エピローグ
明日、世界は終わらない。
混沌とした調理室の一角。私たちはスポンジと粉糖、食紅とクランチクッキー、ハンドミキサーと絞り出し袋と計量カップと粉ふるいと麺棒を囲みながら、ひとつの完成を目の当たりにしていた。
ありとあらゆる製菓用の調理器具が引っ張り出され、カラフルなイラストの描かれた(ただし、描かれているのは山とか断層とか、おおよそ製菓とは関係のなさそうな。)設計図風の紙を取り囲み、息を飲んで見守っているのは地学部の面々。今年は女子生徒の入部希望がかつてないほどに多く、部室も大変明るく華やかになった。
深緑色の粉を降らせていた女子生徒が手を止め、茶こしをゆっくりと置く。厳かにひとつ頷くと、できました、と呟いた。
「試作品第七号……山ケーキです!」
おお、と一同がどよめく。それは山の形を模したケーキの試作品であり、クッキークランチやガナッシュチョコ、ナッツやスポンジケーキを山の形に積み上げて、チョコレートと抹茶でコーティングしたお菓子なのだった。女子部員が大幅に増えた結果、秋の学園祭の出し物も例年のような展示やプラネタリウムではなくて、「山や地層を模したお菓子を出すカフェ」というアイデアが通り、夏休みの間は日々こうして試作をしては頭を捻っているという状況だった。
「すごい、まさに山そのものだ」
「しかしコストがかかりすぎるな」
「手間もそれなりにかかるから、量産するのは難しそう」
「まぁまぁ、とりあえずは試食してみようよ!」
参考のため、スマホのカメラで写真を撮りつつ、山の形のケーキを切り分けていく。途中でケーキのフォルムが崩れ「うわぁ山体崩壊だぁ!」などと叫びながらも和やかな時間が流れていた。これはとある有名カフェのお菓子を真似てみたものらしいのだけど、なかなかの仕上がりだと思う。
「味は悪くないね」
「むしろ、いろんな味と食感がして楽しいね」
「手軽さを考えるとやっぱりカップ入り断層かなぁ」
「カップ入り断層は俺も賛成でーす」
「材料を絞るって考えるといっそ練り切りにするとか……」
「うーん、和菓子ねぇ……」
「ねぇ、桃井先輩はどう思いますか?」
ふわふわした可愛い後輩たちが一生懸命に談義している様子を嬉しく眺めていたら、いきなり水を向けられて少し驚く。三学年に進級してから受験対策の塾通いで忙しくなったものの、なんとか時間を捻出しては、後輩の世話を焼くようにしていた。
「学園祭は生徒の保護者も来るし、和菓子があってもいいと思うよ。あとは……そうだなぁ、ケーキをもう少し小さくしてみるとか」
「そうか、保護者がいたか!」
「なるほど」
どうやらひねり出した意見は参考になったらしく、ほっと胸を撫でおろす。
その時、ガラリと調理室の扉が開いて、白澤くんが入ってきた。やっぱり試食くらいはして欲しいということで、職員室に顧問の先生の都合を聞きに行っていたのだ。
「来週の木曜ならゆっくり付き合えるってさ」
「それじゃあ来週までにもう少し固めないとだね」
ふむふむと満足そうな顔をした白澤くんが手近な椅子に腰かける。こうしてみると後輩たちはずいぶんと幼く見える。それとも、白澤くんが少し大人びたのか。
たったの三歳しか違わないのに「先輩」って括りになるといろいろなプレッシャーがあるものだ。そうか、もしかしたらアレはプレッシャーゆえの言動もあったのかも。なんて、私は小津先輩を思い出してちょっと笑った。
「さっき、なんか笑ってた?」
すっかり暗くなった帰り道。隣を歩く白澤くんがぼそりと呟いたのを聞く。
「ちょっとね」
「……ちょっと?」
「ちょっと小津先輩を、思い出しちゃって」
珍しく、うわぁ、という顔をした白澤くんは、きっと先日の絵葉書を思い出している。地学部の部室宛に届いたいまどき珍しいポストカードは北海道にあるジオパークの物で、裏側には小津先輩の癖のある文字で秋の文化祭には顔を出すつもりだと書かれていたのだ。
