一般通過鉱石とダイアモンド

 一昨々日,学生時代からずっと推していたアイドルが引退した。一昨日,製造が終了したスナック菓子の最後の一袋を食べ終えた。昨日,最高に泣けると話題のアニメの最終回を観て大泣きし,喪失感に包まれた。そして今日,僕は小学生のころ夢中になって視聴していたトークバラエティ番組の公開収録に参加している。


 「あなたこの時何歳?ちゃらちゃらして感じ悪い。これがカッコいいと思ってたの?」


 「そこまで言わなくてもいいじゃないですか。まだ二十代でしたから。その,若気の至りというか,ね。いいじゃないですか。金髪ロングヘアにスーツでも」


 二人の司会者が,あのころと変わらない豪奢な部屋のセットを背に,もう十数年前になる番組初回の映像を振り返っている。懐かしい。泣ける。あの頃の記憶がよみがえる。当時は深夜枠で視聴率はそこまで高くなかったのだが,目ざとく見つけた僕はわざわざ録画してまで観ていた。唯一この番組について語り合えたクラスメイトは最高の親友になった。高校受験を機に見なくなったが,「何か面白いこと」について考えるときに決まって連想するのはこの番組のことになるくらい,この番組は僕の記憶に残り,恐らく1パーミルくらいは人格形成に寄与したことだろう。


 「最低ね。女の子に富豪アピールして」


 「いや,言わされたんですよ。『彼女いないならこんな番組見に来てる暇な女から探しなさいよ』って言うから。そうでしょう? あれ,違います? そうか,自分で言ったのか。すいませんでした。というか何度も言いますけど,そんなに金持ってないですよ」


 軽妙な二人のトーク,ゲストや観覧者との間で交わされるやり取りには,大人の会話を盗み聞きしているような刺激があった。


 しかし,いま過去のVTRを振り返ってみると,思っていたほど面白くない。過去の記憶は得てして美化されるものである。ミステリアスな雰囲気の洋館の一室で行われる令嬢と執事の秘密のやり取りは,いまや合板を背にした壮年の男女の世間話にすぎない。


 「今日の観覧席は,メガネが多いわね」


 「そりゃもう,当番組の最終回ですから。倍率0.9倍という熾烈な抽選争いを勝ち抜いて参加された,選りすぐりの視聴者が集まっているわけです。もう,テレビにぐうっと,こう,近づいて観ているから,目も悪くなって」


 わはは,と本日の業務を遂行すると同時,黄色い声があがる。意外と女性視聴者が多いのだな,と周囲を見回すと,なんと美人の多いことか。大学進学を機に上京してからというもの,外を歩けば男女を問わず洗練された身のこなし,整った顔立ちのひとだらけで,ずっと肩身が狭い思いをしている。田舎には萎縮したいなかっぺしかいない,というのは過言だが,学校内で美人といわれていた女子生徒も,芋くさい赤色のジャージィ姿も相まって都会人の足元にも及ばないのである。(都会人もきっと芋くさいジャージィは着用するのだろうが)


 思えば中高のアイドル熱が冷めたのも上京がきっかけかもしれない。当然だ,美人など僕んちの庭の自然薯のように無数に生え散らかしているのだから。


 「あなた昔メガネかけてなかった?」


 「ああ,伊達です」


 「そう。正しい判断ね。あなたが眼鏡をかけると胡散臭いの。最近の山ぐ...」


 隣に座るメガネ女子を眺める。しばしばメガネ女子萌えなる言葉を耳にするが,はっきり言ってそれはナンセンスだと僕は思う。非メガネ女子,メガネ女子のキューティネス・ポイントを数値化したとしてそれを直接大小比較することはできないが,そこに序数性は確かに存在していて,僕の経験則からすると任意の i 番目の非メガネ女子と i 番目のメガネ女子は一致している。


 ようするに美人はメガネをかけても美人だし,僕はメガネをかけてもただのメガネ君である。そして僕が推していたアイドルはメガネをかけようがかけまいがかわいい。


 しまった。隣に座るメガネ女子と目が合った。


 「わりとひとりで見に来てくださっている方が多いのかな。今日は」


 「そこのメガネのあなた,タートルネックの,そう,名前は?」


 「あ,オオイシです」


  僕だ。


 「あなた一人で来たの?」


 「はい,一人です」


 「楽しい?」


 「......」


 「一緒に来る人いないの?」


 「はい,独りですね」


 「そう......」


  司会のアキコさん,これ以上はよしておくんない。


 「アキコさんそのくらいにしてあげましょうよ」


 「でもオオイシ君,わたしイイと思うわ。何歳なの?」


 「26です」 


 「あー,イイ」


 「何がですか,アキコさん」


 「隣のメガネの子,何歳?」


 「俺の話聞いてくださいよ,最後の収録ぐらい......」


 「26です。あっ,モエです」


  ほーん。


 「いいじゃない。ほら,あんた,なんか言ってやりなさい」


 「オオイシ,俺みたいになるなよ。金じゃ愛は買えないから......」


 「なにかっこつけてんの。ダサいわよ,片手ポケット」






 「大石英世っていいます」


 「南雲モエです。英世って,あの英世ですか?」


 「そう,森英恵のハナに大宅世継のヨ」


 「え?」


 僕はいま,なんだかんだで隣に座っていたメガネ女子と飯を食っている。アキコさんが独身を貫く男性司会者ガンちゃんに発破をかけるために定期的に観覧者のカップリングを行うイベントは,最後までその目的を達成できなかった代わりに多くのカップルを生み出してきた。何故か結婚にまで至ってしまったカップルが番組内で紹介されることもあるこの名物企画は,僕に久しぶりの雪どけをもたらした。


 しかしお分かりの通り,僕がいつまでも冬の夜をさまよっていたのは,変質者である僕をランタン片手に導いてくれる者などウィルオーウィスプぐらいしかいなかったからなのである。


 だが彼女もまた,抽選倍率0.9倍のある意味厳しいふるいをかけられて選出されたコアな視聴者,つまり特殊な人種である。ダイアモンドの原石♪ Ore-Collect(おーるこれくと)のリーダー☆ 剛力金恵 を知っている奴に,僕は久しぶりに会った。


 「大石さんも推してたんですか,かなえちゃん」


 「ああ,ずっとファンクラブに入ってますよ。最近はライブなんかもあまり行かなくなりましたがメンバーシップだけは更新し続けて,木曜日に『10からっと』になったんですよね」


 「それって結成初期からのファンってことですよね,すごい!大先輩!」


 「まあ,Ore-Collect は僕の地元で結成されたグループなんですよね。それに金恵は,実は,僕と同じ学校出身で,結成の準備段階から近くで見てたんです」


 「わぁ,いいなー」


 「......」


 なるほど美人など腐るほどいる,などと言ってごまかしてはいたが,僕はやはり剛力金恵が好きなのだ。

 Ore-Collect は僕の地元で結成された地方アイドルだった。僕の高校で一番の美人だった塩見結奈(ゆうな)と,その他(確かルビー,サファイア,エメラルド,パールが他にいた。しかし興味ない。ところでパールはなんか違うと思うのは僕の気のせいかい?)で構成されるアイドルグループは,地道に知名度を上げて四年前に東京に進出,メジャーデビューを果たした。






 「Ore-Collect!輝く瞳を集めてーっ

  All-Correct!準備OKさぁっEverybody Let's 剛!」


 「かがやいてるよぉー!かなえちゃん!らびゅらびゅ!」


 「ダイアモンドの原石っ♪オールコレクトのリーダーっキラッ剛力金恵だよーっ!」


 「かなえちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 「みんなの瞳にブリリアン...んぐふっ」


 「ぐふったすかる!」


 「も,もう,やめ,ふふふふ」


 「......」


 「律儀だね。ハナヨっち。えほっ。あはは」


 「GIR No.1,大石英世だからね」


 僕は,文字通り最古参のファンだ。それこそ,かなえちゃんが結奈だったころから。




 結奈とは小学生のころからの友達だ。人一倍活発な女の子だった結奈は,近所に住んでいる僕や件の親友のような年上の男子に交じって遊んだものだった。


 「おう,ハナ世,畑でカマキリしばこうぜ」と親友。


 「ハナヨ呼ぶなし。じゃあかご持ってくる」


 「ハナヨ!公園行くの?わたしもいく!」と結菜。


 「ほらぁ,ユウナまで僕のことハナヨって呼ぶようになったじゃんか」


 人よりちょっとばかし鼻の大きかった英世少年は,森英恵を知ってか知らずか,ハナ世と呼ばれるようになった。最初はクラスメイトだけだったが,いつの間にか学校中にこの不名誉なあだ名を知られるところとなった。その一因を担ったのは,所かまわず僕をハナヨ呼ばわりした結奈だっただろう。


