最終話 図書室
「荒草くん」
放課後、図書室の窓際の席で。後ろから声をかけられた。立花さんだった。
「今日も、ミステリーじゃないのね?」
「うん……」
彼女はクスリと笑った。僕の前には、真っ白なノートが広がっていた。立花さんがそれを覗き込み、僕の横に座った。
「はいこれ、サイダー。飲食禁止だから、こっそりね?」
「あ……ありがと」
僕は立花さんから飲み物を受け取り、少し顔を赤らめた。
「おりょうさんの新しい噂を作ってるの?」
「そのつもりだったんだけど……」
僕は頷いて頭を掻いた。
あれ以来、僕なりに前の
理由は単純。
やっぱりこの世は、何かと忙しいからだ。
宿題に塾、増え続ける課外授業、未消化のアニメにゲーム……とにかくやることが一杯なのだ。伊井田は相変わらずゲームばっかりしているし。犬飼も犬飼で、朝練やら遠征やら、また部活動に戻って汗を流し始めた。立花さんが窓の外を見た。空は晴れ渡っていて、雲はぐんぐん風に流されている。
「不思議……。噂って、時間が経つと何だか夢でも見てたみたいね……」
立花さんが少し懐かしむように言った。僕も同じ気分だった。たった数週間前の出来事なのに、あれは、何処か遠い昔のことのように感じてしまう。
あの日から……何処かで誰かが幽霊を見た、という話は聞いたことがない。
実は僕も、あれからだんだんと幽霊を見る機会が少なくなって行った。
海浜公園のトイレで。
音楽室で、『ミルフィーユ店』の前で。
気がつくと、彼らの影は薄くなっていった。いる時はいるのだが、いない時はいない。幽霊とはそんなものだと言われれば、まぁそうなんだけど。
他の面々も同じだという。するとあの霊感とやらは、『百鬼夜行』の噂が引き起こした一時的なものだったのかもしれない。その噂が流れ去って行くに連れ、僕らの霊感も次第に弱まっていったのだろう。なんだかホッとしたような、少し寂しいような。いるといるで騒々しいのだが、いないといないで、このただっ広い田舎町では、空間がぽっかりと空いてしまったような気持ちになる。
新しい噂も、今のところ出来そうにもない。みんな、幽霊よりも刺激的で魅力的なものに夢中になって、七不思議は忘れられようとしている。仕方ないのかもしれない。みんな忙しいのだ。
それに……もうすぐクリスマスだ。
僕は立花さんをチラリと覗き見た。そりゃ僕だって色々忙しくて、まだ、彼女を誘えないでいた。そもそも立花さんは、何の話があってここに来たのだろう?
「…………」
「…………」
不自然な沈黙が僕らの間に流れる。これってもしかして、最大のチャンスなんじゃないか?
そう思うと胸が高鳴り、手のひらに妙な汗が滲んできた。どうやって切り出そう。静かな図書室の中で、時計の音が妙に煩かった。何も会話が無いまま、時間だけが刻一刻と過ぎて行く。カラカラに乾いてしまった喉を潤すため、僕はこっそりサイダーを口にした。
「そういえば……」
「そういえば……」
ほぼ同時だった。
「ど、どうしたの……?」
「ねぇ知ってる?」
先に譲った。立花さんが改まって僕に言った。
「来年から、隣のクラスに転校生が来る
「転校生??」
「そう。
「へぇ……」
「その名前がね。確か……因幡りょうくんと、
「
僕は驚きのあまり口からサイダーを噴射して、むせ返った。立花さんが目を丸くして、僕の顔を心配そうに覗き込んだ。
「まぁ。荒草くん、大丈夫?」
「ま、まさか……」
「そうなのよ。ねぇ、これってどう思う?」
「
今年1番驚いた僕の表情を見て、やがて立花さんが、とびっきりの笑顔を見せた。
「……来年もまた、同じクラスになれると良いわね」
「え……」
その瞬間、僕の時間が止まったような気がした。白紙の頁の上で、微炭酸の泡が弾けてシュワシュワ鳴った。僕は汗を拭った。これは来年もまた、何かと忙しくなりそうだ。
〈了〉
一分間彼女 てこ/ひかり @light317
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます