提琴と君と僕

「久しぶりー! て言っても一週間空いただけだけどね!」


 翌週。そう言って元気に練習室に入って来たオトに、僕はいつものように笑いかけることが出来なかった。正確に言うと、笑いかけようとして失敗した。引き攣った僕の顔を見て、オトは何かを感じ取ったようだった。


「どうしたの? 顔、怖い――」

「なんでもない」


 間違えた、と思った時には遅かった。予定とは違い早く強く否定しすぎた僕は、オトに充分な確信を与えてしまっていた。


「もしかして、先週、コンクールに居た?」

「……」


 もう、否定することは難しかった。そして、そう悟るのと同時に、なぜ僕がオトに気を使わなきゃいけないんだ、という疑問が浮かんだ。僕にはオトを問い詰める権利があるんじゃないだろうか。

 そう思った後は、もう止めることは出来なかった。


「オトは、僕を馬鹿にしていたんだ。僕の演奏を褒めていたけど、オトは僕なんかよりもずっと上手かった。しかも、先週弾いていたのはラ・カンパネラだった。僕がオトに最初に弾いてあげた曲だ。オトは凡人の平凡な演奏なんて一々覚えていないのかもしれないけどね」

「違う」

「何が違う? オトは僕に一度も演奏を聞かせてくれなかった。自分の方が上手いと知っていたからだ。君は、僕に嘘をついていた。なぜ君は自分の言葉に説得力があると思えるんだ?」


 その時の僕は、どうしようもないほど醜かった。天才であるオトに対する勝手な劣等感で、オトは僕のことを蔑んでいないことなんてわかるはずなのに、なにか理由があるはずだと感じていたのに、効果的にオトを傷付けられる言葉を選んでぶつけた。


「ごめんなさい」


 気づくと、オトは泣いていた。泣いて、僕に向かって頭を下げていた。


「嘘をつくつもりはなかった……って言っても、もう無理か。ごめんね。ヒロトくんと話してて楽しかった。傷付けてごめんなさい」

「ちょっと、待っ――」


 オトは、練習室から立ち去った。僕だ。僕がそうさせた。オトを責め立てて、泣かせた。酷いことを沢山言った。唐突に、後悔が僕を襲った。

 そうだ、次、来週。オトがここに来たら、謝れば良い。


 けれど、オトは、二度と練習室に来なかった。


 先生に尋ねると、彼女は留学した、という答えが返ってきた。オトは先生の親戚らしい。彼女は最後まで迷っていたけれど、両親に説得されて最終的には頷いた、と先生は言った。


 世の中には取り返しのつかないことがあるんだと、僕は学んだ。オトが抱えていた理由は分からないままだった。


 僕の初恋は、こうして終わった。


 両親はもう辞めてもいいんだと言ったし、迷ったけれど。結局僕は、大学生になった今でもヴァイオリンを弾いている。凡人として、趣味として。一度割り切って自分は凡人だと認めてしまうと、両親からの圧力プレッシャーなんてなかったんだと気付いた。あったのは、自分で自分にかけていた圧力呪いだけ。たまにコンクールに出た時には、こんな所にいるはずがないと思いながらも、つい参加者にタカナシオトが居ないかと探してしまう。


 もし、今、オトに会えるとしたら。オトが、まだヴァイオリンを弾いているとしたら。ラ・カンパネラを弾いてよ、と頼んでみようか。


 ヴァイオリンには、性格が滲み出るような気がすると、いつか君が言った。今の君は、どんな演奏をするんだろう。君に、今の僕の演奏を聞いて欲しい。

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提琴と君と僕の初恋と 淡雪 @awayuki0_0

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