エピローグ

 ――とある5階建てのビルの中。

 あるオフィスの一室で、茶々藤は誰かと会議をしていた。


 相手は音声のみのビデオ会議を使用しており、会話の相手とは、社長である。

 現在、こちらの世界に存在していない人物。


 その社長が、どこからどのような方法を用いて、ビデオ会議をしているのかは、茶々藤でも分からない。しかし、茶々藤がひとりごとを語っているわけでもなく、ちゃんとリアルタイムで会話をしていた。


「ザァッ……――茶々藤くん。例の少年は無事に保護できたのか?」

「はい、社長が言ってたとおりです」


「ガァ……ザァ……。それで、状況はどうだ?」

「はい、彼も所持していました」


「ザザァ……。そうか。それで、どれくらい使えそうだ」

「それが、まだ、少し未知数なところがありまして。しかし、私たちよりも能力は高いと思います」


「そうか――計画どおりだな。茶々藤くん。次のステップへ進めてくれ!」

「社長。ですが……。私としては、もう少し彼を観察した方が良いと思います」


「茶々藤くん。何か気になることでもあるのか! だが、残された時間はないぞ!」

「はい、重々承知しておりますが、彼に少しだけ例の兆候が見られまして、なるべくリスクは避けたいと思います」


「そうか。なら、君の任せよう。それと、こちらからの報告だ。現在、そちらの世界からアクセスが可能な世界が、1031ほど追加になった。それと安全が確認できた世界が751だ。そしてゲーム環境に適した世界が216になる」

「かしこまりました。いつも通り対処して置きます」


「よろしく頼む」

「ところで……社長。しばらくは戻って来ないのでしょうか?」

「あぁ。少し、足取りが掴めそうな世界を見つけた。当初の予定よりも遅れるかも知れないが、調査が終わり次第、一度は戻る」


「かしこまりました。お待ちしております。あと、スポンサーの件については、どういたしましょうか?」

「また、何か言って来たのか? なら、その件も君に任せよう。適当に仮の広報担当者でも雇っておいてくれ!」


「かしこまりました。では、社長。これからも、お体に気をつけてください」

「茶々藤くん。ありがとうな……。ザァァアアァァァァ――――――――」


 ビデオ会議が終了した。

 向こうの音声が閉ざされ、ホワイトノイズが聴こえる。


 茶々藤はノートパソコンの液晶パネルを静かに閉じた。

 そして天井を見上げて吐息する。じっと見つめる先には――天井の模様が見える。

 茶々藤は椅子の背もたれに深く体を沈めて。ふと、過去の記憶を思い出していた。



 ――この会社ができる前の茶々藤が、まだ若かったときのこと。


 当時、民間企業の研究員だった茶々藤は、ある研究に没頭していた。量子コンピュータを使用して、仮想現実の環境を作り、そこで行動経済学上の事象が再現できるかどうかという研究を行なっていた。


 ある日。同じ研究チームにいた湯田博士が、実験中に仮想空間の中である異変に気づいた。


「ちょっと、茶々藤くん。来て」

 湯田博士はパソコン画面を見て震えていた。


「……湯田博士。何かありましたか?」

 声に反応した茶々藤は、手元の資料を放り投げ、湯田博士が指差すをパソコン画面を覗いた。


「これは?」

「そ、そう。私の幻覚じゃないか確認してほしい……」


 茶々藤は湯田博士に頼まれて、パソコン画面に表示している波形グラフを見て、すぐに使われた元データの確認を始めた。そこにはバグのようなノイズが検出されていていたことを、そのデータは示していた。


 それからしばらくして――そのノイズが湯田博士の観察により、単なるノイズではないことが証明される。ノイズと思われた現象が、一定の条件で観測可能であることが解かると。報告を受けた研究所側は新たな研究チームを発足させて、その責任者として湯田博士を任命した。

 また、茶々藤もそちらの研究チームに席を移している。


 そのあと、湯田博士が率いる研究チームは、そのノイズがどこから現れたのかは解からない謎の光子だと仮説を立て研究を進めた。


 その結果、僅か数年にして観測することに成功する。

 しかし、湯田博士は観測した光子が、こちらの世界に合わせたバイナリデータであることを突き止めた。


 それは、誰がどのようにして、そのような方法を使いデータを送って来たのかは謎だった。

 のちに湯田博士は、そのバイナリデータを用いて仮想現実の中にあるものを再現した。


 それが最初の『グリモア』だった。


 漆黒に輝くフレーム。現代社会で使われている電子機器のタブレットに酷似しているもの。

 その時点では、何に使用できるかまったく分からなかったが。

「これが何かのいたずらでは……」と、湯田博士は落胆した。


 しかし、数日後――。湯田博士は『グリモア』を手にして失踪する。

 そのあと、行方不明となった湯田博士の研究チームは、半年もしないうちに解散した。

 これまでの研究は、すべて湯田博士による捏造だったという理由で幕を閉じのだ。


 だが、その当時に湯田博士と一緒に研究をしていた同僚の定恵じょうけい博士は、彼女を探すことを決め、のちに彼もまた『グリモア』を手にする。


 そこで湯田博士の消息について、手がかりとなることがひとつが分かった。

 定恵博士が行くことができる多元宇宙マルチバースの世界とは、湯田博士が通った世界であるということ。


 その事実を知り、定恵博士は後輩であった茶々藤と一緒に今の会社を設立し、未だ彼女の行方を探している。


 また、会社を設立したころに定恵博士がある世界で助けを求めてきた人たちと遭遇している。

 それがリリィ・・・と呼ばれる人たちだ。



 ――茶々藤が知っていることはここまでとなる。

 彼の人生において、青天の霹靂へきれきともいえる激動の時代を過ごしていた。仲間を増やしては失いつつ、今のメンバーが無事に残っていることだけが、彼の心の支えでもある。


 そして、定恵博士が新たに知ったこと。

 多元宇宙マルチバースで何かが起こりだしていることを見つけ出した彼は近いうちに近接する他の世界から『グリモア』を持つ者が現れるということを予測した。


 茶々藤は定恵博士の指示に従い準備を進めていた。

「そう、確かに、ここまでは順調だった……」

 と、茶々藤はつぶやく。


 それに観測不可能だった他の宇宙が、観測できる事実は公表していない。

 公表すれば、どんな禍が起こるか予想だにしない状況を迎えることになる。


 よって、パラダイムシフトを起こすには、まだ早い。


 茶々藤もまた、あの時に立ち会った者として、すぐにでも湯田博士をこちらに連れ戻して『グリモア』ごと、仮想現実を破壊できれば、これまでの異変はすべてなかったことになるだろうと、考えていた。


 茶々藤は、机の上に置かれた写真立てに視線を向ける。

「だが、その道のりは遠い……か。よっこいしょ。さて……。行こうかな」


 茶々藤は椅子から立ち上がり、部屋をあとにした。

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遷徒し僕はGM〈ゲームマスター〉 ラシオ @rashiP37DX28SVzo

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