ラスト あんたは最高だ

 足取り軽く道を行き、はやる気持ちを抑えつつ階段を駆け上がり、緊張で鍵を持つ手が震えながらも、鍵穴に鍵を差した。


 あの人は今は仕事の時間だ。家にいないのはわかっている。でもまずは部屋でも、久しぶりにあの人の匂いが感じられると思うとウキウキして、顔がニヤけずにはいられなくて。


 自分の口角が上がってるのを感じながら、ヒロキはドアノブを回し、ドアを開け放った。


 だがそこで、ヒロキの動きはしばし止まってしまった。

 目の前の光景に度肝を抜かされた。呆気に取られた、唖然とした……どの言葉も正解、どれも当てはまる。


 なぜたった一か月いないだけでこんなになってしまうのか。あの人は笑顔は素敵で素晴らしい人なんだけど、ここだけはダメというか。


 ヒロキの大好きなあの人の部屋は一番最初に訪れた時のように日用品や食材があちこちに散らばり、足の踏み場もない状態になっていた。腐っているものはないから臭くはないが、物はごちゃごちゃ状態。


 思わず膝から崩れ落ちそうになった。でもこれでこそ自分の大好きなあの人なんだ、とヒロキは立ち直り、腕まくりをして気合いを入れた。


 これを片付けてからあの人の店に行くんだっ!


 今回の片付けも一時間で終えることができた。あの人を驚かせたくて、どうやって声をかけようかなと考えながら、懐かしの商店街通りをゆっくりと歩いていく。


 だんだんと見えてきたオレンジ色の屋根が目印の商店街の一角にあるスーパー“太陽”は一ヶ月前と変わってはいなかった。


 自分がなぜ一ヶ月も離れていたのかと言うと、兄タカヒロの依頼があったからだ。

 タカヒロには借りがあった。彼に『仕事で、とある要人を守るために海外に一か月だけ一緒に来て欲しい、お前が一緒なら安心できる』と言われてしまっては、タカヒロの依頼を断ることはできず。

 渋々一ヶ月間のボディガードを請け負っていた。別にあの仕事も嫌いじゃないから、身体が鈍らない程度に、たまになら行ってもいいとタカヒロには言ってあるのだ。


 だから今しばらくはスーパーの店員と要請があればボディーガード……二足の草鞋を履くことにはなる。

 けれど自分はどちらもこなす自信はある。だって自分はなんでもできるんだから。


 タカヒロと、政界に父を持つ“あの人物”のおかげもあり、自分は父の元へは戻らずに済んだ。

 父とは一度会って話をしてみたが。なんのことはない。僕は戻らないよ、と布告しただけで大した会話はなく、無言で送り出された。

 無言だったから、容認はしないが否定もしない、というところだろうか。よくわからないが何も言われなかったのだから大丈夫だろう。


 そういえばスーパー“太陽”には新しくバイトが入ったらしい。以前、ヨウがメッセージで知らせてくれたことがある。それが誰なのかまでは教えてくれなかったから、今日初めてそのバイトくんとも会話をすることができる。

 まさかトウヤじゃないよな、と思いつつ。

 スーパー“太陽”の開け放たれている入り口を前に、ヒロキは立ち止まった。


 なにやら中からにぎやかな声が聞こえる。これは子供たち……と思っていると、子供たち数人が「キャー」と言いながらで店外に飛び出してきた。追いかけてくる何かから笑顔で、楽しんでいるように逃げているようだ。


