおり、協力してくれるという話だ。『死期』についてもっと知れるチャンスで、今後、筅のような偽神の犠牲者を増やさないようにするために衛は勉強をする事にした。
今更遅いかもしれない。平均レベルの知能指数しかない衛では役に立たないことも多いだろう。役に立たないと言われても、幼馴染を、初めて恋した人を忘れない為に衛は、追い出されても研究を続けたいと思った。
莉のように見えていないのに、脅威を受けてしまう人々を助けたい。
「淳平は?」
「親父のところに戻る。世話するやつが増えたからな」
「あー、なるほど」
淳平は、啓介と淳平の家に帰るらしい。天理学園が無くなってしまえば、今まで送られてきた金銭は突如として途絶える。つまり、啓介も学園に戻ることなく死ぬことも出来ないまま実家に帰る事になるが、研究所に頼み。数年前から虐待をしていたことを警察に伝えてもらい、啓介の親は逮捕された。
高校生と言うこともあり、独り立ちが出来てしまうため、施設で暮らすことも出来ない。ならば、淳平の家で暫くの間、住むことになる。どうやら淳平の父親は高校教師をしているらしく、足りない学問を補ってくれる話になっているらしい。
二人とも、自由奔放な性格ゆえに邪魔にならないだろうと言うことだ。
何より啓介はいまだに莉を好いているようで、「せんぱーい。莉ちゃんとの交際認めてくださいよぉ~」と言いに来るが、暫くは認めるつもりはない。
衛は、親戚から激怒された。莉を病院から連れ出して、学園に連れて行った。そして、こうしてエリュシオンが水没した件でさらに咎められた。
しかし、同時に『死期』から莉を護っていたことを知り、衛が無事に生きて戻ってこられたことにひどく安堵していた。「また、いなくなってしまうのかと心配したわ」と伯母は泣いていた。伯父は険しい表情をしていたが、「馬鹿者」とだけ言って引き返していった。もっと殴られるとかすると思ったが、そんな事は一度としてなかった。
美夜は弟の墓参りに行くらしい。生きている限り、自分が弟を殺してしまったことは覆そうのない事実。だからこそ、その罪を背負いながら生きていこうと決意したらしい。
『シキセマ』と呼ばれた衛たちは、一般社会に放り出すことはできない。『死期』が見えている以上、彼らは保護対象である。
同じように『死期』が見える人々と合流させて、今後の事を考えていく。
『死期』を人知れず撃退する組織もあるようで、まるで秘密結社だと現実的ではない現象に何度も驚かされた。
「莉がちゃんと一人で生きていけるようになるまで……死ねないんだよ。淳平、あの時俺に「諦めるな」って言ってくれて、ありがとうな」
「……ん」
二人が話をしているとクスクスと笑い声が聞こえる。
笑い声の方を見ると莉が笑っていた。
「莉、起きてたのか?」
「ちょっと前に……お兄ちゃんと淳平さんが話してるの……すこし嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。お兄ちゃんがお友だちと話してるの、新鮮で楽しいの」
「……勘弁してくれ」
気恥ずかしいと衛は顔を背けた。
この騒動がなければ、衛は友達なんて出来なかったと嬉しいやら悲しいやらだ。
「淳平さん、お兄ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
「……ん」
「寝てろよ」
「目が覚めちゃったん」
「なら、もう一回寝ろ」
「やーだっ!」
「お前、いつからそんな我儘になったんだよ」
「淳平さんが言いたいことは言っておいた方がいいって」
「……淳平」
衛が淳平を見ると表情を変えずに組んでいた腕をそのままに手を出してブイッとピースサインをする。
「はあ……ありがとな」
淳平はうなずいた後、「飯、腹減った」と呟いた。研究所の食事は味が薄いのだと言って、余り食べていなかったという。衛がいままで作っていた所為で舌が肥えてしまったのだと衛に責任転嫁する。
「莉も! お兄ちゃんのごはん食べたいな!」
「はいはい。厨房、使わせてくれるか訊いてくるよ」
勝手知ったるではないが、研究所内ならば自由が許されている。
淳平のように至る所を歩き回っていない衛でも、厨房くらいは許されるだろうと廊下に出る。
莉の部屋から出て厨房があるフロアを目指していると聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「シキセマたちは、僕たちがやります。僕の評価が高ければ、将来良い所に就職できますからね!」
「先輩?」
角で職員と話をしている。さとるを見つけた。
衛が声をかけると「城野さん!」と職員と少し言葉を交わした後、近づいてくる。
「また仕事を引き受けていたんですか?」
「はい。僕個人の評価を買ってくれる人たちを見つけないと、兄と同じようにダメになっちゃいそうですからね」
「聡先輩は?」
「恋人のところですよ」
「あの怪我で!?」
エリュシオンが水没して半月と経過していない。一番重傷と思われる聡が元気に恋人のもとに行くなんてどんな身体能力をしているのか衛は驚愕すると「大丈夫ですよ」とさとるは自信満々に言う。
「僕が元気なんですから、兄も元気ですよ」
「双子の直感ってやつですか?」
「んー……まあそうです!」
まだ何かありそうだが訊いても曖昧にはぐらかされてしまうだろうと衛は気にしないで、さとるがしていた事を尋ねる。