 「わたし,アイドルになりたいの」


 結奈から相談されたときも,特段驚きはしなかった。小3にしてカブトムシしばきに一人で隣県にいった謎の行動力が,当時流行していたAKBを代表とするグループアイドルに向かっただけのことである。


 僕はアイドル『塩見結奈』の一人目のファンになった。


 放課後,結奈が歌の練習をするときは自分が観客として盛り上げ,評価した。文化祭での発表,公民館でのライブ,地元のニュース番組に出演。どこから捕まえてきたのか,メンバーや衣装係も加わり,結奈が中学を卒業する頃には Ore-Collect は県南では知らぬ者のいない有名グループになっていた。


 「立派なアイドルになったなぁ,結奈。いや,かなえちゃん!マイスイートジュエリー!」


 「やめてってばハナヨっちぃ」

 

 上京してからは会う機会が少なくなり,金恵ちゃんはまさになかなか会えない雲の上の存在としてのアイドルになった。芋ジャージの泥んこ少女は,ステージの上で輝くプリンセスになった。





 「かなえちゃんのサイン持ってますか?」


 「100枚くらい持ってるんじゃないですかね,あはは。旧バージョンのサイン含めれば多分そのくらい軽くこえますよ」


 「......」


 「そんな目で見てもあげませんよ。宝物だから」


 「いいですっ。わたしは,るーちゃん推しですから」


 るーちゃんはどの子だったか,ルビーだろうか,ひょっとしてパールの可能性もあるか,などと考えつつ会計を済ませ,僕と南雲さんは店を後にした。


 「LINE やってますか?」


 「Twitter でいいですかね。LINE は 通知切ってるんで。Ore-Collect の通知がうるさくて...。英世@はなよチャンででてきますんで」


 「Ore-Collect の?あ,あった。なんですか,はなよチャンって」


 「昔からのあだ名です。結構気に入ってるんですよ」




 南雲さんと別れた後,LINE を確認する。Ore-Collect という名前の三人しか入っていないグループラインでは,僕が見ていない間に100以上のテクストが交わされていたようだ。


 「しょうがないだろ,僕はあくまで『いちファン』なんだからさぁ」


 グループラインには,金恵ちゃん卒業ライブが終わったあと僕がそそくさと会場を後にしたことに関して,結奈と件の親友がさんざっぱらこき下ろした痕が残されていた。僕は今度飯いこうとメッセージを送ると,正面の ZEPP DiverCity を見上げた。


 「すごいなぁ。ここでライブしたんだもんな。フジテレビのあの建物で,仕事したんだもんなぁ。」


 僕はお台場をゆっくりとめぐる。白銀の建物群はまるで塩の結晶のように大きく育ち,僕を覆い隠すほどである。なるほど100万ドルの夜景は100万ドルのダイヤモンドと同じくらい美しいのだ。僕は臨海高速鉄道に乗り込み,見慣れたはずの景色に思わずどきりとさせられると,目を閉じて電車の揺れに身を任せた。







 「はなよ」


 「おうかなえ」


 「ばーか」


 「なんだと」


 これがアイドルとの会話である。100年の推慕いおしたいも一時に覚めるというものである。


 「...今は結奈,だったな」


 「久しぶりに結奈ってよんでくれた気がする」


 「そうだなぁ,結奈がかなえちゃんになってからはずっとかなえちゃんって呼んでた気がするな」


 「そう,いまはもうただの塩の結晶」


 「お,うまいな。キャンディーズか。普通の女の子に戻りますってな」


 ふと,塩の結晶に関する話を思い出した。ある者にとっての理想とは,塩湖に浮かぶ小さな木片であると。はじめはただの木片でも,次第に周りを塩が覆いはじめ,やがて金剛石のように大きく美しい結晶になる。理想は時間が作るものなのだ。


 「まあ,俺にとって結奈はいつまでもブリリアントダイヤだぜ」


 「おえ」


 嘔吐を身振りで表現しつつどこかうれしそうな結奈を尻目に,俺はこれから向かう中華料理屋のメニューと,どれだけ食えば食べ放題の元が取れるかの参考資料のページを開いておくのだった。















 「さて,後方腕組みカプ厨ファンは去りますか」


 英世の件の親友はそうつぶやくと,今日もエメラルドたそに声援を送るためにいそいそとレストルームに向かい,緑色のメンバーTシャツを着こんで街へと繰り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一般財団法人クリぼっち救済財団 山形在住郎 @aritomo_yamagata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説