 そしてその後に飛び出してきたのは。


「待て待て待てー!」


 明るい声と笑顔で追いかける人物。それは店長かと思いきや、その人物は金髪で左目の下に大きな傷がある人物だった。


「……ジェイっ⁉」


 思わず叫んでしまった。

 しばらくぶりに見るジェイが、パッとこちらを向く。見た目の派手さは相変わらずだが、胸にはスーパー“太陽”の目印であるオレンジ色のエプロンをつけていた。


「あら、ヒロキじゃーん! 帰ってきたの? おかえりー」


 ジェイは、にっこりと笑顔を浮かべた。何やら垢抜けたようなそのまぶしい笑顔に、ヒロキは目を見開いてしまった。


「ねぇ、お兄ちゃん! 早く追いかけてきてよー」


「海賊のお兄ちゃん! 早く早く!」


 子供たちに急かされたジェイは「わかった、わかった!」と子供たちをなだめた。


「ヒロキ、話したいけど、この子たちの相手しなきゃだから、またね! 店長なら中にいるよ!」


 ジェイはそう言うと商店街の通りを駆け抜けていく子供たちを追いかけ、走って行ってしまった。途端に静かになった空間は嵐が過ぎたみたいだ。


 ジェイにどんな心境の変化があったのだろうか。でもあんなに楽しそうなジェイはテレビに映る姿でも見たことがない。

 ……ところで海賊のお兄ちゃんって?


「……ヒロキ?」


 店の方から声がした。この声は自分の大好きな人だとすぐにわかった。


「ヒロキっ……ヒロキっ! おかえりっ!」


 自分を見て驚いた顔をしていた人物が、パッと笑顔に早変わりし、抱きついてきた。

 全身が太陽に照らされたみたいに、あたたかくなった。


「おかえり、ヒロキ、待ってたよ」


「ただいま」


「帰って来るなら教えてくれればいいのに」


「ごめん、驚かせようかなと思って」


 久しぶりに感じる愛しい太陽。

 ヒロキはニヤけてしまいそうになる一方で、今さっきいた人物のことを確認してみた。


 ヨウは身体を少しだけ離すと「びっくりした?」と笑顔で言った。


「彼はね、アルバイトしてくれているんだよ。ヒロキがいなくなって少ししてからかな。彼がここにたずねてきて、俺のところでアルバイトをさせて欲しいって言ってきたんだ。ヒロキの言っていた本当の笑顔っていうのがなんなのか教えて欲しいって言っててね。俺もよくわかんないんだけど」


 ヨウはフフッと照れたように笑う。その姿に、あんたがいつも出している、そのままが本当の笑顔なんだよ、とヒロキは内心で思った。


「でもここで過ごしているうちに、あんな感じですごく楽しそうな顔をするようになってさ、子供たちからも大人気なんだよ。顔の傷が海賊みたいでかっこいいんだって」


「なるほどね……だから海賊のお兄ちゃんか」


 そんなことになっているとは。けれどジェイは本当に楽しそうだった。ジェイはここで過ごすうちに自分と同じように周囲に必要とされ、居場所ができ、自然とにじみ出る笑顔を手に入れたのだろう。

 そのきっかけをくれたのは目の前にいる、この人なのだ。


「やっぱり、ヨウはすごいな」


「え、なんで。全然すごくないよ……俺はダメだよ。だってヒロキがいなくなったら部屋ぐちゃぐちゃになっちゃったし」


「それはさっき片付けておいたよ」


 ヨウは「さすがヒロキ」と言って、ヒロキの頭をくしゃくしゃとなでた。相変わらず頭フワフワでかわいい、と店長は笑う。


 さすがじゃないでしょ。少しは自分で片付けなよ、とも言いかけたが、そこはまぁいいかと思い直した。

 だってみんなダメなところがあって、でもそんなところは気にならないぐらい、最高に素敵なところもあるんだから。


「ヨウはダメじゃないよ。ヨウの笑顔は最高だよ」


 そう言うとヨウは「照れるなぁ」と満面の笑みを浮かべた。


 あたたかい太陽のような笑顔。

 それはいつでも、どこにいても、あたたかく、全てをあたためてくれる最高の笑顔だ。

 ふとその笑顔の持ち主は「俺も身体鍛えようかなぁ」と言い出した。

 どうして? と聞き返すと「だって好きな人は守りたいじゃない」と彼は言った。


 大丈夫だよ、僕は強いから。

 でもあんたは僕よりもずっと強いんだよ。

 だからダメなんかじゃない。

 あんたは最高だ。

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元ボディーガードはスーパーの店長を命がけで守りたい 神美 @move0622127

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