「評価って研究所はそう言うの厳しいんですか? 今度行く予定の研究所とかもそう言うのあるなら、今の内に勉強しておきたいんですが……」
「それに関しては問題ないですよ。それに僕が気にしているだけで、基準はありません。低いよりも高い方が良いでしょう?」
勤勉なさとるは、大学にすら行く気がない聡と違って、優秀大学に行く予定らしい。だからこそ、推薦入学を狙って勉強を続けているらしい。
さとるに紹介される予定の『死期』の研究で向かう研究所で、そう言った水準があるのなら、衛は勉強をして話についていくしかないのだが、その心配は皆無だとさとるは言う。
どうやら、衛が行く研究所は、どの研究所よりも水準が地底レベルで低く。希望者がいれば、研究者としてインターンを受け付けているという。もちろん、守秘義務などを遵守する者に限られてくるが、それでも目的ある者に道を示さない愚かな組織ではない。
さとるはこれ見よがしに「聡でも身を置けるんですから大丈夫ですよ」と低レベルの基準を自身の半身にしているようで、仲が良いのか悪いのか、いまいちわからない。
「ところで、城野さんはどちらに?」
「妹と淳平が腹減ったから……厨房を借りても大丈夫ですかね?」
本来の目的を口にするとさとるは合点がいったようで「なるほど!」と笑った。
「それなら、幾らでも使ってください。食材も好きなだけ使っちゃってください。物資搬入は簡単にできますからね」
さとるが案内すると言って共に厨房に行く。料理が好きな職員や研究者がちらほらといる。
調理台を前にして、なにを作ろうかと考える。時間帯を考える。
学生が自炊できる程度の腕前だが、淳平が気に入ってくれている以上、断ることはできなかった。
調理を始めて、数分、さとると話をしている間に、不意に衛は思う。
「……筅の遺体はどこに?」
「遺族が二楷堂透しかいなかったので、僕たちが所属している組織の研究所地下に……普通の人のように埋葬してあげることはできなくて残念です」
衛が行く予定の研究所。その地下に、筅の遺体は保管される。
どうやら浜波研究所は、命が尽きた存在を研究していないようで、そう言った研究をしているのは、数少ないのだという。奇跡的に周東兄弟は、多くの分野に精通している研究所の所属だったことに衛は安堵する。知人のいない研究所に筅の遺体が保管されるのは、いい気はしない。
さとるも少しだけ表情を暗くする。死んでしまえば、何もしてあげられない。出来るだけ彼女の尊厳を守るつもりではあるが、重役ではないさとるでは限度がある。
研究資料と化してしまった偽神の死体。決して乱暴にするつもりも、無駄にすることもない。消耗品として扱うことは決してしない。
そうなる運命だったと言えば、冷めていると言われるだろう。好きな女性が研究所なんてところに入れられて、挙句に地下奥深くにいる。
「助けられずに……ごめんなさい」
「先輩が謝る事じゃないです。仕方ないことだった」
筅が最後に言った言葉だ。そうなる運命と受け入れていた。
「いつか! 僕が小鳥遊筅さんに会わせてみせます!」
「え……?」
「会えないのは、悲しいですからね。ガラス越しなら顔を見る事が出来るかと思います」
たとえそれが死者への侮辱に値しても、衛はそこに筅を見ることが出来る。
衛が研究者となり『死期』の研究をする。
成果を出すことが出来れば、筅をいつか、安心して眠れるようにできる。
将来の夢なんて無かった。莉が幸せに生きられるならそれでいいと思った。
『死期』が迫る日常の中で衛は大切なものを多く見つけた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「……うまい」
「僕までありがとうございます」
「いっぱい食ってくれよ」
一分一秒と無駄にできない。人の命は有限。
『死期』が見えてしまった以上、他人事ではいられない。
衛はもう『死期』に苦しめられる人が現れない為に夢を掲げた。
—Ambivalence:完—
とある研究所にて。
小鳥遊筅。二楷堂卯月が収容された部屋。
筅の遺体が入れられた箱を、衛は『白い棺桶』と呼称していた。
監視カメラが二十四時間稼働している中、カチコチと音を立てる時計がピタリと停止する。
『白い棺桶』の前に一人の男がいた。面倒くさそうな顔をして、ポケットに手を突っ込み、髪をガシガシと掻いて顔を上げる。
使徒。
「神様になりたかったんか? それとも愛されたかったんか?」
コンコンッとガラスをノックする。反応はない。
「まっ生きてないんや。どっちも意味ないやんけ……はあ、またやり直しか。ええねんけど……もう少し感情を殺せなかったんか? 簡単に諦めてアカンやん。鷹が現れたら迎え撃たな。撃墜して永遠に近寄らないようにせな。楽園を見事なまでに水没させてまうし。ほんま、不器用ちゃん」
――ここじゃない。俺が求めているモノはここにはない。
手に入れられると思ったから偽神に協力したというのに、筅は使徒を利用しただけだった。ただの足止めで、それすら役立たせることはなかった。悪く言えば無能だ。
使徒は、うんざりした顔をした後、にこりと満面の笑みを浮かべて片手を上げた。
「ほな! お疲れさん~」
その言葉を残して、使徒は消えた。
時間は動き出し、カメラは再起する。
Ambivalence ~死期が迫って来る~ 赤い鴉 @psycho248
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます