44.マーガレットとラベンダー
いつもよりも沢山ダンスを踊って、ヘレンや他の方々と沢山お喋りをして、お酒も楽しんで……今まで参加した夜会の中で、一番ふわふわした気持ちになったかもしれない。
社交的なヘレンのおかげで、交友も広がっていきそうでそれも有難かった。
傍にはルーファスが居てくれて、目を向けると、視線が重なる。それが嬉しくて、笑みが零れた。その眼差しからも、彼がわたしを大事に思ってくれているのが伝わってくるから。
夜も更け、屋敷に帰る馬車の中でも少しうとうとするくらいに、心地よい疲労感に包まれていた。
ルーファスの肩に頭を預け、肩を抱かれるままに体を寄せる。楽しかった、と呟くと「そうだな」と言葉が返ってくる。それもまた幸せで。
屋敷ではユリウスやミラがまだ起きていて、出迎えてくれた。
自分の部屋で盛装を解こうと思ったのに、わたしはルーファスに抱き上げられて、彼の部屋へと連れていかれてしまう。
後ろを振り返っても、ユリウスやミラはにっこり微笑んだままで止めてくれる様子はなかった。
「どうしたの?」
「もう少し、君と一緒に居たくて」
そんな言葉を紡がれて、嬉しい以外の気持ちなんてなくて。
わたしが頷くと、機嫌よく笑った彼はソファーへと腰を下ろした。わたしの事を腕の中におさめたままで。
「自分で座れるわ。ドレスだし、このままだとあなたも重たいでしょう」
「全くそんな事はないから、このままで居てくれたら俺は嬉しい」
「あなたがそう言うのなら……」
彼がいいなら、このままの体勢でいさせてもらおう。
そう思うくらいには、酔ってしまっているのかもしれない。あの苺のワインが美味しすぎて、ついつい飲み過ぎてしまったようだ。
「なぁサフィア。俺達の結縁花はラベンダーとマーガレットだが、その花言葉を知っているか?」
彼の問いに、首を横に振る。
わたし達の薬指に咲いている花は、女神様からの贈り物だ。女神様が夫婦と認めた二人に贈って下さる特別な花。
「白のマーガレットは『心に秘めた愛』。ラベンダーは『あなたを待っています』や、『幸福』という言葉を持つ。この花が指に描かれた時、女神には俺の想いが見透かされていると思った」
彼の言葉に、自分の左手薬指へと目を向けた。
薬指に咲くよう描かれた、白と紫の花。この花達にそんな意味があったなんて。
「いまでも俺は君への愛を心に秘めている。君に伝えられないような、欲に塗れた醜い想いも。それでも……俺達の間には、『幸福』が満ちていると思ってもいいだろうか」
「あなたがどんな想いをわたしに寄せていても、わたしがそれを厭う事なんてないわ。ルーファス、待っていてくれてありがとう。あなたと共に在れる事が、わたしの幸福だわ」
胸の奥から溢れる想いが、言葉を形取っていく。
幸せも、喜びも悲しみも、全てを彼と分かち合いたい。それがきっと私達の幸福だから。
彼の首に両腕を回して抱き着いた。わたしの背を抱えるように、彼もわたしを受け止めてくれる。
伝わる温もりが馴染んでいく感覚に、やっぱりまた、幸せを感じた。
不意に、薬指が熱を持った。
何があったのだろうと彼の首から腕を解き、左手を顔の前に掲げてみる。不思議な事に彼も同じように感じていたのか、わたしと同じように自分の左手を見つめていた。
「なに……?」
「分からない。熱を感じるが……」
薬指に咲く花が光を放った。きらきらと輝く銀色の光が泡のように弾けて消える。
その光が消えた瞬間、余韻も残さずに熱も消えていった。
薬指の違和感に気付いたのは、きっと同時に。
見間違えるはずもない変化が、薬指に現れている。
薬指に描かれたマーガレットとラベンダー。マーガレットの一輪が、ピンク色へと変化していた。
「ピンクのマーガレット?」
右手の指先でその花をなぞっても、もう熱は感じない。
ピンク色に変化をしたマーガレットは、白のマーガレットと共に最初からその色だったかのように描かれている。
「……ピンクのマーガレットの花言葉は、『真実の愛』だ」
低い声で、ルーファスがぽつりと呟いた。
顔を上げて彼を見ると、笑っているのに美しく泣いているようにも見えた。震える吐息を逃がしたルーファスが、またわたしをきつく抱き締める。
遠慮も、気遣いもない力強い抱擁は初めてだった。でもそれが、苦しいのに嬉しい。
この花は女神様からの贈り物。わたし達の間にあるものが『真実の愛』だと女神様が認めて下さったという事なのだろう。
それは素晴らしくて、嬉しくて……何だかとても美しいものだと思った。
彼の気持ちはわたしに伝わっているし、わたしの気持ちも同じように彼に届いているのだろう。
彼の腕から少しずつ力が抜けていく。
わたしと彼との間に隙間が生まれるのが何だか寂しくて、わたしは彼の腕にまた両腕を絡めて抱き着いた。
ルーファスは好きなようにさせてくれて、わたしの目元にそっと唇を寄せた。それでわたしは……自分が泣いている事に漸く気付いた。
「愛してる、サフィア」
「わたしもよ。あなたの事を愛しているわ」
嬉しそうに笑ったルーファスが、わたしの体をソファーへと横たえる。わたしは彼の首に両腕を絡ませたままで、彼はわたしに覆い被さる形になってしまった。
その体勢がひどく恥ずかしくて、腕を解こうとしても彼の体はお構いなしに寄せられる。
「ル、ルーファス、その……近いわ」
「ああ、近いな。だが馬車からずっとお預けをされていたんだが、そろそろ解禁しても?」
「馬車?」
「ああ。言っただろう? 屋敷に戻れば手加減はなしだって」
言っていた。
確かに彼は言っていた。
あれは……わたしがキスをせがんで、煽ったみたいな形になってしまって……。
それなら彼の言う、お預けというのは──
何かを言おうとして開いた口は、言葉を紡ぎ出すよりも先に彼の唇で塞がれていた。
呼吸さえも奪われるような荒々しいキスに、胸の奥が甘く疼く。
部屋の明かりが落とされる。
窓の下、薬指に咲く花々を月明かりだけが照らしていた。
切り離されたように、静かな部屋。
美しくて愛おしいそんな世界に、わたし達は二人きりだった。
*****
これで完結となります!
最後までお付き合い下さった皆様、応援ありがとうございました!!
穏やかな契約結婚のはずが、溺愛されるなんて聞いてません! 花散ここ @rainless
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