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 翌日、放課後に病院を訪れた私たちは茉里奈と、茉里奈のお母さんに会った。ベッド横で座って雑誌を読んでいた彼女は、茉里奈のお母さんだと一目で分かるくらい、華やかな雰囲気とぱっちりした目元がそっくりだった。


「ご無沙汰しています」


 関口くんがそう声をかける。それを聞いて、そう言えば面識があるのかと気付いた。学生とは言え何年も恋人でいたら、それなりに家族に会う機会もあるのだろう。果たして自分が恋人を家族に紹介するような時が来るのだろうか。私は何となく隣に立つ白澤くんを見てしまい、偶然にもこちらに来ていた視線から慌てて目を逸らす。


「あら、関口くん。お見舞いに来てくれたのね」

「あの、今日は茉里奈さんは」

「今は診察に行ってるわ。すぐ戻るから、待っててあげて? あの子も喜ぶわ」


 茉里奈のお母さんは「今お茶を淹れるわね」と言いながら給湯設備のある場所へと向かう。

 私たちはそれぞれが持ってきたお花やフルーツゼリーなんかを、なんとなくベッド横のテーブルに並べてみる。そうこうしている間にペタペタという足音がして振り返った。一昨日と同じ、病院のパジャマを着た茉里奈が私の姿を見つけて笑顔を見せる。


「羽純!」

「茉里奈、来たよ」

「来すぎじゃない?」


 いつもの軽口を叩きながら傍によって、それから関口くんの姿に気付くと、茉里奈は動きを停止した。そのまま素早くカーテンの影に隠れる。


「え、なんで直斗までいるの?」

「うわ、まさかの不評」

今すっぴんなんだけど」

「こら、茉里奈ちゃん」


 戻ってきたお母さんが笑いながら言って茉里奈はカーテンの影から出て来たけれど、ベッドに座る姿は微妙に関口くんからは逸れた角度に傾いてたので、実は本当に恥ずかしかったのだと思う。

 さて、何と言って切り出そうか。少し悩ましいけれど、お母さんもいるうちに話した方が良さそうだ、とは白澤くんの談だ。


「茉里奈、ちょっと聞いて欲しい話があるの」

「なぁに?」

「あのね、茉里奈の体調不良の原因についての話なんだけど」


 うん、と茉里奈は頷いて、こちらをじっと見た。大きな目。お化粧をしていなくても十分、綺麗だと思う。


「まず、茉里奈はシックハウス症候群ではない、よね」


 家を作るのに使用する建材などから発生する化学物質のアレルギーが引き起こす体調不良があると、ニュースでやっているのを見たことがあった。

 それは忘れていたんだけど、昨日の白澤くんの「茉里奈にアレルギーはあるか」という質問で思い出したことだった。アレルギー症状で様々な体の不調が出ることは少なくないと言う。

 けれど、私の質問に茉里奈とお母さんが顔を見合わせてから頷いたので、その可能性は除外する。となると。


「すみません、俺、これから変なこと言いますが、どうか、怒らずに聞いて欲しいんです」


 今まで黙っていた白澤くんが茉里奈のお母さんに向けてそう言った。伺うように私に向けた視線に、私も頷きで返す。とても真剣な表情をしていて、それで、場の空気が一変したように思う。

 皆が一様に白澤くんに視線を向ける中、ゆっくりと口を開く。


「昨日、失礼ながら美原家の立地を確認しに行ったんです。それで気が付いたんですが、あの家は少しだけ不安定な場所に建っていませんか」

「……不安定、というのは?」


 白澤くんは静かに頷くと、鞄から丸めていた地図を出して広げていく。私はその用紙の端を抑えた。


「これは標高地形図と言って、土地の高さごとに色分けがされた物なんです。ここが最寄り駅で、北口はこっち。そして、美原家はここに建っています。ちょうど、斜面の中腹に」