「台風シーズンか……」
力ない呟きに思わず噴き出したところで、前を歩いていた茉里奈が振り返って「ねぇ!」と呼びかけた。あれからすっかり回復した茉里奈は、今は仮住まいから通学していている。
あの後、美原家にはわりとすぐに専門の業者が入り、部屋の傾きが検出された。一旦あの家を出ることになって、現状はハウスメーカーとの話し合いの最中らしい。同じ住宅地の他の家からも「実は家でも……」なんて声もあがり、ちょっとした騒動になったという。
そこからしばらくして何故かマスコミが嗅ぎつけた今、これ以上の大事になるのはハウスメーカーも避けたい事態だよね、というのが茉里奈のお母さんの話らしくて。優しそうに見えて意外と抜け目のない人なのかもと思ったりする。
学園祭での引退公演を控えたチアリーディング部は練習に余念がないけれど、こうして発生するたまの休みには、声を掛け合って一緒に過ごすことが多い。秋の学園祭の演技では三浦さんとツートップでフライヤーとして大技を繰り出すのだと言う。
目下の悩みはお休みしていた間に衰えた筋力の復活だそうで、関口くんと二人でいるときなんかには「筋トレの話をする美形カップル」という不思議な絵図が見られるのだった。
その茉里奈が、振り返ってイタズラっぽく告げる。
「萌音ちゃんが明日みんなで勉強しないかって」
それを聞いて私の額にはしわが寄る。神崎くんと同じ大学を目指すことにした萌音ちゃんのSNSは「絶対に受かる!大丈夫!」というメッセージと、「駄目かも知れない!やっぱ無理!」というメッセージが交互にやって来る状態で、神崎くんによれば事態は「半々の状態。運によるところが大きいかも」とのことだ。
いや、この状態で運って。それってどうなの、とは思う。なので、友達として協力しないわけに行かないよね。
後ろを振り返ると睦まじく歩く彩花ちゃんと藤原くんのペアがいて、二人は受験対策書を覗き込んで何やら話し込んでいる。
本から顔をあげた彩花ちゃんと目が合う。
「あのね、萌音ちゃんを助けたい」
少しだけ目を見開いた二人は、顔を見合わせてからたちまち笑顔になる。まるでミュージカルか何かのようにタイミングばっちりだなぁ、なんて思う。
「湯本塾復活の狼煙をあげるとするかぁ」
「勝手な話だね」
「いいじゃん、想い出の湯本塾だよ?」
「そういうことを言わないの!」
ガッチリと推薦で進路を決めてしまった彩花ちゃんと、A判定しか見たことないという驚異の学力の持ち主だった藤原くんに頼れば、おそらく怖いものなしだろう。
そこへ行くと、少しだけランクを落としたとは言えチアリーディングが盛んな大学への進学に目標を定めた茉里奈や、一般入試でひーこら言っている私と白澤くんにとっては願ってもない話だ。
「いいね、俺らもついでに頼むとするか」
「おこぼれに与りましょ」
「待って、それ俺も混ぜて!」
頷き合う白澤くんと私の横に関口くんがやって来て並んで、笑顔を深めた茉里奈がスマホの通話ボタンをタップする。
「もしもし萌音ちゃん? これから最強の湯本塾が始まるよー!」
たっぷりの湿度を含んだ風がいまだ終わらない残暑を伝えてくるけれど、私たちの誰一人として、それで足を止めたりはしない。これから来る未来がどんなものかは分からないけれど、例えまた何かに躓くことがあったとしても、きっと私たちなら乗り越えられる。それはたぶん、今よりもっとずっと素敵な未来に繋がっているはずだ。
茉里奈と私はおそろいのシーブリーズの香りを振りまきながら、そっちとこっちで笑い合う。傾き始めた秋の日射しに目を細めつつも、私たちは新しい一歩を踏み出し続けていた。
【完】
堆積するアオハルから、ためらう事なく手を伸ばせ。 野村絽麻子 @an_and_coffee
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