5
電話をかけて来ると言って茉里奈のお母さんが席を外して、ほっとした私はベッドに崩れ落ちた流れでそのまま茉里奈に抱きついた。
「茉里奈!」
「羽純!」
名前を呼び合いながらギュウギュウと抱きしめ合う。茉里奈がこのまま戻って来ないんじゃ無いかって、言葉には出さないようにしていたけれど、ほんの少しだけ思っていたのだ。入院するまで黙って耐えていた茉里奈。強くて優しくて綺麗な茉里奈。
「ありがとう、たくさん調べてくれて」
「ごめんね、私、茉里奈がこんなに抱え込んでたのに、ちゃんと気が付けなくて」
「ううん、いいよ。うまく言えなかったし。言わないままで終わらせようとしてた。だって本当に、言ったら移るからって思い込んでた。私のせいで、世界が、終わっちゃうんじゃないかって」
「終わらないよ! 終わらせない……」
私は茉里奈を抱きしめる腕に力を込めた。本当に良かった、茉里奈が無事で。
「あのね、茉里奈の家の場所を案内してくれたのは関口くんだし、あとはほとんど白澤くんの立てた仮説。私たちみんなで、茉里奈のことが大好きだから」
茉里奈が顔をあげて白澤くんと関口くんを順に見る。
「二人とも、ありがとう」
「いや、その……あれは本当に可能性の話で……たぶんそうだと思うけど……」
「……白澤くん、なんか照れてる?」
「茉里奈はすっぴんでも可愛いもんね」
ギャ! と小さく叫んだ茉里奈が今更のように布団をかぶった。
「それ忘れてた! 見ないで!」
「今さら遅いでしょ」
私たちは四人とも笑った。とても晴れ晴れして、穏やかで、まるで部屋の中が一面のひまわり畑になったように明るくて、とても幸せな気分だった。
笑いが収まってきて私が一歩下がったタイミングで、関口くんが茉里奈の傍に来て手を取った。茉里奈はまた恥ずかしがって布団をかぶろうとしたけれど、その手は関口くんがしっかりと握っていて、茉里奈の事をじっと見つめている。
「茉里奈、」
優しい声だ。
「やだ、見ないでよ」
尚も渋って顔を隠そうとする茉里奈に、関口くんが顔を近づける。雰囲気と相まって王子様みたいな綺麗だ。
「化粧してなくても可愛いよ。可愛いって、全部、知ってたから」
「……え?」
「知ってた。全部。転校してきたときに遠巻きにこっちを見てたのも、どんどん綺麗になっていったのも、中学でやっと話してくれたのも」
「……え? 何それ……え?」
「うん、知ってた。茉里奈のすっぴんがかわいいのも!」
「やだ! なにそれ、どこで?」
「研修旅行の洗面所、見かけたことあったから」
「わ……わたし……」
「だから、茉里奈がいつ俺に頼ってきてくれるのかなって思ってたんだ。茉里奈は強いけど、俺にだって少しは頼って欲しい」
あらあら、おっと。これは。私たちはお邪魔なのでは。
私と白澤くんはどちらからとも無く顔を見合わせると、そうっと病室を後にする。またねの挨拶は、また会えたねの挨拶にしよう。次に会う時の茉里奈は、きっとピカピカの笑顔をしているはずだ。
「ごめんな、ちゃんと言い出せなくて」
「……うん」
「茉里奈。こんな俺だけど、ずっと一緒に居てくれる?」
漏れ聞こえる声をできるだけ耳に入れないように心掛けながら、廊下を早足に歩いて遠ざかる。エレベーターに乗ってロビー階のボタンを押して、やっと一息つくことが出来た。
病院の大きな自動ドアを出て、外の空気を胸いっぱい吸い込んだ。瑞々しい春の空気。
広々とした駐車場を迂回する歩道を通って敷地の外へ出る。桜の花柄がまだそこここに落ちていて、そうか、これは桜並木なんだな、と思う。見上げると薄緑の葉が揺れている。桜の花が咲いてたら良かったのに。そしたら、ふたりでその下を歩いて帰るのに。何でだかそんな事を考えながら白澤くんの前を歩いた。
歩道が終わると小さな川が見えてきて、そこに架かる橋は中央にある塔からワイヤーが斜めに伸びているタイプだ。車道はなくて、歩行者のお散歩用にしてはなかなか凝った造りをしている。
今回も前回も、ここに来る時にはそれに気が付かなかった。意識しないと気が付けないものってたくさんある。例えば、そう。私の隣にも。
「茉里奈、元気そうで良かったね」
「だな」
「お母さんも優しかったね」
「あの様子だと、直にしっかりした調査も入れてくれそうだ」
「標高地形図に説得力があったかも」
「それはそういう作戦だから」
「作戦?」
疑問を込めた声に白澤くんは、はにかむように笑って足を止め、橋の欄干に向き直る。それで、私も立ち止まって同じ方向を見る。
足の下を川が流れて行き、土手の斜面には菜の花が咲いて、柔らかな風にふわふわと気持ち良さそうに揺れていた。今なら何か、決定的な事を言えそうな気がする。伝えなくちゃ。
「白澤くん、あの」
とりあえず声に出してみる。けれどその先が続かない。伝えるって、でも何を? 何て?
また私は言葉が上手く出てこない。これ、克服したいなって思ってるのに。でも今までの「伝えなくても別にいいか」とかではなくて、今回は「ちょっと重要過ぎて間違えたくないから口に出すのが難しい」なのでは。進歩、なのかも知れない。
考え込む私を横目で見ていた白澤くんが少し笑ってから、川から病院の方へと目線を動かした。またそれを追いかける形になりながら、思ったことを口にする。
「病院の敷地、河岸段丘だね」
「……あぁ、確かに」
あんまり文脈の繋がらない事を口にしたせいか、一瞬の空白のあとで白澤くんが頷く。ちょっと面白そうな顔。それに勇気づけられるように「じゃなくて」と続ける。
その瞬間、ほんとうに一瞬の間だったけれど、いろんな人の顔が頭の中を通り過ぎたように思う。萌音と神崎くん、彩花ちゃんと藤原くん、三浦さんや小津先輩や土方先輩。それに茉里奈と関口くん。どうかどうか、私に勇気をください。胸の中でそう唱える。
「私、地学部に誘ってもらってすごく良かった」
「それは光栄だ」
「出来ればこの先もこうやって、いろんなものを見たり、聞いたり、不思議だと感じるものを解明したり、それを楽しんだりして過ごしたい」
「うん」
「……その時に、できれば私の隣には白澤くんがいて欲しい。そんな事を思うのは、これは……これは、なんて呼んだら良いんでしょうか」
思わず目を瞑りながら、精一杯振り絞るように出した声はきちんと隣に届いたようで、白澤くんが息だけで笑うのが分かる。
「たぶんだけどそれ、俺にも同じ気持ちがありますね」
「ほんと?」
かしこまった口調でそう答える隣を見上げると、白澤くんは照れた顔でこちらを見ていた。冷静なのにお茶目で、照れ屋なのに大胆で。一緒にいると時間を忘れるほど楽しくて。
「そこで桃井さんに提案なんだけど」
「……なんでしょう」
「良かったら、手を繋がないかな」
「つ、繋いで、みようか」
呟くような返事のあとに温かな手が私の手を包み込む。緊張のあまり私は目をつぶり……けれど、それが途中で動きを止めて、私は恐る恐る目を開けてみる。
「ちょっと、それ」
「……あ」
「開かんのかーい」
つい作っていた握りこぶしを解いて、それからやっと白澤くんと手を繋ぐ。白澤くんはよっぽど面白かったらしくしばらくの間笑ったままだったけれど、それは私も同じことで、ふたりして肩を揺らしながら橋の続きを渡る。
空には刷毛でひいたような薄い雲がたなびいていて、陽射しはやわらかくて、空気はちょうど良くあたたかい。あらためて周りを見渡してみると、世界はきれいな春だった。
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