 昨日確認した、階段の踊り場のような黄色の部分を指でまるく囲う。それだけでは説明が足りないと思ったので、私は軽く標高地形図の見方を説明する。

 標高の高い部分から赤、黄、緑、青と変化していき、青は低地で、最も低い場所はこの地域では川になっている。私が話し終えるのを待って、再び白澤くんが口を開く。


「この家は、湧水が出る地層を川が削ってできた土地を、擁壁ようへきで固めた上に建っているんです。コンクリートの擁壁、かなり高いですよね」

「まぁ、高いですけれど……。そうは言っても、建設業者がきちんと施工したものなんだから、問題は無いはずよ?」

「もちろん、地形にあわせて盛り土なんかで平らになるように処理をして、コンクリで固めて擁壁を作り、土壌に礫などを混ぜてを改良して、というのがいわゆる宅地造成という事になるので、そういう工事をするの自体に特に問題は無いはずです」


 あのコンクリートの壁の上に聳え立つ住宅地を眺めるにつけ、私の胸の中にはざわざわとした言い知れない不安のようなものがこみ上げてきた。

 あの高さはさすがに不安定なのでは。いや、何も知らない素人だからそう思えるのであって、プロからしてみたら馬鹿げた感想なのだろうけれど。それにしても。


「すぐ隣に小川の流れる公園があります」

「知ってるわ。親水公園だもの、市が設置したのでしょう」

「いえ、あれはどこかから引いてきた水を流しているのとは違って、あの土地の斜面から、湧き出ているものです」

「あの場所から?」

「はい。湧水の量は結構多くて、そして今も枯れていません」


 私たちは昨日、段丘の礫層から流れ出ている湧水を見ていた。ちょうど崖の一部が露出している部分があって、地層の模様と、そこから流れ出ている湧き水が目視で確認できるくらいに水の流れが出来ていた。


「という事は、あの場所で地盤沈下が起きている可能性があるんです」

「茉里奈、寝てる時に公園側に引っ張られてる感じがするって言ってたよね」

「え、じゃあ部屋が傾いてるってこと?」


 驚いた茉里奈が呆然といった様子で声をあげる。


「その可能性がある。二階の南西の部屋は、たぶん傾きが大きく出てるんだと思う。おそらく、建てた時は水平だったものが、傾斜が進行するにつれて家鳴りが酷くなったり、建具にも影響が出てドアが勝手に動くようになったんじゃないかな」

「あぁ、だから平衡感覚が……」


 敏感な人なら、部屋の床が三ミリ傾いただけで頭痛や眩暈がするものらしく、多くの人は六ミリ程度の傾きで頭痛や肩こり、眩暈や体の怠さなどの自覚症状が出るのだとはネットの記事で得た知識だ。茉里奈の初期症状が眩暈だけだったのも頷ける。

 だから茉里奈の部屋からリビングへと何かが移動したのではなくて、この数か月で傾きが進行して、リビングにまで影響が出始めていたと考えたら合点がいくのだ。


「これはあくまで可能性の話になりますし、僕らは素人の高校生です。だから一度、業者の方を呼んで測定して貰ったほうがいいと思います」

「もし、本当に傾斜が原因だとしたら。ここで幾ら療養しても、茉里奈の症状はぶり返し続けると思うんです」


 茉里奈のお母さんは、しばらくぼんやりと呆けたような顔をしていたけれど、茉里奈が「お母さん」と呼びかけると我に返ったようだった。推測とは言えショッキングな話だったので、大人でも動揺してしまうと思う。


「あの、ありがとうございました。否定せずに、最後まで聞いて下さって」

「いいえ。こちらこそ、ありがとう。茉里奈の事を真剣に心配してくれたのね」


 それから、うんと優しい顔になって茉里奈の頭を撫でた。


「良かったね。茉里奈ちゃん、良いお友達がたくさんいるのね」


 名前を呼ばれた茉里奈は少しだけ頬を赤くして静かに頷く。その仕草がなんだか子供じみていて、とても可愛らしかった。


「さっそくお父さんにも話してみるわ。本当にありがとうね、ええと」


 そこでやっと、私たちは自己紹介もしていなかった事に気づく。


「すみません、申し遅れました。こっちは白澤くんで、私は桃井羽純。私たちは茉里奈さんの友達で、それと、小鳥遊学園高校の地学部です」

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